2人が本棚に入れています
本棚に追加
私は事故にあった・・・
遠くに父と母が立っていた。
私が近くに行こうとすると、来てはダメと母は手でストップをかけた。
私は立ち止まった・・・
その時、声が聞こえた。
『愛!』・・・
私は目を開けた。
誰かが私の顔を覗き込んでいる。
その女性は必死で『愛? わかる愛?』と叫んでいる。
ナースコールを押している・・・
来てください! 『愛が・・・立花 愛が目を覚ましました』・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
立花 愛 これが私の名前。免許証からわかった。32歳、独身。
交通事故で、1ヶ月目覚めなかった。
私が運転をしていたらしい。
事故は相手側の過失、スピード違反でカーブを曲がりきれず、私の車に衝突をした。
助手席には母が乗っていた。母は、即死だった。
自分の名前も、なぜここ病院にいるのかもわからなかった・・・
記憶喪失になっていた。
私のことを『愛!』と必死で呼んでいたのは、親友だという真紀だった。
なかなか到着しない私を真紀は心配して携帯に連絡をくれた。
そのおかげで私が病院にいることがわかったのだという。
真紀は毎日病院に来てくれた。
真紀の家は信州松本にある。高校を卒業するまで、私も母も松本にいたらしい。
この夏休みに久しぶりに母と2人で松本に行くことになっていた・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1ヶ月前・・・
愛は母に話しかけた。
「お母さん。夏休み、久しぶりに松本の真紀のところに行かない? 」
「あんた、彼氏はいいの? 」
「別れたよ。あんな奴・・・」
「どうして?・・・いい人だったじゃない。もう3年位付き合っていたでしょ。そろそろ結婚かなって思っていたのに・・・」
「あいつさ・・・もう一人いたんだよ・・・付き合っている女がさ・・・向こうに子供出来たらしい・・・バカみたいだよね・・・3年も付き合ったんだよ私・・・まったく・・・」
淡々と語る愛の言葉に母は涙で言葉がでなかった。
「だからさ、久しぶりに親孝行しようかなって。懐かしい松本に行って真紀にも会いたいなって・・・お母さん、付き合ってよ・・・」
「そうだね。松本行こうか。楽しい想い出いっぱいあるもんね・・・お父さんも松本にいるときは元気だったのにね。あのまま松本にいればよかったよね・・・」
「お母さん・・・」
母が亡くなって49日・・・
法要と納骨の日、母の妹が九州からここ松本に来た。立花家の墓は松本にあった。
「愛ちゃん・・・良かった、目覚めて・・・」
叔母は愛の顔を見て涙声で言った。
愛はこの叔母という人のことも覚えていない。
「はい・・・」
「まだ何も思い出せないのかい? 」
「叔母さま。記憶喪失で、一時的なものかどうかもわからないらしいの。無理に思い出させるようなことは良くないってお医者さんが・・・」
真紀が叔母に言った。
「可哀そうに・・・」
叔母は愛を見て可哀そうと言って泣いている。愛は母が亡くなって、この遺骨が母だと言われても実感が無いのだ。
愛は自分が運転していた車に乗っていて母が亡くなったと聞いた。相手の過失だということだけど、それでも申し訳ないことをしてしまったと思った。
49日の法要と納骨が終わった。
「叔母さま、私ね真紀にここにいてもらおうと思います。」
真紀が叔母に話している。
「有難う、真紀さん。そうしていただけると安心だわ。真紀の勤めていた会社には後1ヶ月くらい休むと伝えるわ。真紀さんには本当に良くしていただいて・・・」
「私は愛の親友だから。」
「本当に有難う。真紀さんよろしくお願いします。」
「愛、真紀さんのお宅で静養してね。私は明日戻ってしまうけど、何かあったら連絡してね。」
「わかりました。」
愛は叔母にそう言って頭を下げた。
叔母は、母の妹で2人姉妹だという。九州に嫁に行ったらしい。
・・・何もわからない・・・何も思い出せない・・・
不思議なもので、歩く・食べる、歯を磨くなど日常生活に係わることは覚えているというか自然に出来る。でも、それ以外のことはわからない。鏡を見て自分の顔も初めて見た。
愛はこれからどうしていけはいいのか、わからなかった。
病院には真紀が付き添ってくれた。あせらずゆっくり生活してとしか言われなかった。
真紀の家は農家だった。今のシーズンは朝早くに収穫をして、畑の手入れをして昼過ぎには終わった。愛も少しだけ収穫のお手伝いをした。
約1ヶ月、愛は真紀の家で生活をして身体は元気になった。でも記憶は何も変化が無かった。
愛は真紀に聞いた。
「真紀、私が母と暮らしていたところってどこかわかる? 」
「わかるよ。行ってみる? 」
「東京? 」
「そう、東京。愛の勤めていた会社も東京にあるよ。岩井商事という商社。」
「そう。そこにも行ってみようかな。」
「わかった。行く準備しようか。」
「ありがとう。真紀。」
私は真紀のことも思い出したわけではなかった。でも頼れるのは真紀だけだった。
数日後、真紀の旦那さん泰弘が車を出してくれて東京に向かった。
「弘くん、まず会社に行くの。総務部の方と13時に待ち合わせている。だからどこかでランチしてから行きたいな。」
「わかったよ真紀。愛さん、何か食べたいものある? 」
「愛、何でも言ってみて? 」
「私、パスタが食べたいかな。昔から好きだったのかな? 」
「そうだね。良くパスタ食べてたね。弘くん。パスタ! イタリアンの店よろしく。」
「OK。」
3人はドライブインのイタリアンでパスタを食べた。久しぶりの外食だったので楽しかった。
真紀の勤めていた岩井商事に着いた。
総務部と人事部、真紀が事故前にいた秘書課の課長と3名で対応してくれた。こちらも真紀と泰弘さんが同席してくれた。
会社によると、病気や事故で休職したに復職する場合は昔の部署で働けるのだという。但し、今回の場合は記憶喪失なので、昔の仕事は無理なのではと言われた。その為、総務部付けで単純作業などを行ってもらうのが良いのではと提案された。給料は以前と同じだという。
愛は悩んだ。ひとり東京で暮らして、誰も知らない仕事のこともわからないこの会社で働くのは辛いと思った。少し時間がほしいと告げた。
愛と母が暮らしていたアパートに行った。2DKのアパートだった。家に入っても、何も感じなかった。ここが自分の家だとは思えなかった。
真紀は愛に言った。
「愛、この家で愛がひとりで生活するのは無理だよ。会社だって辛いでしょ。愛、うちにおいでよ。家は古いけど部屋はいっぱいある。農家だから野菜もいっぱいあるから食べるものにも困らないよ。愛、悪いこと言わないからうちにおいで。」
「愛さん、そうしなよ。うちにはあと真紀の弟の快君がいるだけだから、問題ないよ。僕はねマスオさんだけど、今は家長だからね。僕が許せば問題ないよね。ネ、真紀さん。」
「そうだよ・・。愛、そうしようよ。このアパートも引き払おうよ。」
真紀と泰弘の気持ちがうれしかった。そうさせて欲しいと思った。
「ありがとう、そうさせてもらいます。よろしくお願いします。」
3人は、直ぐにアパートを引き払う準備をした。
大したものは無かったので、真紀の私物をまとめて車に乗せた。乗らないものは業者を手配して運んでもらうことにした。残ったものは大家さんに頼んで業者に廃棄してもらうように手配をした。
片付けをしていて気になったものが2つあった。パソコンと大量の本だった。(私パソコンが使えて、そして本を読むのが好きだったんだきっと・・・) パソコンと本は捨てずに真紀の家に運んでもらうことにした。
会社には次の日にもう一度訪ねて、退職願を書いた。3ヶ月後が退職日となった。
東京を後にした。
次の日、真紀の家に東京から荷物が届いた。
真紀が私の為に用意してくれた部屋は、母屋の2階10畳の部屋だった。使っていない箪笥、本棚、机を泰弘と快が部屋に運んでくれた。荷物を片づけ、生活できる部屋になった。
先日まで私が寝泊まりしていたのは、真紀と泰弘が使っている別邸。そこは手狭だったので、この母屋に部屋を用意してくれたのだ。
弟の快はいつも忙しそうにしていたので、ちゃんと挨拶をしたことが無かった。
「僕、真紀の弟の快です。よろしく。」
「お世話になります愛です。よろしくお願いします。」
「僕はこの母屋の1階奥部屋にいます。何かあったら呼んでください。叫べば聞こえるから。」
真紀は快の肩を叩きながら言った。
「愛、快は力持ちだし何か頼みたいことあったらどんどん使っていいからね。それと、これからは食事をこの母屋でみんなで食べましょ。作業もこの母屋だから寂しくないと思うよ。」
「ありがとう皆さん。私も明日からお仕事手伝います。」
「無理のない程度にしてね。出来そうなことからでいいからね。」
泰弘も気遣ってくれた。
「はい。ありがとうございます。」
愛は、朝の収穫と市場への出荷の手伝いをした。お昼で終わった。
午後からは暇だった。大量の本があったので、1冊ずつ読んだ。本を読み続けると、読んだことがあると思えた。毎日読み続けた。どれもこれも同じように読んだことがあった。
「真紀、私ね、ここにある本を読んでいるのだけど、本の内容は殆ど読んだことがあると思えた。私本好きだった? 」
「好きだったよ。暇さえあれば読んでた。私本読むの嫌いだったから、宿題で読書感想文書く時、愛から内容聞いて書いてたよ。アハハ・・・」
「そんなことしてたの。真紀ったら・・・」
「懐かしい。」
真紀はそう言って愛を抱きしめた。目に涙が浮かんでいた。
「真紀、あとね、このパソコンだけど使える気がする。少しだけ教えて欲しいの。」
「だったら快がいいわ。あいつこういうの得意だから。待ってて。快~」
「なんだよ~」
「快、このパソコン立ち上げて。愛に教えて欲しい。なんか使えるかもって言ってるの。」
「わかった。ちょっと待ってね。・・・立ち上げるのにパスワードを要求してきてる。愛さん、なんか英文字や数字で思いつくもの無いかな? 」
「わからない・・・真紀、なんかないかな? 」
「誕生日は? 」
「19××0612よ。」
「違うね。名前を前後に入れてみるね・・・それも違うか・・・真紀、愛さんってみんなからは何て呼ばれていたの? 」
「愛、愛ちゃん、アイアイ」
「aiaiだ。誰がこう呼んでたの? 」
「・・・元カレ。高校から大学1年くらいまで付き合っていた。」
「私にそんな人いたんだ。」
「その彼とはね、高校時代に仲が良かった。愛が東京に行ったとき、彼は名古屋に行った。離れ離れになり終わっちゃったんだ。その後ももうひとり彼がいたよ。その人とも別れたけどね。だから今はいないよ。」
「そうなんだ。彼とかいたのね・・・」
「パソコンのトップページからエクスプローラーを見ると、なんだか文章が書かれているwordがいくつかあるよ。愛さんは作家活動していた? 」
快が真紀に聞いた。
「してないよ。でもなんか書いていたのかな? 見せて? 愛も見て。」
「小説かな? 私が書いていたのかな? 」
「わからないね・・・」
「快君も真紀もありがとう。まずは読んでみるね。」
「どう? 使い方わかりそう? 」
「分かる。これは使い方覚えている。パスワードがわかったからもう大丈夫です。ありがとう快君。」
「困ったら呼んで。」
「快、愛には優しいじゃん。」
「うるせーな~」
真紀は快をからかった。
快は真紀より3つ年下の29歳。日焼けをしており、笑うとかわいい顔をしている。でも日焼けしている腕は筋肉があってたくましい。真紀の話によると、彼女は今いないらしい。どうも振られたみたいだと真紀は笑っていた。
次の日から愛は午後になるとパソコンを立ち上げてwordの文章を読み始めた。5つのファイルがあった。軽い感じの恋愛小説が3つ。歴史ものが1つ。もうひとつは書きかけだった。まだ書き始めたばかりなのか、題名だけだった。『別れ』と書かれていた。どんなものを書くつもりだったのか気になった。
新たに何か書いてみようかなと思った。自分の今の状況を少し変えて書き始めた。次から次へと言葉が浮かぶ、物語が展開できる。夢中になった。・・・楽しい・・・
毎日毎日文字を打ち続けた。1ヶ月後には一つの物語が出来上がった。
気が付けば冬になっていた。
真紀はお正月休みで実家に帰って来る同級生を集めて飲み会をすることを計画した。快の同級生も泰弘さんの友人も、みんなでわいわいと楽しもうと思った。愛にも楽しんで欲しかった。そして、愛に友達が出来ればいいと考えた。
年が明け、お正月2日。母屋には12名が集結した。
皆飲んで食べて楽しい時間を過ごした。愛は、思い出話には入れないものの、この雰囲気が楽しかった。少し人酔いして廊下に出た。ひんやりと寒かった。外は雪が降り始めていた。・・・寒いはずね・・・
そこに、快の友人である佐伯が来た。
「愛さん大丈夫ですか? 酔いました? 」
「あっ、佐伯さんでしたっけ。大丈夫です。少し熱くなったので冷まそうと思って。」
「そうですね。熱気凄いですもんね。」
「佐伯さんは何のお仕事をしているのですか? 」
「僕は、東京の出版社で勤めています。」
「そうですか。私本大好きで、毎日本読んで暮らしています。そしてちょっぴり書いたりもして遊んでいます。」
「書いているんですか? 小説? 」
「そんな大したものではありません。」
「読んでみたいな~」
「恥ずかしいからダメですよ。暇つぶしですから・・・」
「最近はライトノベルといって、軽い読みやすい文体の小説や、マンガの原作など、今までの硬い文学ではない分野もあります。一度読ませてくださいよ。もしかしたら愛さんの新しい世界が広がるかもしれませんよ。これ、僕の名刺です。今度このアドレスに送ってください。待っていますよ。」
佐伯は皆のいる部屋に戻っていった。
快がやってきた。
「愛さん大丈夫? 佐伯と何かあった? 」
「いいえ、世間話をしただけよ。」
「そう。それならいいけど・・・あいついいやつなんだけど、ちょっと女性にルーズなところあるから・・・」
「大丈夫よ。ありがとう快君。もうみんなのところに戻りましょう。」
この日は夜遅くまで宴会は続いた。帰る者る者もいた。
・・・友達っていいよね・・・真紀、ありがとう。少し元気出たよ・・・
正月が終わり元の生活に戻った。でも農家の冬は暇だ。
愛は悩んだ。
この記憶が戻らない今、何の仕事が出来るのだろう。このまま真紀の家にいたいと言えば真紀はそうさせてくれるのだろう。でもそういうわけにはいかないよね。外に出て働かないと稼げない・・・何が出来る?
もし、万が一、私の書いた小説がお金になるなら・・・それはうれしい。でもそんな簡単なことではないことはわかっている。でも、万が一と言うこともある。だめならダメであきらめにもなる。一度、佐伯さんに送ってみるべきかも・・・
メール・・・契約しないと送れない・・・プロバイダーの契約にもお金がいる・・・快君に相談してみよう。正直に・・・
「快君。相談があります。」
「愛さん。改まって何? 」
「実はね。お正月に佐伯さんに私が小説を書いていることを話たの。そうしたら、一度送ってみてと名刺をくれました。私の書いているものなんて、ただの暇つぶしで自己満足だから、送る気は無かったのだけど、私このままだと自分でお金を稼げない。真紀や皆さんに甘えているだけ。だから、ダメかもしれないけど一度佐伯さんに私の書いた物送ってみようと思います。それで、このパソコンでメールを送れるようにしたいのだけど、どうしたらいいかと・・・」
「そうか・・・佐伯とそんな話をしていたんだね。愛さんの気持ちはわかったよ。そして、小説のことだけど先ずは僕に読ませてもらえないかな? これでも僕は本好きなんだ。結構いろいろな分野の物読んでいる。どう? 」
「知っている人に読まれるのって恥ずかしいけど、でもお願いします。正直な感想教えてください。」
「パソコン見るよ。」
「はい。」
快はパソコンを開いた。
小説が7個入っていた。そのうち2つは未完成だった。快は更新日時の古い物から読んでいった。
5話全てを読むには結構な時間がかかる。快は何も語らずひたすら読み続けた。
「読み終わったよ。僕の意見言うね。」
「はい。」
「僕は素人だから参考意見として聞いてよ。ここにあるもので古い物、そう愛さんが記憶喪失になる前の物、これは正直面白くない。なんだか、ただ自分の気持ちを代弁しているみたいで僕には響かなかった。でも、最近書いた物、これはなんだか迷いがあったり人間くさいというか、先を読みたいと思わせた。」
「ありがとう。」
「それでね。佐伯に送るんだったらこの一番最近のにしたらいいと思う。先ずこれを送ってみようよ。僕のパソコンはメールを送れるから、そこから送ったらどうかな。佐伯とのやり取り僕も見えてしまうけどそれでも良ければ・・・」
「快君ありがとう。そうさせてもらいます。」
この日はもう遅かったから明日送ることにした。
次の日、快はUSBをくれた。
「愛さん、これに送る小説入れて。出来たら僕の部屋に持って来て。」
「わかりました。」
快は自分のパソコンでメールを立ち上げてくれた。
「愛さん、この先出来る? 」
「ありがとう。大丈夫です。」
私は、佐伯にメールを送った。
— 佐伯さん、先日は楽しい時間をありがとうございました。皆さんと過ごした時間は楽しかったです。
— その時、私が調子に乗ってお話した小説の件ですが、ダメ元で見ていただきたくお送りいたします。
— 図々しくて申し訳ございませんが、プロの方に見ていただければこの先の良い判断になると思います。お手数おかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。
— 立花 愛
数日後・・・
「愛さん、佐伯からメール来ているよ。」
— 愛さん、お返事遅れました。佐伯です。
— 勇気を出して小説を送ってくれてありがとうございます。
— 僕と、ライトノベルの担当の者と2人で読ませていただきました。
— 結論から言います。
— このままでは難しいです。でも、少し文章の癖や物語の山の作り方を変えていけば、0ではないと担当が言ってくれました。
— 一度担当とお伺いしてお話したいと思うのですがいかがですか? 先ずは休みの日にそちらに遊びに行くという形で。
— よろしければ、快や真紀さんにお話しいただきOKを取ってください。
— ご連絡お待ちしています。
— 佐伯
「愛さん、どうする? やってみる? 」
「トライしてみたいわ。」
「わかった。真紀には僕から話すよ。」
快は真紀にいきさつを話してくれた。そして真紀は喜んでくれた。
「愛、すごいじゃない。やってみなよ。」
「そうね。やるだけやってみる。」
土曜日、佐伯と担当の星野が松本にやってきた。
「快いるか~」
「おー佐伯。今回はいろいろありがとうな。」
「別にお前の為にやっているわけではないさ。愛さんは? 」
「愛さ~ん。佐伯が来たよ~」
「佐伯さん、遠くまでありがとうございます。」
「愛さん。こちらライトノベル担当の星野。」
「星野です。よろしくお願いします。」
「星野は作家と共に作品を仕上げていくという編集者なんだ。だから厳しいと思うけどいろいろ教えてくれるし、形にしてくれると思うよ。」
「愛さん、頑張っていきましょうね。」
星野は、小柄でメガネをかけた優しそうな人だった。でも言うべきことはしっかり言う。頭の回転が速いという印象の人だった。佐伯と星野は月曜日迄会社に休みを出して松本に来ていた。
佐伯の家は、真紀の家からは車では直ぐ、歩いても15分くらいのところにある。星野はそこに泊まることになっていた。
快と佐伯と星野は、すでに飲み始めている。仕事は明日ね~と気楽だ。愛もそこに加わり先日の宴会みたいに楽しい時間が過ぎた。
次の日の午後、佐伯と星野は愛のところに来た。ちゃんと酒もぬけて仕事モードになっていた。
パソコンの画面が大きいので快の部屋で打ち合わせをした。快も聞いていてくれた。
星野か、愛にアドバイスをくれた。愛はそのアドバイスに従って、直す作業をしていくことになった。それと、パソコンでリモート会議ができるように設定して欲しいと言った。快が後ろから、OK! と言ってくれた。
打ち合わせは夕方まで続き、2人は帰っていった。
「快君いろいろありがとう。快君のおかげです。」
「愛さんこれからだよ、頑張ってね。」
「はい、頑張ります。リモートの件とか、どうすればいいかしら。」
「愛さんのパソコンでメールとリモート会議が出来るようにしよう。」
「ありがとう。私貯金があること思い出したので、それでお願いします。」
「たいしてかからないよ。そうだな、一緒に買い物行って準備しよう。」
愛は少し踏み出せた気がしてうれしかった。
快は町のパソコン機器が売っている店に連れて行ってくれた。そしてメールが出来るように契約を手伝ってくれた。そして、ディスプレイだけならそんなに高くないので大きいものを買った。その他パソコン周りの小物も買った。どんどん準備が出来ていく。・・・うれしい・・・
愛は星野のアドバイスを基に小説を直していった。
星野は定期的に連絡をくれた。アドバイスをくれるときはリモートにして、顔が見える打ち合わせをしてくれた。人とのつながりが感じられてうれしかった。
佐伯は何かにつけて愛にメールをくれた。段々と恋人のように、毎日のメールが日課となっていった。
ある日・・・
「快君、今度の休みに佐伯さんが来るらしいですよ。」
「えっ? 愛さんに連絡してきたの? 」
「はい。快君には連絡ないですか? 」
快は焦った。あの野郎、愛さんのこと・・・
佐伯が来ると聞いたので、その時間に快は外で待っていた。
「佐伯、お前何しに来た? 星野さんは一緒じゃないのか? 」
「ちがうよ、今日は僕が愛さんに会いに来た。来ちゃダメか? 」
「お前、愛さんのこと・・・ちょっと来い!」
快は佐伯を家から離れたところまで腕を掴んで引っ張っていった。
「お前、どうせ興味本位だろ。記憶喪失のちょっと綺麗なお姉さんって! 」
「悪いかよ。お前の彼女じゃないだろ。それともお前たち出来てるのか? 」
「そんなわけないだろ! 」
「ひとつ屋根の下に住んでるんだろ? おかしくないか? お前がその程度なら俺が奪うさ。」
「待てよ。ダメだ! 俺のもんだ! 」
快は佐伯の胸ぐらを掴んだ。
「手を出してないやつが何言ってんだ! 」
佐伯は快の手を払った。
「クソッ。とにかく手を出すなよ、わかったな。今日は帰れ! 愛さんには伝えておくから。頼むから帰ってくれ! 」
佐伯は快の勢いに負けて帰っていった。
快はいらだっていた。もし僕が愛に手を出して嫌われたら・・・愛はこの家にいられなくなる。真紀にも気まずい。だからずっと我慢してきた。どうすりゃいいんだ・・・
快は悩んだ。真剣だった・・・
数日悩んだ末に、真紀に気持ちを打ち明けることにした。上手く愛に聞いてもらおう。その方がきっといい・・・
「真紀、ちょっといいか? 」
快は真紀と泰弘さんの別邸に行った。
「快、珍しいじゃない。どうしたの? 」
「ちょっと話がある。いい? 」
快は真紀に自分の気持ちを伝えた。ずっと愛にこの家にいて欲しいから、自分の気持ちを直接愛に言えないことを・・・
「わかった。ちょっと驚いたけど・・・バカな事しなかっただけでも偉いわ。あんたにしては上出来よ。それに・・・愛のこと考えてくれてうれしい。私もずっと愛にはここにいて欲しい。それに、もしあんたと愛がうまくいけば、それに越したことは無いと思う。快、姉ちゃんか上手く愛に聞いてみる。それまで手出すんじゃないわよ。わかった? 」
「わかったよ。でも早くな。俺我慢できなくなるかも。佐伯も狙っているし。」
「佐伯も? もーまったく・・・あんたたちときたら・・・」
真紀は愛を買い物に誘った。
「愛。たまには女同士で買い物行ってランチして、美味しいデザート食べようよ。」
「楽しそう。行きたい。」
2人は松本市内に出かけた。美味しいランチを食べながら、真紀は話を切り出した。
「愛、最近小説はどうなの? 」
「星野さんがアドバイスくれて、その通りに直している。星野さんってといも厳しいけどやさしさからの厳しさってわかっているから、うまくいっているよ。」
「それって、恋心? 」
「そんなことないよ。仕事だけ。星野さん彼女いるって、うまくいっているらしいよ。佐伯さんが言ってた。」
「佐伯はどうなの? 」
「佐伯さんは楽しい人。私に小説の扉も開けてくれた。感謝している。でもただの年下の友達ってとこかな。」
「そう、良かった。佐伯はいい奴なんだけど女癖悪いって噂が昔からあって心配してたの。」
「快君も同じこと言ってた。心配いらないよ。大丈夫。」
「ところで、快はどうなの? 」
「快君?」
愛は顔を赤らめた。
真紀は愛の顔を見て、まんざらではないと思ったので思い切って言った。
「あのね。私は、愛が快とうまくいけばいいと思っているの。そうすればずっと私たち一緒に居られるし。愛がどうなのか知りたくて。年下は興味ない? 」
「私、快君にはホント感謝している。いつも親切にしてくれるし、頼りがいがある。年下という感覚もない。一緒にいると楽しいよ。」
「それって恋 ? 」
「そうなのかな ? ・・・そうかも・・・」
また愛は顔を赤らめた。
「そう。良かった。愛、頑張れ。応援するよ。」
真紀は、うれしかった。あとは快が告白すればうまくいく。快、頑張れ~
真紀は快に伝えた。快は真っ赤になっていた。かわいい弟だ。
「快、しくじるんじゃないわよ。お膳立てはしてやるから。」
真紀は快の背中を思いっきり引っ叩いた。
絶好のタイミングが訪れた。真紀が行動に移した。
「愛、明日私と弘くんは家を開けます。明後日の夕方帰ってきます。2人共通の友人のお父様が亡くなったのでお葬式に行きます。山梨だからそんなに遠くは無いんだけど、葬式と告別式に出てこようと思うの。だからわるいけど快と留守番していてね。」
「わかりました。お気を付けて。」
真紀は快に伝えた。
「日帰りできるところを泊りにしたんだからね。しくじるなよ! お膳立てはしたわよ。このバカ弟。」
「わかってるよ。」
快はめいっぱい照れていた。
快はどう攻めようか必死で考えた。失敗は出来ない・・・
「愛さん、真紀から聞いていると思うけど、明日の晩2人だから、美味しいレストランに行かない? 松本市内のはずれにある地産地消のイタリアンレストランなんだけど。愛さんイタリアン好きって聞いたから、どうかな? 」
「うれしい。行ってみたいです。」
「じゃ、18:00出発ね。」
「はい。楽しみです。」
愛は、夜2人っきりで家で食事をするのは気まずいと思っていたので、なおさらこの誘いに乗った。
次の日、真紀と泰弘はお昼過ぎに車で出かけて行った。
愛は、今日の夜何を着ようかと数少ないタンスの洋服とにらめっこをした。
「愛さん、準備できた? 」
愛は快のちょっとおしゃれないつもと違う恰好にドキッとした。
「愛さん、そのワンピース素敵だよ。さ、行こうか。」
この前、真紀と買い物に出たときに買ったワンピースだった。
快は家の戸締りをして、駅の方向に歩き出した。
「車じゃないの? 」
「僕も飲みたいから、今日は電車。」
「そうね。車じゃ飲めないものね。」
2人で駅まで歩いた。こうして並んで歩くのも良いもんだなと思った。
レストランは松本の駅から少し離れたところだった。駅からはタクシーで行った。
レストランはブドウ園に隣接していて、素敵な佇まいだった。
「素敵・・・。快君ありがとう、ホント素敵よ。」
「よかった。気に入ってもらって。味も気に入るといいね。」
愛と快は楽しく食事をした。料理に合わせてハウスワインが提供された。それは防腐剤が入っていないこともあり、軽めで口当たりがよい。2人とも結構飲んだ。
デサートも食べて店を出たのは10時近くだった。
「美味しかったね。」
「ホント美味しかった。快君にはお世話になっているから私が払おうと思っていたのに払わせちゃってゴメンナサイ。ごちそうさまでした。」
「愛さんには作家になってお金が入ったら、今日の何倍もごちそうしてもらうよ。楽しみにしているからね。」
「そうね、頑張らなきゃ。待っていてね。」
「お待ちしていますよ~」
快との会話は楽しかった。昔からの友達のようだった。
2人はタクシーで家に向かった。
タクシーの中ではずっと今日の料理の何か一番美味しかったか、どれに驚いたかなど思い出しながら話した。楽しかった。時が止まればいいと思った。
少し話が途切れた時、快は愛の手を握ってきた。大きな暖かい手だった。
愛は、悟った。うれしかった。
快は家の鍵を開けて、家に入った。
「愛さん・・・」
快は愛を抱きしめてキスをした。快の身体はたくましく暖かかった。
「愛さん、僕の部屋に行こう。いい? 」
愛はこくっとうなずいた。
快はさらにキスをした。そして2人は快の部屋に消えた。
その夜、2人は結ばれた。一肌に触れる心地よさ、愛にとっては久しぶりの安らぎだった。とにかく快の腕の中は暖かかった。このままずっとこの腕の中にいたいと思った。
次の日の夕方、真紀は帰ってきた。
真紀は、車の中から携帯で快を呼び出した。
「快。荷物取りに車に来て。」
「わかったよ。」
真紀は車の横で、小声で言った。
「快、どう? うまくいったの。」
快は真っ赤になって、
「お蔭さまで・・・」
真紀は思いっきり快の背中を叩いた。
「痛ってーな~。」
「良くやった! さすが私の弟!! さーてと。今日は宴会かな。山梨でいろいろ買ってきたからね。快、手伝いなさいよ。」
「おぅ! 」
その日4人で楽しい夕食を取った。
「愛! お誕生日おめでとう!!」
「真紀・・・ありがとう。今日誕生日なんだね。なんか変な感じ・・・」
「いいの。さっ、ケーキのロウソクの火消して。」
「ありがとう。ホントうれしい・・・」
愛は真紀の気持ちがうれしかった。快も泰弘もお祝いしてくれている・・・涙が出てしまう・・・
「じゃあね。別邸戻るよ~お休み~。お2人さん、仲良くね~」
と真紀はからかった。
2人とも真っ赤になった。
その夜も愛は快の部屋で過ごした。
快は幸せだった。
快は佐伯にメールをした。
— 佐伯
— 愛はもう俺のものだ。
— 絶対手を出すなよ。
佐伯からの返信は、
— 遅っせーよ。バカ!
その一言だった。
愛と快は楽しい生活を送っていた。
愛と快の入籍は、愛が記憶喪失の状況でしていいものか悩んでいた。2人で相談の結果、事故から1年経って、母の喪が明けてからにしようと決めた。
もうすぐ事故から1年と言う頃、愛と快は松本市内に車で買い物に来ていた。愛の洋服や、お揃いのカップなど、2人でいろんな店を見て買い物をした。なんとも甘い時間だった。
駐車場で車に荷物を乗せ、愛は助手席側に回った。
その時だった、小さな男の子がいきなり走り出したのが見えた。向こうから車が来ている。愛は手を伸ばせばその子の手を掴めると思い飛び出した。子供を抱え、助けた。でも愛は、地面に頭を強打した。
「愛~」
快は叫んだ。愛は救急車で病院に運ばれた。1年前運ばれた病院だった。
愛は意識を失っていた。
「先生、愛は? 」
「命には別条ないよ。今は気を失っているだけ。でも頭を打っているから数日入院しよう。」
「はい。よろしくお願いします。」
快は病室で愛の手をずっと握っていた。
真紀に連絡をした。命には別条ないしまだ目覚めていないから朝になったら来てと伝えた。
朝になった。真紀と泰弘が病院に来た。
「快、愛は? 」
「まだ起きない。」
「全く愛は・・・」
真紀はそう言いかけて泣いた。
快は愛の手をずっと握っていたが、ギュッと力を入れた。
するとピクッと反応があった。
「愛! おい愛! 起きろ! 」
「快・・・ここは? 」
「良かった・・・ここは病院。昨日子供助けてケガをしたんだ。」
「あっ真紀も・・・ 来てくれたのね。」
「もー、また記憶喪失になったらどうしようと思ったよ。」
「本当だよね。もう勘弁・・・・・・。真紀・・・・・・私・・・記憶戻ったかも・・・」
「ホント? 愛、ホントなの? 」
「多分・・・」
「先生呼んでくる。」
真紀は病室を飛び出していった。
快は聞いた。
「僕の記憶あるよな? 忘れたなんて言うなよ。」
「・・・・・・誰?・・・」
「えっ? 愛・・・」
「ふふふ 快、バカ! さっき快って呼んだでしょ。」
「もー、俺が心臓止まっちゃうよ。悪い冗談やめろよ~」
「快、 あの男の子どうした? 」
「無事! 肘を擦りむいただけ。親御さん泣いて喜んでいたよ。愛は優しいね。でも、もう無理しないでくれよ。俺が死んじゃう・・・わかった? 」
「はい。もう無茶しません。」
快は愛の頭を撫でた。
真紀が先生を引っ張ってきた。
「頭は痛くない? ぼーっとしていない? 」
「はい。痛みは殆どありません。ぼーっともしていない。むしろ最近よりクリアな感じです。」
「眼はどう? かすんだり、見えずらいところとかない? 」
「大丈夫そうです。」
ライトで愛の目を追わせている。
「記憶が戻ったかもって聞いたけど、何でそう思ったの? 」
「真紀の顔を見たときに、高校時代の思い出とか、友達のこととか、母のこととか・・なんだかいっぺんに頭に浮かびました。母の亡くなったこと・・・寂しい・・・お母さん・・・ゴメンナサイ・・・」
愛は泣いた。感情がいっぺんにあふれた。
「愛は悪くないよ。」
真紀は愛に抱きついて、一緒に泣いた。
「大丈夫そうだけど、明日もう一度検査して問題なかったら退院していいよ。でも気を付けて生活してね。彼氏君。無理させちゃダメだよ。」
先生は笑って、病室から出ていった。
記憶が埋まった。思い出したくない過去も思い出した。でも、前に戻りたいとは思わなかった。
快がいる、真紀もいる。今が一番幸せだから・・・
End
最初のコメントを投稿しよう!