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作戦その1
人の姿で生きることが必ずしも正解とは限らない。あなたはあなたの自由を貫き通せば良いのよと言われてから、赤子が学校に入学してしまう程度の年月が過ぎた。
猫の姿になれる形質を色濃く継いだ自身へ、進路に悩んでいる時に掛けられた言葉だった。――猫として生きても、亜人が多く暮らす国に移住しても、完全に人として生きてもいい。普通かどうかなんて野暮なことは考えず、好きなようにしなさい。
同族からの助言とどちらにせよ援助するという確約はたしかに心強いものになった。
スイは猫獣人だ。
人にも猫の姿にもなれる。普段はふわふわのしっぽもみみも隠して、グレーの髪を晒している。ちゃんと働いていて、一応軍人だ。身体能力がとても高いから、魔法が使えないけれど採用された。
獣人というのは真っ直ぐでひたむきで、少々大雑把な性格の者が多い。個人差も種の違いも関係するが、だいたいは魔法を行使することが苦手だ。魔力が体内を動くとむずむずする。だから魔法が上手な人を尊敬するし、自分が使えないとわかった子供は親に向かって叫ぶ。「どうしてボクはわたしは魔法が使えないの?!」って。
少なくともスイはそうだった。汚れるのは嫌いだから地面に転がるなんてことはしなかったが、毎晩魚料理を出さないと眉が曲がりっぱなくらいには機嫌が悪くなってしまった。街の上空を飛行する魔法使いを見ていたくなくて、外出を渋る程度に。
買い物に行こうと誘っても地面ばかりみつめるような我が子に、両親は家庭教師をつけてくれたから、必死の頑張りで生活魔法くらいはお手の物になった。それでも手のひらぐらいの大きさにしか水や炎を出せないのだから、獣人はちょっとばかし不器用さんに違いない。
魔法を教えてくれた先生は「獣人が?」と馬鹿にすることなく付き合ってくれて、おまけに初歩中の初歩である水球が出せたときなんて大喜びしてくれた。
「凄いです、スイ!」
どうやら獣人の不器用具合は魔法使いにも知られているらしい。いち段階進むごとに褒められ喜ばれ、同時に獣人の生態についても教えてくれたから、スイは自分の理想と現実に折り合いをつけることができた。
それでも魔法への憧れはなかなか消えず、この年まですくすく成長した。ふとした時に幼い頃から抱く羨望が顔を出して、きゅっと胸が上下する。
いまも同僚がさらっと風を出して、座ろうとしている木製のベンチを綺麗にしてくれた。この気軽さが羨ましい。というよりもズルい。
巻き起こった旋風はくるりと一回転して葉を一箇所にまとめた。
「ほら、スイ。お昼休憩終わっちゃうよ?」
「あ、ごめん」
視線に気がついた同僚達が、軽く笑って次々にスイを励ます。獣人だと知っても朗らかな人間ばかりのここではむしろ「身体能力えぐい」「変身できるのすごい」とおだてられ、魔法への憧れを過度に茶化すことなく扱ってくれる。
分厚いベーコンとかりかりの目玉焼きが挟まれたトーストを小さなくちで齧りつく。
良い職場だと思っている。お給料も福祉厚生もしっかりしていて、平和な国だから血生臭さい仕事もない。唯一気になることは、高等な魔法との距離がグッと縮まったことだ。市井ではお目にかかれない魔法をぽんぽん出す彼らに、もう、興味と羨望でごっちゃになる。
「俺も魔法使いになりたい」と久々に言って、最大限くちを大きく開いた。猫獣人は種類によるが大半が小柄で身体が柔らかく俊敏だ。後ろふたつはいいとして、スイはあまり大きくなれなかった。平均には届いたが、欲を言えばあと林檎ひとつ分は欲しい。
「おれだって猫になりたいよ。ないものねだりだね、お互いに」
「魔法使いなら猫にもなれるでしょ」
「そんな高等魔法、俺らだって無理だわ。出来なくはないけどやる気しねえ。あと、魔法使いじゃなくて魔道士ね。いい加減訂正させないでくれ」
「細かいなあ。いいじゃん、魔法使い。憧憬と尊敬を全部ひっくるめてそう呼んでるんだけど」
”魔術師”は大戦後からダメで、”魔法使い”は恥ずかしい。彼らの機微と主張を理解できないスイとしては正直何でもいいと思う。実際、書籍によって表記は異なるのだから。
そういうどこかゆるいところがスイの住む国、「アマリア」なのだ。肥沃な地と海を臨む、大陸有数の魔道士国家。妖精の加護を一身に受ける、美しき国。そう吟遊詩人は歌うが、実態は魔法馬鹿の集まりである。
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