六 不出来な弟子

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六 不出来な弟子

「おはようございます」 「ああ」 「水は汲んであります」 張り切っている民子。早起きをして支度を済ませていた。まだ眠そうな司、目を擦っていた。 ……元気がいいな。眠れているんだな。 「どうぞ。お水です」 「ああ」 「洗濯ものを干してますね」 彼に水を手渡した民子。外にて洗濯物を干していた。鼻歌まじりの民子。それを司、開けた戸に立ち、見ていた。 ……そんなに楽しいものなのか? 実家にいた時、水仕事は風邪をひくと言われてやらせてもらえなかった民子。洗濯板を使ったお洗濯が楽しくて仕方なかった。 ……うふふ、白くなった。白くなった。 司の下着。この日はふんどしもあった。あまり洗濯物がない暮らし。民子の様子に司は笑みをこぼしていた。 初日に寝坊をした民子。翌朝から働いた。何をすれば良いかと思い、まずは日々の生活、家事を率先して行った。炊事以外、清掃関係は実家でもやっていた民子。必死に動いていた。 そしてこの朝。二人、朝食になった。囲炉裏端の鍋のお粥。師匠の後に食べると言っていた民子であったが、面倒なので司が一緒に食べると決めてしまった。 「いただきます」 「ああ。いただきます」 手を合わせて挨拶した二人。静かに食事を始めた。 「あの、師匠。お洗濯の石鹸なんですけど」 「なんだ」 「とても汚れが落ちますが。あれは何ですか?香りもいいし」 「ああ。それは竹の石鹸だ」 「竹の」 司。お茶をずずと飲んだ。 「竹職人仲間で。それを作っている者がいる」 「すごい」 「そうか?全然売れないんでな。仲間で使っている」 「これが、売れないんですか?」 「それよりも。お前は」 「畑ですよね!行ってきます」 そう行って元気に彼女は出かけて行った。 ……全く。あんなに飛ばして大丈夫か…… 昨日は張り切りすぎてうたた寝をしていた。見逃した司であるが、少々心配していた。そんな司、竹細工に取り掛かった。 これだけでは食べていけない司。畑で補っていた。今まではそれでよかったが民子がいる。そのおかげで彼女に畑をしてもらえるが、もっと商品を作り利益をあげたかった。 さらに彼には入院している父親がいる。費用が嵩んでいた。 悩んでも仕方ない。必死に彼は籠を編んでいた。 ◇◇◇ 民子。畑の作業をしていた。今は夏の終わり。冬に備えて種を撒いていた。 「ヨネさん。これでいいの?」 「そうだよ。うまいもんだね」 「いいもんですね。こうやって食べ物を作る仕事って」 老婆ヨネに教わる畑仕事。きらきらの汗を拭った民子。体を使い清々しい空気。楽しかった。 「しかし。あんたは面白いね。竹細工職人なんて」 「はい!でも、素敵ですもの」 「それは竹細工かい。司君かい」 「た、竹細工です」 公私の分別がないとやっていけない。民子は司を師匠と位置付けていた。 ……そうよ。あんな意地悪だし。 「へえ。でも素敵だろう」 「否定はしません」 司は淡麗で誠実。飾らない性格。民子はそこが素敵だとは思っていた。しかし彼に心を流しては、そばに置いてもらえない。そう思っていた。 「ふーん、そうかい」 民子を連れてきた時の司の顔。長く生きてきたヨネ。ピンとくるものがあった。 「家では。厳しいのかい」 「はい。それは厳しくて。怒られてばかりです」 「何をしたんだよ」 民子。雑草を抜きながら話した。 「私。お恥ずかしいことに、炊事をやってこなかったんです。だから、その竹の子の灰汁を抜くってあるじゃないですか」 「ああ。あれかい」 竹の子。これを食べる前には灰汁抜きの作業がある。民子、このやり方を知らなかった。 「普通は、お鍋のお湯に糠を入れて、それで竹の子を茹でるだけだろう」 「私も師匠にそう言われました」 民子。雑草を集めていた。 「でも。その糠の入れる量ってわからなかったんです」 「まあ。うちのお鍋だと、一掴みだね」 「……私……師匠の言葉を聞き間違えて、一袋入れたんです……」 「ぶははは」 ヨネ。涙を流して笑った。民子。真顔だった。 「こんな鍋に入るのかなって思ったんですよ?明らかに無理だったので。でも、入れろって言っていたな、って思って」 「はっはは……腹がよじれる?」 「ブワって吹きこぼれて。ちょっと綺麗でしたよ。でもヨネさん……私もあんなに怒られるとね。返って、その、笑えてきますよね?」 二人で大笑いしていた。そして一緒にお昼を食べた。民子はこの時、ヨネから司の父親の話を聞いた。 「竹に登っていて。落ちて腰の骨を折ったんだよ」 「まあ」 「骨だけど。複雑骨折だからね。春まで入院なんだってさ」 「春まで」 ……そうか。だから春までの約束なのかな。 「どんなお父さんなんですか」 「無口で厳しい人でね。司君も頭が上がらないのさ」 「あの師匠が?それは厳しいですね」 司の話を聞いた民子、ふと空を見上げた。 ……この空は実家にいた時と同じ空なのに。別の世界みたい。 実家にいた時は病弱と言われ何もさせてもらえなかった。それに店の手伝いの件で兄夫婦の喧嘩の日々。そんな過去が嘘のよう。今の民子はそれどころではなかった。 そして民子。ヨネにお礼を言い、竹林を戻ろうと小屋に向かっていた。 ……それに。お米が寂しいものね。 弟子にしてもらったが。司の台所は寂しい様子。タダ働きであるが食べ物を出してもらっている身。これはなんとかしないといけない気がしてきた。 できること。それは今は畑仕事だけ。民子としては竹を編み、お金になる商品を作りたかったが、今の司の様子を見ると、指導の時間がなさそうだった。 しかも春までの約束。もうすぐ秋の季節。民子にはのんびりしている時間はない。 ……さあ。今日も練習しよう。 自分の仕事が済んだから練習してもいい約束。民子は駆け足で小屋に戻ってきた。 「ただいまです」 「声が大きい」 「すいません」 走った勢いで元気すぎた民子。少ししょぼんとして土間の水場に向かった。 ……言い過ぎたか…… 素直になれない司。ちょっと意地悪を言っただけ。しかし、民子は背を向けてしまった。司。つい、そっちを見た。 ……花を摘んで来たのか…… 野菊を摘んできた民子。竹の水差しに飾っていた。その姿を見ていた司、急に振り返った民子と目が合ってしまった。 「師匠?どうかされましたか?」 「お、お茶にしてくれ」 咄嗟にそう言った司。民子はいそいそと動き出した。 「はい」 司が飲んでいるのは笹でできたお茶。民子のお気に入りである。これを急須に入れてお茶にした。 「どうぞ」 「ああ」 「……師匠。私、向こうであの、余った竹で練習してもいいですか」 「ああ、好きにしろ」 「やった!はい」 嬉しそうな民子。澄ました司、その顔を見ないように見ていた。 ……そんなに嬉しいのか。まあ、面倒だが。 司にすれば教えてやりたいが。これは口で説明するものではない。見てやって。それでわかるもの。自分もそう父に教わった。さらに教える時間がない司。見本になる基本的なザルを民子に渡していた。 ふと見ると。民子は始めていた。真剣な目、その姿勢。昔の母を思い出した。思えば母は竹職人ではないが、遊びで作っていた。そんな母親の作品が父のよりも人気があったと父がぼやいていた事を思い出していた。 こうして午後の作業をしていた司。手を休めた時、民子に質問された。 「師匠すいません」 「どこだ」 「ここです。ここから、こっちに曲げるのはどうやるんですか」 「お前……」 司は驚いた。民子、見事に作っていた。 「師匠?」 「あ、ああ。これはな、こうするんだ」 「はい……ああ、そうすればいいんですね」 司の手元をじっと見ている様子。民子は知らないことが多い娘。しかし、一度言えば覚える。聞き直す事は一度もない。当初、司は民子が物知らずの好奇心持ちと思っていたが、そうではない。 家が荒物屋という事で暗算もできるし、文字も綺麗である。本人は気が付いていないが、彼女の秀才さに司は目を見張っていた。 この時。司、胸がドキドキしていた。今の民子。司の動きを集中して見ていた。 「では、師匠。ここはこうするんですか」 「いいや。ここで切るんだ。そして後でこっちを」 「なるほど。やってみます」 奪い取るように作品を奪った民子。その後、司の想像を超えた出来栄えで完成させた。 「ふう」 「まあまあだな」 そうは言ったが。このザル。素晴らしい出来だった。 「はい。忘れないうちに、もう一つ作りたいです」 夢中な様子。時間になっても夕飯の支度も忘れるほどの集中力。仕方なく司が食事を作った。無心に作る娘の顔。司はいつの間にか見つめていた。 「……あ?すいません」 「いい。続けろ」 「でも。師匠に夕飯をさせてしまって」 「もう出来ている。どうだ、今度は」 民子のそばに座った司、作品を手に取った。二個目は早くさらに綺麗に出来ていた。しかし民子は不満そうだった。 「どこが不満だ」 「ここが、トゲトゲします」 「そういうのは後で直すんだ。それに使っているうちに馴染んでいくものだ」 「それと、あの」 「まずは夕飯だ」 休ませた方がいいと判断した司。囲炉裏の前に座らせて飯にした。民子、食べながら質問攻めにした。 「そもそも。まず二個とも大きさが違う」 「そうか。統一しないとダメですね」 民子のはうまくできている。しかし、二個の大きさが違っていた。初めてなのでそれでも十分であるが、師匠の司、あえて厳しくした。他の点も厳しく指摘した。民子はこれを熱心に受け止めていた。 「……色々ダメなのがわかりました」 ……言い過ぎたか。 「そんなに落ち込むな」 「いいえ?そうではないんです」 民子、楽しそうに微笑んだ。 「私。何も知らずに暮らしていたので。師匠に教えてもらって楽しいです。もっと覚えて。もっとたくさん作りたいです」 「竹の子事件は?」 「またその話?師匠は意地悪です」 ふふふと司は笑った。椀を置き、実に楽しそうだった。 「だってな?まさか、あれを一袋入れるとは?ははは」 「大変でしたもの」 不貞腐れる民子。司、髪をかき上げ爆笑した。 「はっはは……やめろ。思い出すじゃないか」 「あんなに怒ったくせに。やっぱり笑っていたんですね」 「怒ったさ。だがな?ははは」 「ご馳走様でした」 民子。司の食器を持ち、さっさと水場に向かった。背を向けていた。 司、言い過ぎと思った。 「あのな」 「はい、お茶です」 「おい」 「私、外で星を見てます」 民子。そう冷たく言い、外に出た。司、お茶を飲んだが、やはり外に出た。 彼女は庇の下で空を見上げていた。 「いつまでいるのだ。蚊に食われるぞ」 「師匠……見て。星が綺麗」 「あ?ああ」 見上げる彼女、司は隣に立った。 「私……今まで、家族に早く寝るように言われて。こうして星なんて、外でしみじみ見た事なかったんです」 「そうか」 民子はじっと空を見ていた。 「師匠、あの星は?」 「あれは北極星だ。だから北斗七星だな」 「あの優しい光が北極星」 感動している民子。司、愛しかった。しかしその思いを殺した。好きになっては弟子にできない。この思い、ため息で流した。 「師匠」 「なんだ」 「竹の子事件、ごめんなさい」 「もう良い」 思わず司は彼女の細い肩を抱いた。この時、愛よりも後輩を慰める気分だった。 「気にするな」 「……あのね、師匠、民子は結局、糠の量がわからないです。ふふふ、後で教えて下さいね」 自分を見上げる民子。微笑んでいた。司、ほっとした。 「ああ、わかったよ……」 静かな星の夜。竹林の風は涼やか。夏の終わりの二人、やさしい気持ちで過ごしていた。 六話「不出来な弟子」完 七話「価値」へ
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