忘れるが語る

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「ど……」  どうなっているんだ。  これは悪夢か?  いや、違う。現実だ。    自分の中で激しく揺れ動く感情。  そんな中で、ついに脳は眼に命令をする。  “足元を見よ”    足元に存在する現実(ソレ)を確認するように電気信号を送る。  「……ぐっ!」  強く歯を噛み締めた。  黒いロングヘア、白い服の大部分は赤に侵食されている姿が履いている靴の上に転がっている。  見てしまった。  はぁ……はぁ……。  ここまで帰るのに走ったわけではない。  しかし、額から汗が止まることを知らず、呼吸は全力疾走をした後かのように荒くなっていく。  逃げたい―――。  ここから、はやくはやくはやくはやくはやく。  そう思って脳は必死に電気信号を発する。  “走ってこの場から立ち去れ”  しかし、身体は壊れたかのようにその電気信号を受け付けない。  全身は完全に固まり、を見つめる眼も完全に固定化されてしまった。  たった一つ、固定化されず自由でいられるものは意識といったところか。  見たくない見たくない見たくない見たくない。  コワイコワイコワイコワイ。  逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい。  動け動け動け動け。 「っ!?」  次の瞬間――。  そんな崩壊しそうに揺れる心は恐怖というものに染まった。    ヴゥゥゥゥゥゥ――――。  距離にして5メートル。  背後から感じる恐怖。  空気を急激に冷やすその殺気は、俺の背中だけに向けられている。  コツン――。  4メートル。  殺気は歩くような音を放ちながら近づいてくる。  おかしいな、声の出し方を忘れてしまった。  3メートル。  脳は必死に信号を送っているというのに、身体は壊れたままだ。  2メートル。  寒い――。そう感じた。  呼吸の荒さは頂点に達する。  1メートル。  ピタッと、狂うようにしていた呼吸が止まる。  ついに呼吸の仕方さえも忘れてしまった。  そして――――。  殺気は背中どころか、耳元に感じるほどとなった。  “ミタナ”  “ツギハオマエヲ……”  死の宣告をされてた。  耳から脳へとこの言語の処理が伝達されるが、電気信号で身体を動かすことすらまともにできない今の脳では、とても理解することはできなかった。  沈黙と赤い月。  上空は風が強いのか、雲の流れは早い。  月は雲に覆われる。    薄暗い世界が訪れ、目の前に広がる現実も薄暗くなる。  同時に、呼吸が戻り目が動き、身体は意識を置き去りにして背後に迫る殺意に向かって振り向いた。  「はぁ………はぁ……ははははっ」  疲れているのか、月の悪戯か。  そこに殺意どころか、人影すら存在しなかった。    その後はというと、正直覚えていない。  殺意は幻覚だったのかもしれないし、そうでなかったかもしれないが、足元の赤に塗れた人の形には自分の部屋から出てきたもので、まったく理解できない。  鍵を忘れただけでこうなってしまうとは。  気づけば通報、事情を聞かれていた。  状況が状況だ。真っ先に疑われるのは俺だろう。  様々な人の視線が鋭く刺さるように感じる。  しかし、不可解な事に凶器の刃物からは誰の指紋も検出されず、当然俺が―――という証拠も何も出てこなかったという。  誰がなぜ。  殺人現場となってしまった我が家はしばらく立ち入り禁止で調査が続くだろう。  やがて、ある警察官からお願いがあった。        
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