03 花屋にて

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03 花屋にて

 例のバイトの際に織田家のあれこれなどについてとことん教えてくれたゼミ友達の柏原祐子に「デートの申込み」があった旨のショートメッセージを送る。 「名鉄の優待券、こないだのバイトで貰ったんだけど持ってる?」 「あー…僕はJRなんだよなあ」  名鉄とJRの間の隙間のような空間に立っている花屋の前で、ふたりは顔を見合わせる。 「宗一君、おじさんとおばさんにお花を持っていくんだけど、どんなのがいいかな」  宗一少年が答える。 「おじさんもおばさんも、一寸洒落た人たちだったの。身なりや、お金や、そういうのとは……違って、不思議でたのしい人たちだったの」  里香が店内を見回して呟く。 「あれとか?」  色も形も他のコーナーより一際鮮やかな花達が固まって置かれている南国の植物コーナーである。 「さっき資料読んだけど……うん、なんか、こう、型とか枠に………はまらない花束がいいなって」 「君はすごいなあ。華道とか、やったことあるの?」  真っ正面から洋一に褒められて、思わず顔が真っ赤になる。 「え、ぜ、ぜんぜん習ったことないけど、大おばあちゃん三味線の先生だったから、ちっちゃい頃は家に花束とか結構あったし……。熱田神宮って結婚式とか多いし、お花の展示も結構あるし……」  熱田神宮の近くに住む里香が、思わず真っ赤な顔でモゴモゴと口ごもってから呟く。 「華やかで良いなあ。僕は書道と歴史以外はホントからっきしなんだよね……」  南国の鮮やかな花をたっぷり集めた個性的な花束を頼むと、店員の女性が少し不思議そうに三人を見てからラッピングをはじめる。 「宗一君の姿も見えてるんだな。あっ通話が来た……加藤だ。……お墓の場所……静岡の、静岡市立沓谷霊園?最寄り駅は………音羽町?どこだろう検索しないと……静岡鉄道?」  花をラッピングして貰っている間に、そっと店の隅でしゃがみ込みスマートフォンを耳に当てながらタブレットを触る洋一を、宗一少年が好奇心輝く瞳できらきらと見つめる。 (……甘粕事件…ね………)  関東大震災の後の流言飛語が元で、親戚とその妻のもとにたまたま身を寄せていた宗一少年は二人と共に憲兵に捕まってしまった。 (大杉栄、伊藤野枝………無政府主義者とか…アナーキストっていわれても全然ピンとこないけど)  だいたいどこの高校でも日本史の授業ではさらっと流す程度にしか教わらない場所である。 (……これ、きちんと教えられる先生が、少ないんだろうなあ)  自分のスマホにも転送した、関東大震災後の混乱や政治情勢をまとめた資料をちまちま読みつつ、里香は溜息をつく。 (連行して取調室で暴行……古井戸に遺体を……宗一君は全然関係ないのに一緒にって……ひどいじゃない…)  タブレットのペンを手にしてきらきらと目を輝かせている年相応の少年。とてもじゃないが伯父と伯母と共に殺されて古井戸に丸裸で捨てられた、そんな陰惨な事件の被害者には見えない。 「………お客様?お花、ラッピング終わりましたよ?」  レジの前で思わず厳しい顔で考え込んでいた里香に、店員が恐る恐る声をかける。 「こちらでよろしかったですか?」 「あっ、は、はい!ありがとうございます。すいませんちょっと考え事してて……おいくらですか?」  そして花束をかかえて店を出ると、名鉄百貨店の地下へ向かう。平日で少し空いてはいるが、やはり大手百貨店の地下なだけあって、人も店も多い。宗一少年が目を輝かせてあちらこちらを眺めてから、一点に目を止めて言った。 「あっ、ロシア語だね」 「ゴンチャロフのことかな。よく気付いたね、宗一君。えっと、ロシア革命で亡命してきたチョコレート職人が日本で開いたお店らしいよ」 「えっ、そうなの?」  思わず里香が目を丸くすると、洋一は笑ってちょっと声を落として言った。 「………就活でここの会社の歴史一式語り倒して受かったロシア史の先輩がいるんだよね……」 「うわ、それは凄い……」  どうやら洋一のゼミには近代史に詳しい人間がかなり多く存在してるらしい。ふと、歳に似合わない懐かしさを含んだ声で、宗一少年が言う。 「……ロシアとか、インタァナショナルとか、大杉のおじさんが、いっぱい色んな事おしゃべりしてくれたの。ちっちゃい船でこっそり海を渡った時のおはなしとか、フランスのおはなしとか、ワクワクするおはなしがいっぱいで!」  大杉栄、思想史でも歴史的事件でも名の知られる「無政府主義者」にして「アナーキスト」。そこだけを聞くと、何だか厳めしく厳しく恐ろしいイメージがあるが、甥っ子の宗一少年にとってはとても『たのしいおじさん』だったらしい。 「……伊藤のおばさんが笑いながら『まだ早いわよお』って庭先で言ってて、ボクはアメリカ育ちだけど、ロシアにも言ってみたいっていったらね、おじさんの娘のマコちゃんが『私も行く!』って。僕と一番仲良しだったんだ。お出かけするときに、上着を借りたんだ。こっちのほうが涼しいよって。お洋服、きちんと返さなきゃ。……ボク、約束守れなかったナア……」  そんな宗一少年の頭を洋一が優しく撫でる。女児用の服をきちんと畳んで小脇に抱えてたのは、そういうことだったのか、と里香はバッグのなかから折りたたみのエコバックを出してやる。 「ほら、これ貸してあげる。お洋服ここに入れようか」 「ホント?!おねえさん、ありがとう!すごいなあ、布がきらきらしてる……」  大正時代を生きた宗一少年にとっては目新しい柄と素材のエコバックに、女児用の服をきちんと入れて持たせてやる。頬が嬉しそうに上気しているのを見ると、なんだかこちらも嬉しくなる。 「よし、じゃあ急ごうか。お墓は4時には閉まっちゃうけど、新幹線で静岡まで行こう。そこからタクシー使えば間に合うよ」 「えっ、新幹線?!」 「シンカンセンってなあに?」 「宗一君を乗せてあげたいんだ。今日の静岡の天気は快晴だから、富士山だって見える、日本でもとびっきり早い列車のことだよ」 「ホント?!」  そして里香にちょっと申し訳なさそうに耳打ちする。 「優待券は新幹線を使うと一回限定なんだ。しかも……どうも『こだま』は目的地で止まらないんだ。帰りは……在来線だけど、いいかな」  予算がギリギリなのだろう。 「大丈夫!折角だし、宗一君に富士山とか、なんかいっぱい見せてあげようよ」  あまりにも理不尽かつ謎の多い事件で命を落とした6歳くらいの大人びた少年。  そんな少年のお墓が名古屋にあったことも知らなかったが、大好きな伯父や伯母に会いたがっている少年を送るのは、仕事と言うよりは何か、不思議な使命感が沸いてくる。  そんな役目を自分に託してくれた、あのたぬきのお寺の兵隊さん達にも、来年のお盆にはきちんと報告しなければならないのだから。
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