初旅行編 6 女神

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 まだ、ちょっと慣れてない。  朝、起きた時に環さんの寝顔が目の前にあることに。  だってそのくらい長い片想いだったから。  そのくらい、すっかり諦めていた恋だったから。  それに今回は旅行だなんて、さ。  目が覚めたら、ぐっすり眠っている、本当にものすごく無防備な寝顔が目の前にあって、心臓が止まっちゃいそうだった。勘の鋭い人だからあんまり見つめていると起きてしまいそうだし、それにドキドキしてしまって、もうそこから眠れなくて。 「わ……あったかい」  だからベッドから出て、すぐそこにある露天風呂に入ってみた。  昨日は……せっかくなのに、ここは入らずに寝てしまったから。  バーベキューが終わって、そのまま、その……抱いてもらって、シャワーを奥のバスルームで浴びて寝ちゃったから。 「……」  旅行。 「……」  来ちゃった、なんて。  ドキドキしてる。  まだ一緒に暮らすことすら慣れてないのに、こんなすごいところに二人で、なんて。  笑ってしまう。  ベッドは二つ。ちゃんと用意されてるのに、それを使わずに二人で一つのベッドにぎゅっと抱き合ったまま眠ってる。  こんな本当に恋人同士みたいなことにもちっとも慣れない。どれもこれも夢みたい。こんなこと、環さんとできたら、なんてことすら考えないようにしていたことばかりだから。  透明なお湯の中に浸かる自分の身体にふと目がいった。 「ぁ……」  いっぱいしてもらった痕がたくさんついてる。 「あぁ、もう」  ただそれだけで嬉しくなるんだ。以前はなかった、彼のものっていう印。それが身体の隅々にまで施されてるのがたまらなく嬉しくて、気恥ずかしいのに、それでもやっぱり嬉しくて。つい――。 「……良い眺めだな」  歌を口ずさんでいた。 「! た、環さん」 「女神が湯浴びしながら歌を歌ってる」 「! も、もお! 起きたのなら声をかけてください!」 「今、かけただろ」  環さんが柱に寄りかかりながら腕を組んでいた。浴衣を羽織って、さっと帯で前を留めただけの格好で。 「っぷ、真っ赤」 「! だ、だって、まだ眠っていると、ばかり」  ずっと仕事で忙しかったのに、昨日は運転をずっとしてて、着いたらバーベキューに、その、その後は……だから、休暇なのにちっとも休めていなかったから、今朝はぐっすりだった。 「あぁ、よく寝た。スッキリだ」  だからまだ眠っているとばかり。 「で、目を覚ましたら、女神が目の前で」 「ン、もおおお! 女神な訳ないでしょう!」 「初な女神だけどな」  あどけなく笑って、仕事の時は後に流している少し長い前髪をかき上げて。  その仕草一つ一つにどれだけドキドキしているのかも知らないで。 「も……お……何言ってるんですか」 「歌、うまいな」 「下手です」 「そうか?」 「下手ですよ。人前でなんて披露できるレベルじゃありません」  もう、見られてるなんて思わなかった。聞かれてしまったなんて。 「身内に声楽出身の奴がいるから?」 「どうしてそれを?」 「いや、あいつもそう言ってたなぁって思い出した」 「……兄が、ですか?」 「あぁ」  楽しそうに笑いながら、環さんは露天風呂の縁に腰をおろし、足だけをそこに浸けた。 「昔、学生の頃、あいつの歌が上手いって、仲間内で言っててさ」 「兄?」 「そ、そんで、みんなでバンド組もうぜって話したんだ。俺はギター弾けるから、って。他の奴もまぁどうにかなるんだろっつって。そんで」 「兄がボーカル、ですか?」 「そ。みんなノリノリで、いけるだろって話してたら、あいつが真顔で声楽出身の者が身内にいて、自分の歌は到底披露できるレベルじゃないからって、真顔でさぁ」 「……」 「スッゲぇ、真面目で、もうみんなで馬鹿笑い。あの上条敦之にも苦手なものあるんだなーっつって。しばらくむくれてたな」 「……」  そんなの、聞いたことがなかった。 「同じことを兄弟で言うから笑った」 「……」 「まぁ、お前の場合はバンドなんて勧めないけど」 「わ、わかってますっ。下手ですから」 「そーじゃなくて」 「わっ! ちょっ、浴衣がっ」  派手な水飛沫と共に抱き上げられて、そのまま、環さんの上に跨るように腰を抱かれた。 「濡れちゃっ」 「もう濡れた。つーか、出かけるんだからいいだろ」 「? どこへ」 「それから」  腰を抱く腕が力を込める。 「バンド勧めないのは、お前が歌なんか歌ったら男も女もメロメロだろ」 「は? 何をっ」 「女神」  まだ、慣れないのに。 「せっかく俺のものしたんだ」 「環さ……」  際どいところにたくさんつけてもらえた貴方のものだという証だけで、嬉しくて舞い上がってしまう僕はまだ慣れないのに。 「誰にも見せたくない」  貴方が僕をこんなふうに愛でて、可愛がってくれる度に、くすぐったくて、幸せで。 「……雪」 「ぁっ……」  ほら。 「あぁっ」 「柔らかいな……」 「あ、あ、あっ」 「中がすげぇ熱い」  たまらなく愛おしくて、溶けてしまいそうで、どうしたらいいのかわからなくなる。 「雪」  そう呼ばれるだけで、ね? すごくすごく。 「っ、あ、あぁぁっ」  熱くて、たまらない。
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