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『スイ=ルーリス、至急セシル=アラルドの執務室に来るように』
上司に呼び出されたら、昼休憩の時間であろうとすっ飛んで行かなくてはならない。例えランチが気に入りの店で購入したサンドイッチであろうと、日当たりのよい木製のベンチに座っていようと、だ。
食べかけのベーコン達は同僚に預けて、直属の上司の元へ急ぐ。扉を3回叩いて、「スイです」と名前を告げれば「入って〜」とゆるい許可が降りた。
「お昼休憩の途中にごめんねえ。急に依頼が入ったもんだから」
入室すると、上司のセシルがにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべながら着席を促した。
日差しが金色の髪をより一層きらきらとさせ、緑の瞳が明るさを増す。飴色の机から立ち上がると金糸もふわりと浮いて、光りものが好きなスイは中途半端な空腹を抱えていたことも一瞬で忘れてしまった。
「上が出来るだけ早くってうるさいのなんの」
いまは平時で、戦争が起きたのなんて遠い昔とはいえ何時でものほほんとしている。一応これでも国お抱えの部隊を統括していて、実力があるからこのポストに着いているわけなのだがどうにも根が優しいお人だ。隊員にも大人気である。
セシルの向かい側に腰かけると、一枚の書類を手渡された。
「単刀直入に言わせてもらうとねえ、スイには要人の警護をしてもらうことになったの。上層部の命令だから拒否権はなしかなあ」
悪いけどと本当に思っているのかどうかわからない声色で付け加えられ、スイは神妙に頷いた。わざわざ上が、しかも要人を守れと言ってくるのなら、しがない下っ端は任務を遂行するまでである。
「ですが、どうして俺が?」
生活魔法程度しか使えないスイよりも、よっぽど凄いのが何人もいる。学園卒と呼ばれる、魔法を自由自在に操れるやつらの方がこういった類いは向いているだろう。身体能力には自信があるが、何かあれば空をとんで逃げることのできる彼らには敵わない。国指定の警護対象者を全力で守るとしたら、彼らの方が適任だろう。それくらい、スイにも理解出来る。
「うーん、彼が人間嫌いでねえ。護衛なんか要らないってこっちの提案を却下されちゃって」
「あの、もしかして」
「話が早くて助かるよ。スイには猫として傍にいて欲しいんだ。最近きな臭い連中がいるから、彼に何かあったら怖いんだって」
すごい魔道士なんだよ、知ってる? と尋ねながら、セシルはミルクたっぷりの紅茶を含んだ。
「魔法界の寵児とまで言われているんだけど、ちょっとくせ者でね。ほら、目立つ魔道士ほど狙われちゃうから出来れば人を傍に置きたいんだ。で、抜擢されたのが君なんだよ」
受け入れるかどうかなんて聞かれるまでもなく、当たり前のように首肯した。稀代の魔法使いサマを守ることは大切だ。国にとっても、魔法の発展にとっても。
「でも警戒心の強そうな人がその辺の野良猫を家に入れてくれますかね」
「大丈夫、彼は猫好きなんだ」
「ではいけますね。俺みたいなかわいい猫ちゃんならあっという間に飼い猫になれます」
「うんうん、スイなら誰でも拾うよ。あ、作戦その1でいくから、減量とお風呂禁止ね」
「うっ……が、頑張ります」
作戦そのイチ――弱ったように見せかけて、人の好意につけこみ家に侵入するという単純かつ高い成功率を誇る鉄板の方法だ。致命的な欠点は綺麗好きなスイにとって辛いこと、また拾ってくれなければ終わりということである。
一瞬苦い表情を浮かべたが、上司の前だ、取り繕った。ブルーグリーンの瞳にはしる逡巡を消し去って、懸念事項とこれからやることを思い浮かべる。
「必要な物はある?」
「地図だけ頂ければ」
「もう手配してあるから、すぐに渡せるよ。彼の行動範囲は狭い方だ。彼、ああ、名前を言っていなかったね。ハルミのこと、しっかり守ってやってくれ」
”ハルミ”の発音は呼び慣れたもので、セシルの表情には知己への親しみが滲んでいた。
(ハルミ? 魔法構築学の?)
お知り合いですかと尋ねれば、上司は学園時代の後輩なんだよとひとつ微笑んで必要以上の詮索を封じ込めた。これ以上踏み込むつもりもないので、退出すべく立ち上がる。
「大丈夫、彼は猫好きなんだ」
最後に先程と同じ言葉をかけられた。上司の言う通りであれば、作成の成功確率はぐっと上がるだろう。これからの下準備も報われるというものだ。
取り敢えず物わかりの良い返事をして、スイは人好きする笑みを浮かべた。
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