三 竹の家

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三 竹の家

司の竹細工職人に弟子入りした民子。翌日から支度を始めた。朝食を食べ終えた二人。打ち合わせをしていた。 「まず。その着物はやめてくれ。お前の追手も来るから」 「そうですね」 家から来てきた黄色い小紋の着物。すでに汚れてボロボロだった。民子とて未練はない。むしろ仕事のために着替えたかった。 家を出るとき。着替えなどを持ってきたがあの施設に置いてきてしまった。身に付けていた少々のお金とお守りの懐刀。しかも今は足袋だけで、履物も壊れてしまった。 「着ろ」 そう言って司は作業着である藍色の着物をくれた。 「これは?」 「亡くなった母親のだ。我慢しろ」 「いいえ。素敵な色です。大事に着ますね」 そう言って着物を優しく撫でる民子。司はその指を見ないように背を向けた。 「ところで。司師匠」 「なんだ」 「この床下の地下室は何なんですか?」 昨夜もそこで寝た民子。司はお茶を飲みながら説明した。 「ああ。この地は古くから、口減らしで年寄りを山に捨てる習慣があったんだ」 「まあ」 「だが、実際は、皆こうして年寄りを家に隠して置いておいたんだ。これはその名残だ」 確かに。高さは低いが居心地の地下室である。民子はすっかりそこが気に入っていた。 「私が使って良いですか」 「あの地下を?変わった奴だな。好きにしろ」 「はい!」 何をするのも楽しそうな娘。司は調子がずれてしまうが、彼も楽しかった。 そして藍色の着物に着替えた民子。髪も縛りすっかり職人風に見えていた。 「どうですか?」 「まあまあだな……」 「似合いますか?」 「俺が言っているのは丈が合っているという話だ」 「そんな?」 本当は可愛いと思っていた司。それを口にせず背を向けた。 「良いか。まずお前にこの竹林の道を教える、ついてこい」 「はい。あ、でも私、履物が壊れてしまって、あれ?」 そこには。司の下駄の他に、小振りな雪駄があった。 「師匠これは?」 「履きたくないなら裸足でもいいが」 「いえ?履かせていただきます」 ……どうしてそんな言い方なのかしら。 ちょっとプスプスする民子。しかし、履きながら気が付いた。ぴったりなのである。 ……それに。これって、昨夜、師匠が作っていたのに似ているわ。 「師匠、あの」 「行くぞ」 まるで民子の話を遮るように司は竹の背負子を担ぎ、歩き出した。民子はその足早に進む後を追った。どこまでもつづく青い林。景色がどこまでも一緒。民子は不安になった。 「師匠?どこまで行くんですか」 「ここに。目印の石がある。分かるか」 「ん……あ。本当ですね」 よく見ると。うっすら道になっており、途中には石が埋め込んであった。 「これを辿れば、小屋に戻れる」 「はい」 そう言って進む司。途中で歩みを止めた。背中の背負子から石を下ろし、道に埋めていた。 ……もしかして。私のために、こうやって増やしてくださっているのかしら。 無骨で無口な司。しかし、黙々と石を埋めてくれていた。 そして彼はまた歩き出した。民子はその竹カゴを背負う彼を見ていた。 「別に親切なわけではない」 「え」 「いちいち迷子になったら。面倒だからだ」 「そう、ですか」 ……やっぱり違った。手間を省くためだった。 藍色の職人様の作務衣姿。黒髪を結び凛々しい姿。職人らしくきびきびしていた。商人に囲まれて育った民子。この厳しい雰囲気に戸惑っていたが、今は違う。作り笑顔で言葉巧みな商人よりも、この無口な彼がずっと人として信用できると思っていた。 さらに。この竹林の空気。新鮮で酸素の濃い世界。いつもなら咳が出る民子は発作もなく元気だった。 「おい。ここだが」 「はい」 「気をつけろ。猪の罠を仕掛けてある」 草で隠してあるが。確かに罠があった。 「うわ。間違えば怪我をしますね」 「俺はせっかくの罠が壊される方が厄介だ」 ……うう、ひどい言い方。 でも。その広い背はどこか笑っていた。意地悪であるがやっていることは優しい。司の天邪鬼な性格。民子はだんだんわかってきた。 ……昔。お父さんが言っていたもの。職人の世界は厳しいって。 弟子と師匠で馴れ合いになってはいけない。甘えは許されない。父はそう言っていた。民子、司の背中を見て改めてそれを痛感した。 ……それに春までだもの。それまで、まずは元気になって。お仕事ができるようになりたい。まずはそれよ。 竹細工職人になりたい。でもそれは春までの期限付き。どこまでできるかわからないが、行き場のない民子。目の前の仕事を覚えていこうと決意を新たにした。 「ここだ」 「痛!……すいません」 急に立ち止まった司。そのカゴに民子はぶつかった。 「ぼうっとしているからだ。ここが俺の畑だ」 「……広いんですね」 今は夏の終わり。大根や長ネギ、玉ねぎが見えた。 「竹細工だけでは食っていけない。だが俺は仕事があるので畑仕事はあまりできない。ここはお前がやれ」 「はい」 ……できるかな。やったことないけど。 民子。顔をあげた。 「わからないことがあったら、どうすればいいですか」 「……今から案内する」 こんなこともできないのか、と言おうとした司。しかし、娘はやろうとしている。このやる気を前に、司は近くの年寄り夫婦が暮らす農家にやってきた。 「どうも」 「あら、司君。まあ?とうとうお嫁さんをもらったのかい?!」 驚く老婆。司、民子を横に冷たく首を横に振った。 「こんな不細工、もらってもしょうがないです」 ……うう、ひどい。 「そんな言い方ないじゃないか。可愛いお嬢さんなのに」 「こいつは弟子です。これからうちの畑を世話させるのに、何もわかってないので」 「民子と申します。すいません、色々教えて下さい」 頭を下げる民子。老婆はまあまあと制した。 「いいんだよ。いつでも遊びに来なさいね」 「婆婆よ?親父さんは?」 「まだ山から帰ってないんだ。話をしておくさ。あ、これ食べなさいね」 そう言って老婆は笹の葉に包んで民子にくれた。 「うわ?ありがとうございます」 「あのね。司君は口は悪いけど優しいからね」 「おほん!行くぞ」 司。民子の肩を抱いた。 「ではな、親父さんによろしく」 「これからよろしくお願いします」 「はいはい」 親切な老婆にもらった物は暖かった。 「これは何でしょう?」 「笹飯だろう。いつもそればかりだ」 「いい匂い……痛!」 またしても急に立ち止まった司。意地悪く振り返った。 「お前。ここから一人で帰れるか?」 挑戦的に腕を組み見下ろす彼。民子、ふうと息を吐いた。 「もちろんです」 そう来ると思っていた民子。司はへえと片眉を上げた。 「では。先を歩け」 挑戦的な司。民子。ドキとした。 「いいですよ?あの、師匠。この笹飯を持っていただけますか」 「おう……あ?」 「うふふ!」 彼が背の籠に入れている間。民子は素早く走り出した。こうなると思っていた民子。覚えていた道を走って行った。 「おい?待て」 「こっちです!こっち」 嬉しそうに走る娘。追いかける司も笑っていた。 青く伸びる竹の世界。若い二人、まるで気持ちが止まらぬように竹の林を駆け抜けて行った。 三話『竹の家』完 四話「消えた看板娘」へ
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