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この国、少なくともスイの知る限り、飼われている動物は人間の食事の残りや取り分けられた味の薄い物を食べる。スイの実家にいた犬も、柔らかく煮た野菜や肉に喜んでがっついていた。そのことを考えると、まあこれらは何もおかしくない。
「出来たぞ」
出されたのは、何とも言えない見た目の代物だった。不釣り合いなほど立派なお皿に正体不明の品がのせられている。カウチの傍に置かれたそれに鼻先を近づけて、ちょっぴり嗅ぐ。匂いからは正体が分からなかった。
もう一枚にはごく普通のミルクが注がれていたので、それにはほっとした。流石に連日の無飲無食は堪える。乳白色の液体をぺろりと舐め、味に問題がないことを確認した。
「……ミルクの方が好きか」
真っ先に口にしたから、そう呟かれた。いや、でもだって、と言い訳が浮かぶが、ひげ付きのかわいいくちは「にィー」と腑抜けた音を出す。
(お腹壊さないといいけど……)
獣人は人間よりも肉体的には丈夫とはいえ、パッと見で判断のつかない物を食べるには勇気がいる。けれどスイは食べた。パクリと、小さく。
(あ、煮すぎた芋か。よかった……)
正体は、でろでろの芋。
煮すぎて形なんて原型をとどめていないし、水で炊いたのか自然本来の素朴な味わいだ。猫になると味覚が鈍るとはいえ、塩気の欠片もない。
でも、おそらく。
普段料理なんてしないのであろうハルミが、猫でも食べられそうなものを一生懸命考えた結果がこれなのだろう。そう思うとなかなか悪くない。地方での訓練で経験したレーションよりもずっと美味しいと思う。
「お前はミルクが好きみたいだな」
それでもこっちの方が美味しいから、ついつい飲み干してしまう。欲には正直なのだ。
好きだから毎食寄こせの意味を込め、みゃっと鳴けば、ハルミはひげに水滴がついていると言って風を送ってきた。
食事をすると眠気が来て、くわりとあくびを零す。前脚の毛づくろいをしながら、さも生粋の猫を装ってこれからのことを考えていた。
上司には出来るだけハルミと行動を伴にするよう命令されている。普段用もなく外出はしないらしいが、王立の魔法学園に非常勤講師として勤めているとのことだから次の出勤日までには距離を詰めたい。週の初め、1日だけなのでまだ時間はある。とはいえ片手で数えられる程度の日数で、どこまで気を許すかが問題だ。
中身は成人して数年の青年だが、ハルミはとってもかわいい猫だと思っている。アマリアは比較的亜人が少ないので、まさか猫獣人が家にいるとは考えまい。
「眠いのか?」
お風呂上がり、濡れた髪をサッと乾かしてソファーベッドに腰掛けたハルミは、じーっとこちらを観察していた。一応カウチと床には分厚い本が2冊挟まる程度の隙間があるので、少し離れると観察も可能だ。ハルミはそれに気がついて、一度座った後まったく動いていない。ベッドが必要かもしれないなとの呟きをひっそりと否定しながら、丹念に前脚を舐める。
(あんまり見られるとやりづらいなあ)
スイが芋を芋だとわからなかったように、ハルミも猫が猫獣人だと気づくはずがない。けれどハルミはとても凄い魔法使いなのだ。いまは見破れずとも、あの褐色の瞳ならいつか偽物かどうか見分けられるようになってもおかしくない。
魔法は不可能を可能にする。
砂漠に水を、一瞬の移動を、妖精との対話を現実のものとしてきた。並の人間には考えの及ばない力を発揮するから、魔法使いは独自の地位を確立することができた。
みみがぴくりと動く。衣擦れの音を拾い、忙しなく反応する。ハルミが灯りを消したから、部屋は一気に暗くなった。ぱち、と瞬きを繰り返せば、夜目に切り替わるので問題はない。
「おやすみ」
暗闇の中で光っているであろうスイの目を見つめながら、ハルミは横になった。
カウチの下でごろりと反転し、丸くなる。月の代わりに黒の布地が視界いっぱいに広がった。
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