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04 新幹線
新幹線の座席を回し、ボックス席のようにあつらえてから、宗一少年を窓側のE席に座らせる。
「すごいや!アメリカでも乗ったことなかったし、蒸気機関車には乗ったけど……」
「新橋発の?」
「ウン!」
お供えのお菓子や花束を抱えて4人席に座ると、何だか家族旅行みたいでなんとなく面映ゆい。鉄道唱歌を口ずさみながら、平日で人の少ない車内をソワソワ見回したり、座席をおそるおそる倒してみては目を輝かせ、座席からテーブルを引っ張り出しては目を丸くする。
「動きだしたら静かにね」
「ハイ!」
なんでこんな聡明な少年が、あんな陰惨な事件に巻き込まれて亡くなる羽目になってしまったのか、悲しみを通り越して、何とも言い難い気持ちになってくる。里香は思わず新幹線の車内販売を呼び止めて、ありったけのお菓子やお茶を買いだした。
「………一緒に、皆で食べよう!」
「ワア、すごいや!」
「アイスクリーム、すっごく固いから気をつけてね」
「アイスクリンもあるんだ!」
なんとなくそんな里香の気持ちを察してくれたのだろうか、斜め前に座った洋一が言う。
「君は本当に優しいね」
「えっ」
「タヌキ寺の兵隊さん達が君を案内した理由、なんかわかる気がするよ」
真顔で言う彼が、自分で照れ臭くなったらしく笑って言う。
「あ、え、えっと、静岡駅で降りるから、それまでに溶けるといいけど。『シンカンセンスゴイカタイアイス』って呼ばれてるらしいよこれ」
「あっ、え?そんなに………あっホントだすごい固い……窓際に、置いとこうか」
「お菓子いっぱい買わせちゃってごめんね。こっちで支払うよ」
「いいよいいよこれくらい!うちのお母さんもおばあちゃんも大おばあちゃんも『尾張名古屋の女たるもの、普段はケチっておいて大事なときには大盤振る舞いせよ』っていつもいうし………」
1着1200円のファストファッションに10万円近い高級バッグをあわせ持つ女子大生が普通に闊歩する名古屋という不思議な土地柄で、何代も続く家の娘さんである。
そういえば例のバイトの最終日に、偶然彼女の家族とはほとんど顔合わせしてしまった。今は亡き彼女の曾祖父ともだ。
岐阜の片田舎の書道教室で生まれ育った歴史好きな自分と、『お盆のバイト』を通じて知り合って、こうして夏の終わりかけの一日を共に過ごしているのはなんとも不思議な気分である。
「そういう考え、なんだかかっこいいなあ」
「そうかなあ………あっでも例の口紅、今日つけてきたの。ほら、伊勢半の紅。熊野筆って本当に使い易くてびっくりしちゃった。奮発しておいてよかった」
思わず唇に目をやると、少しだけ大人っぽい口紅の色が鮮やかに目に飛び込んでくる。隣に置かれた南国の花の様だ。そんなことを考える自分と里香の唇の色にくらりとして、洋一は慌ててお茶のペットボトルに手を伸ばす。
「あれっ……この瓶、ビー玉が入ってないんだ」
そんな彼をキョトンと見ていた宗一少年が、今度は」ペットボトルを手に取って不思議そうに呟く。
「あ、えっと、『ペットボトル』っていうんだ。こうやって開けると、またいつでも開け閉めできて便利だよ」
「わあ、いいナア。ボクの時代にもあったら便利だったのに!このお船のお菓子は舶来製なの?」
「アルフォートって明治だよね?日本製……かな」
「すっごいナァ………僕、アメリカでチョコレイト食べたことあるけど、こっちのほうがずっとおいしい!」
「あっ確かにハワイのお土産でよくマカデミアナッツのチョコ貰うけどさ……あれよりずっと美味しいよね」
「なんで皆ハワイに行くとあのチョコ買ってくるのかなあ………」
どうやら大学もゼミも違えど共に同じ道を通っているらしい。宗一少年が聞いた。
「ねえ、今は、みんな………ニッポンも、アメリカも、世界のどこにでも行けるの?」
洋一が少し微笑んで言った。
「君が生きていた時代よりは、もっといろんなところにいけるよ。でも僕は、君が、君の時代をもっともっと生きて欲しかったなあ………」
「………」
「大正時代の話、もっといっぱい聞きたいな。お父さんはアメリカの貿易をやってたんだっけ。すごいじゃないか。英語は、得意?」
「うん!でも、ボクはお母さまの話す日本語の方が好きで、おじさんやおばさんの話してる、なんか難しいおはなしも、よくわからなかったけど、なんだか好きだったの。………フランスや、ロシアにも、行ってみたかったな。お父さまのお仕事の跡をついで、おじさんやおばさんやマコちゃん達にもいっぱい、こういう美味しいお菓子、持って行きたかったな……」
洋一が微笑んで、丸で兄弟のように、少し淋しげな顔をした宗一少年の頭を撫でて言った。
「……次のお盆が来たら、自由が丘駅から名古屋駅においで。列車が出てるんだ。色んな人に出会えるよ。僕と池野さんが案内してあげるからね。今度は、一緒には乗れないけど、タクシーも用意しておくから大丈夫」
「そういえば東京行きのが出るって言ってたっけ。あ、そうだ、あの兵隊さん達や鎌倉行きの武将の皆さんにも言っておかなきゃ」
「おねえさん、すっごく顔が広いんだね。お父さまが言ってた。色んな人を知ってるひとのこと、『顔が広い』っていうんだって。『顔が広けりャ何でも出来る』っておじさんもよく言ってたの。すっごいなァ」
「そ、そんなことないよ。ほとんど先輩が助けてくれたから……」
一昨年まではまさか自分がこんなにも『限定的』に顔が広い人間になるとは思っていなかった。
「センパイ?僕てっきり、おふたりは将来を誓い………」
二人が一瞬目を見開きかけたその瞬間、ゴーッという音と共に新幹線がトンネルに入る。
申し合わせてもいないのに、里香がさっとチョコを手に取り、洋一がすっとペットボトルを手にする。トンネルを出た瞬間に、すかさず洋一が言った。
「喉かわいてない?」
里香もたたみかける様に言う。
「ほらまだチョコもいっぱいあるよ!」
先程言いかけた言葉をすっかり忘れて、ぱっと目を輝かせる宗一少年に、
「富士山まではもう少しかな。見えてきたら静岡駅。そこで降りるんだよ。でもまだ時間はあるから大丈夫。ほら、あれは浜名湖。海みたいだけど湖なんだよ。うなぎのパイが名物なんだ」
丸で爆弾の導火線を慌てて消し止めたような顔で、洋一が外を指していった。
「うわあおおきい!海みたい!ねえ、ウナギのパイってなあに?ウナギのかたちしてるの?」
「ううん。うなぎを粉にしてパイに混ぜてるんだ。このあたりは餃子も美味しいし、毎日何台もピアノを造ってる大きな工場もあるんだよ」
「うわあ、なんだかすごいナア………!」
「静岡駅行ったら買おうか。うなぎパイ」
「駅ビルがあったと思う」
二人が思わず同時に心の中で息を吐く。
(バイトの先輩だし……うん……)
書道が得意で、歴史に詳しく、小さい子に優しい、大学院生。
(偶然知り合ったのも………)
源義朝公を連れてJR構内にやってきた、少し年下の女子大生。目の下の黒子は曾祖父譲りらしく、その曾祖父は、お盆の秘密列車の発起人の曾孫。思わず前方に目を逸らすと、社内の電光掲示板にこんな言葉が流れてくる。
『今年の冬は新幹線プラス宿泊付きプランのサザンクロスリゾートで!』
(………サザンクロス、南十字星、か)
そんな言葉がふと過る。背伸びして塗った紅が眩しく、率直で、気の優しい名古屋育ちのお嬢さん。これからどんどん星のように輝いていくのだろう。その時自分は、どうしているのだろうか。思わずお菓子に手を伸ばす。
伸びてくる手の袖から、いつも刷り立ての墨の匂いが微かに薫る。
墨を刷いた様な美しい黒い空など名古屋では滅多にお目にかかれないが、熱田神宮の夜の森の奥のような、吸い込まれそうな感じなのだろうか。
書道など小学校以来無縁だったが、目の前のこの『先輩』は一体どんな文字を書くのだろう。博識で、子どもに優しい大学院生。歴史に無知な自分などまだまだ子供に見えるのだろうか。ふと里香は考える。
そして、せっかく曾祖母の代から愛用しているお店の口紅を塗ったのだから、ネガティブなことは考えないようにしなきゃ、と二人に気付かれないように小さく首を振って、自分もお菓子へ手を伸ばした。
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