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百合の花がいい。
大きな白い百合の花を、たくさん使って、抱え切れないほど大きな、大きな花束にしよう。僕には少し大きすぎるから、一緒に持ってください、なんて言って話を切り出すきっかけにだってなってくれるかもしれない。
緊張してしまうだろうから、僕は上手に言えない気がするんだ。
自宅に伺うと約束したのは昼前の十時。料理を教えてくれるんだ。僕はあまりしたことがないから、一緒に料理をしようと誘ってくれた。ホテルでの逢瀬ではなく、レストランでの豪勢な食事ではなく、彼のプライベートに入れた気がして僕はすごく嬉しくて。言うなら今がいいって思ったんだ。貴方に伝えるのなら、夜景の見えるホテルでもなく、眺めのいい高級レストランでもなく、貴方の部屋がいいって。
ねぇ、貴方は辿々しく打ち明けるだろう僕の、ずっとずっと言いたかった言葉を、気長にのんびり待っていてくれる? ちゃんと言えるまで焦ったいって思わず、ゆっくり聞いてくれる?
「…………」
今から言おうとしている言葉を――。
「…………よし」
兄と彼、小野池拓馬さんは手を離さなかった。
だからじゃないよ?
兄が幸せになれたから、じゃあ、僕も、ではなくて、僕は僕の気持ちに素直に従って、今、貴方に言いたいって思ったんだ。
僕の初恋の人に、生まれて初めての。
「ふぅ」
深呼吸をして、チャイムを押して、扉の向こうから貴方の声が聞こえて、そして鍵が開く。そしたら、開いた玄関から溢れるくらいの百合の花束を差し出す。あまり間を置かない方がいい。僕はきっと言うタイミングを失ってしまうから、開いたら言おう。扉が開いて、彼が現れたら。
「はーい、早かったな」
彼の顔を見たら、すぐに言おう。心臓が口から飛び出てしまう前に。呼吸が止まってしまわないうちに。ずっとずっと言える日なんて、伝えられる日なんて来ると思っていなかった言葉を。
順序なんて最初からめちゃくちゃだ。何もかもが上手にできる貴方にとっては笑ってしまうほど下手でしょう? きっと貴方の恋人になれた過去の女性たちの中でもこれだけ下手な告白はきっとなかったでしょう?
笑わないで。どうか。
「あっ! あのっ……好きですっ……」
「……」
「あ、あのっ」
「……」
「あの」
「……すげぇ大きな花束。これ、さっきインターホンのカメラには映ってなかったけど?」
「み、見えない場所に置いて、インターホン押して、ドア開けていただけた瞬間、走ってそれを取って中に……」
「っぷ」
「わ、笑わないでくださいっ」
「可愛いって思ったんだよ」
忙しかったんだ。すぐに扉が閉まってしまったら、もう一度、貴方を呼び出して開けてもらわないといけないから、インターホンが切れる音がした途端、この百合を抱っこして走って。
「……すげぇ」
笑われた。大慌てだったんだ。どれだけ急いだのかを懸命に伝えたところで不格好だしって。だからムッとした顔だけして、無言で。
そんな僕をじっと見つめて貴方が微笑んだ。
「雪」
前は「手伝い」の時だけそう呼んでくれた僕の名前に、への字でぶっきらぼうに返事をした。
「はい」
「……愛してるよ」
「!」
微笑んで、僕の、ここに来るまでに慌てすぎて少し乱れてしまったんだろう、本当は柔らかくてすぐにセットが崩れてしまう髪を撫でてくれた。撫でて、そっと、花を受け取り。僕だけを抱きしめてくれた。
僕は伝えられたことが、嬉しくて、とても嬉しくて。受け取ってくれたことがとても嬉しくて。
「好きの返事が愛してる、じゃ、なんだか、僕のっ気持ちが下回ってるみたいじゃないですか」
「っぷ、あはははは」
「なっ、なんで笑うんですかっ」
「いや、文句と顔の表情が合ってないから、面白れぇなぁって思ったんだよ」
「だって!」
だって、そうもなるでしょう? 生まれて初めての告白だったのに、なんだか、貴方の方が僕をより好きでいてくれているみたいで、なんだか。
「僕だって、あ、あ、あい、あいっ」
貴方のことを。
「あぁ」
本当に心から。
「愛っ」
「気長に待つよ。今までずっと待ってたんだから」
そう言って僕の唇にキスをする貴方がまたとても嬉しそうに笑うから、僕はまた可愛くない顔をしてしまう。けれど、貴方はそのへの字の唇にも構うことなくキスをくれるから、僕は返事の代わりに彼の背中に腕を回して抱き締めた。
「あの方が弁護士をしている敦之さんの友人の方ですか?」
「えぇ」
「うわぁ、すごいですねぇ。絵になる……かっこいい」
拓馬さんがうっとりとシャンパングラスを片手に並ぶ二人に見惚れていた。
今日は兄である上条敦之の当主襲名パーティーだ。名だたる有名人たちの中にポツンと彼がいたから声をかけると、凄すぎて……と笑っていた。敦之さんはたくさんの人に挨拶をしなければいけないんでしょう? 俺は邪魔だろうからと、そっと端の方にいた。
そんなことはないのにと思うけれど、彼にとっては異次元なんだろう。
「本当にかっこいい……」
「そうですか?」
「えぇ? 絵になるじゃないですか。あの弁護士の方って、その……えっと……敦之さんが教えてくださったんですけど、あの」
あぁ、なんて口の軽い兄だろう。
後で、また出張一つ入れてやろうかな。
ほら、今だって、特定の大事な人はいないんですの? おほほほ、なんて笑っている代議士の奥様に、「おりますよ。ほら、あそこで、私の弟と話している彼がそうです」なんて自慢気に披露してるんでしょ? 全く。
「あ、敦之さんがこっち見た。わっ」
小さく会釈をする彼に兄がたまらなく嬉しそうにだらしのない笑顔を溢してる。一応当主なんだからもっとこう引き締まった顔できませんか? 惚気顔が本当に、もう。
「あ、ほら、雪隆さん! 恋人さんが」
「……えぇ」
ちょ、あの、並んでこっちに手を振らないでくださいよ。僕はそこの兄と違ってここには仕事をしに来てるんです。ビジネスなんですから。
「雪隆さん、綺麗だから、敦之さんの友達の方も気が気じゃないですよね」
「……そんなことないですよ。僕はただの秘書ですし」
「えぇ? そんなわけないです。すごい美人でっ、男性に美人もおかしいですけど」
「……いえ、ありがとうございます」
「男女問わずモテそうですもん。敦之さんも雪隆さんも、あとあの友人の人も」
「……成田環です」
「環さん……名前もかっこいいですね。環さんもモテそうですね」
「えぇ」
素直な人だな。この人は素直に真っ直ぐに、気持ちを言葉にする。
「どちらから交際を、なんて言うんだろう、えっと」
そして、確かに兄がベタ惚れしてしまうくらいに可愛らしいと思う。女性的な可愛らしさじゃなくて、花のような健気さの可愛さ。
「交際ですか? 僕からです。花束を抱えて、ご自宅に訪問した際に」
「えぇ! そうなんですか?」
「あの……何か?」
彼はどうしたのか笑ってる。僕は何かおかしなことでも言ったかなって。
「いえ、敦之さんも俺の部屋に来てくれた時、花束をくれたので。なんか兄弟だなぁって。それにやっぱりお二人ともお花の家の方なんだなぁって」
「……」
「似てるから」
「に、似てませんよ!」
「そうですか? 俺も最初はあんまり似てないって思ったんですけど、今は似てるって思います」
「どこがですか」
「うーん、花が好きなところとか、お互いのことをよく悪口っぽく言うけど優しい声なとことか、あと、甘口なとこと」
「は? 僕のどこが」
「……」
「ちょっと。兄から何を聞いたんです」
あぁ、これは。
「な、内緒です。俺、何も言ってません」
「ちょっと、本当に兄は貴方に一体何をっ」
「いえ、えっと、何も」
これは本当に。
「僕は兄みたいにキザったらしい甘い言葉なんて」
「いいいいい、言ってませんっ、俺、聞いてませんっ」
二人で新婚旅行代わりの海外出張にでも長めに行ってもらうことにしよう。マスコミも周囲の雑音も届かないような遥か遠くの海外がいい。
「あ! ほら、敦之さんがこっちに」
「は?」
「えっと、た、た、なり」
「成田環です!」
本当にしばらく世界一周でもしてもらうしかなさそうだ。
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