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どうか、彼の出した答えが兄を切り裂きませんように。
――あの。小野池です。この間のこと……えっと、あのお時間ありましたら……。
とても営業職に就いているとは思えない辿々しい話し方だった。けれど、すごく一生懸命で好感が持てた。
あぁ、兄はこういうところも愛おしいんだろうなって思った。
拙くても、未熟でも、懸命なところ。
健気なところ。
それはまるで一生懸命に花を咲かせようと背を伸ばす草木のようだったから。
この間、彼が同級生の結婚式会場で僕に会った時はとても落ち着いているようだった。別れてくれと言いに来たのだろう? 分不相応だと、身分違いだと言いに来たのだろう? と、すでにわかっていたようだった。
僕はちょっと驚いたんだ。
分不相応、それを僕こそいつも抱えていた言葉だから。
だからこそ言葉の重さや怖さ、痛さを知っている僕は「別れない」その一言を言える彼をとても尊敬した。
でも、そうじゃないんだ。それだけじゃないんだ。
兄のパートナーになるのなら、彼は覚悟をしなければいけなくなる。もちろん、上条家が故意に彼のことをマスコミに公表することはないし、表舞台に引っ張り出したりもしない。けれど保証はできないんだ。彼が兄の恋人だと、それが同性愛だと今まで彼が隠していたように、これからも隠し通せるかどうかは。
そうなってからでは遅いから。
周囲に知られてしまっては、その関係性を解消したところで、彼がゲイだという事実が周りの記憶から消えるわけじゃない。
僕はできるだけ冷淡に彼に話した。
できるだけ別れを斡旋するように話しかけた。
君の味方は誰一人としていないのだと。
それでも、そんな状況になったとしても、兄を想えるのかどうかを知りたいから。
僕は君の味方じゃない、そう思ってもらえるように話をした。
「すみません。お呼び立てして……雪隆さん」
どうか、彼が出した答えが悲しいものじゃありませんようにと願いながら。
「……いえ」
「ここの花も敦之さんが生けたんですか?」
「……えぇ」
「すごいですね。前に見たことがあるんです。すごい綺麗だった。その時とは花が違ってますが、でもやっぱり綺麗だ」
彼が僕を呼び出したのは駅の地下通路。そこには兄が活けた花が飾られている。定期的に姿が違うから、今は少し秋を思わせる花がそこに咲き誇っていた。兄はここの花を活けることをとても楽しそうにしていた。そして彼が話をここでしたいと言った。きっと二人にとって何かあった場所なんだろう。
「花は枯れますから」
「そっか、そうですね」
恋が終わることもあるように。
「どうされるか決めましたか?」
「……はい」
もしも兄が傷ついてしまうことがあっても。
「俺は」
僕は、僕だ。
上条家にとって才のない僕の価値はとても少ないとしても、僕は、
「俺は、別れません」
僕は僕にとっての幸せを手に入れよう。
「むしろ、世界中に言いふらしたっていいです」
「意味をわかって仰ってますか? 今まで、」
「拓馬!」
地下通路に響き渡る声。周囲を歩いていたビジネスマン達もその声に俯いていた顔をパッと上げるほど、必死で、懸命で、真剣な声。
その声に誰よりも表情を輝かせたのは彼だった。驚いているけれど、でもとても嬉しいんだろう、頬がピンク色に染まっていた。
駆け寄った兄へ手を伸ばして、兄も自然とその手を取って。
触れた瞬間、お互いに少し安堵したように表情が緩むんだ。
僕はその様子を全て見つめながら、すごいなぁ、なんて思ってしまった。
彼ならきっと大丈夫なんだろうって。
「兄さん」
「……お前が見繕った仕事ならちゃんと終わらせてきたよ。わざわざ出張に行かせたんだろう? その間に、拓馬に会おうと」
「でも、どうしてここだって」
「お前は俺の秘書なんだ。お前が拓馬のことを調べ上げたように、俺も、お前の居場所くらい簡単にわかる」
よかった。
きっと彼は兄を今までの誰よりもしっかり掴んでくれる。
「俺、かまいません。俺、敦之さんが好きです」
前に彼のことを調べてもらうきっかけになった、そうあれはレストランだ。ホテルのレストランで恥ずかしいほど騒ぎ立てる愚かなサラリーマンの後ろにいた彼とはまるで違っていた。
「わかっておられるんですか?」
「はい。わかってます。ちゃんと、考えました」
そうだな。あの昔読んでいたお伽話。「シンデレラ」みたいだ。
魔法の杖であの自信なさげにブラック企業に勤めていた平凡でくたびれたサラリーマンが、魔法の杖の一振りで颯爽と愛しい人を守れる王子のように変身した感じ。
「考えて、改めて、敦之さんが好きだなぁって思ったんです」
けれど、彼は魔法使いに頼んだのではなく。
その衣装を、靴を、持っていなくとも、ここへ愛を伝えに来たのだろう。
「あの、すみません。俺、お花とか疎くて」
「疎くて当たり前だ。それに俺の露出はまだ少ない」
「でも三十になったら……」
「あぁ、当主だ。色々変わる」
兄の声、彼といる時はこんなに優しいのか。
「だから、その前には君に言わないとと思っていた。自分の仕事のこと、君にかかる迷惑の、」
いや、どうだろう。少しカッコつけてる気がする。
「迷惑なんて思わないでください。それを言うなら、俺なんかが当主のパ、パート……ト」
「君がいいんだ」
「……」
「君に俺のパートナーになって欲しい」
少しじゃなく、すごく、ものすごくカッコつけてる気がする。
「ずっと、そう言いたかった。でも、素性を全て話して、逃げられるのが怖かった。もう、諦めてたんだけどな」
「……敦之さん」
「君のことは逃したくなかったんだ」
それに、なんというか。
「敦之さん」
「だからずっと言い出せなかったんだ……拓馬……」
クサくない? ものすごく。
「コホン」
「! す、すみませんっ」
「雪隆」
砂糖菓子みたいに甘くて、くすぐったくて、キザで。
「いえ、こちらこそ……お邪魔してしまい申し訳ありません。ですが、兄のその砂を吐くような甘い言葉がちょっと……苦手です。それから、流石に兄のキスシーンは見たくないので」
「! すみませんっ」
「いえ、よくそんなに甘い言葉を並べられて笑わないなぁと感心してました」
「え?」
僕はこういうのすごく苦手なのだけれど。
「お前は辛口だなぁ」
「貴方が激甘口なんです」
大の苦手なのだけれど。彼はとても嬉しそうに笑うから、まぁ、それはそれで……って、僕は苦笑いを溢してしまった。
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