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悪くない
ハルミとの生活を端的に表せば、”悪くない”の一言に尽きる。
彼は本当に猫が好きだったようで、スイが迷い込んできた次の日には必要だと考えた物を一通り揃えた。もちろん外には行かず、誰かに連絡を寄越して。
数種類の首輪や小さめのクッション、ブラシに食料品などをすぐさま取り揃え、スイを飼うつもり満々だと暗に伝えてくる。
無理に触れたり、至近距離でじろじろ見てきたりすることない。猫を飼った経験はないそうだが、ハルミなりに模索してくれていた。
また現飼い主であるハルミが買い物をしたようで、平織りの絨毯の上にいい匂いのする紙袋が置かれていた。仮の居住から出てくると、「気になるのか?」と尋ねられる。鼻先を側面にもってくると、紙袋特有の匂いに混じってとても美味しそうな気配がした。
「魚を干したものだ。港の方から取り寄せた……やはり、猫は魚に引き寄せられるのか」
(……魚?! 干物! ハルミさん大好き!)
肉も芋も野菜もそれなりに好きだが、やはり魚には敵わない。猫の優れた嗅覚は、魚特有の匂いにしっぽをぶんぶん振って平伏するのだ。
きゅうぅうと喉を鳴らせば、ハルミは嬉しそうに小さな魚を差し出した。
――魚だ。魚は素晴らしい。久々に食べる御馳走はすぐになくなって、おかわりを要求する。紙袋を前脚でかりかりすると、ハルミは先程よりも少しだけ大きな魚を取り出した。
(早く!)
きらっきらした瞳で見つめると、ハルミは魚をこちらに近づけて、そっと離した。
腕は彼の身体に戻っていく。うん、食べ物で釣ろう作戦だ。そうに違いない。距離を縮めたいのだろう。ハルミがスイにまともに触れたのは、お風呂に入れたときだけ。かわいい猫ちゃんを前にちょっぴり欲と意地悪が芽を出してもおかしくない。
「にゃー」
ハルミに近づいて、手の甲に頬ずりし、パクっと魚を咥えた。くちが小さいから食べにくくて、はふはふ言いながら噛もうとしていると、魚の尾を持ってくれた。奥歯からかじりついて、あっという間にふたつめも食べ終えてしまう。再度のおかわりを期待したが、また明日と言われてしまった。
しっぽをぱたぱた地面に打ちつけて、んなぁあ゛と抗議したが、ハルミは思いのほか頑固だったので諦めた。
彼は紙袋をスイでは届かない棚に置いて、一室につながる扉をあけた。足元にまとわりつくように歩いて着いていくと、するっと入り込む。ハルミは仕方ないなという風に笑って許すので、スイは前回見つけた観察スポットに収まった。
大きな飴色の机には本や製本されていない紙、インクに資料が置かれている。基本的に綺麗好きだからか整理しようという意思は伝わってくるが、物が多くて散らかり気味だ。
ここはハルミの仕事場である。
魔法使いというのがどういった仕事をしているのか正直よくわからないので、やっていることはスイにとってちんぷんかんぷんだ。新しい魔法の研究や古文書の解読あたりを想像しているが、魔法基礎学を履修していないので推測すらおぼつかない。
ふす、とはなを鳴らす。
古そうな本を眺めているだけで、読めもしないのに眠たくなってきた。
首にまかれた濃い青のリボンを巻き込みながら、窓の傍で丸くなる。
ハルミは意外と着飾らせる趣味があるようで、スイは愛らしくラッピングされていた。革の首輪より楽なうえ、ひょこひょこ揺れる先端をつい追いかけたくなるので気に入っている。
(悪く、ない)
(猫の姿も楽しい、のかなあ)
人として生きると決めて、早十年。
軍属になったことにより、自ら猫獣人としての能力を活用することもままあったが、それらすべてはあくまで仕事の一環だった。おとなしく『愛玩される』状況は、いまが初めて。
ハルミの侵入防止結界の中で仕事であることも忘れて、ただゆるやかな流れのままに生きるというのは。
(ある種、新鮮かも……)
肉球に近づくにつれ、青灰から白にうつりかわる前脚にあごをのせ。
ハルミが動かすペン先を見つめながら、スイはそんなことを考えていた。
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