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私の仕事
あのあと、LINEでお互い謝った。
「私も甘いもの苦手って言ってたのに無理やり飲ませたから悪酔いさせちゃいましたね。ごめんなさい!」
「いやいや、怖かったよね。本当ごめん!」
とりあえず穏便に済んでよかった。
翔また私を誘ってくれるかな?
職場に向かいながらLINEを見つめる。
職場に着くと私のお母さんと同世代の相方の保健室の先生が、また細かいことを指摘してくる。
4年ほどの付き合いとなる為、もううまくかわしている。
はじめの2年ほどは喧嘩ばかりしてぶつかっていたものだ。
私は何回も過呼吸になっている。
今まで何人もの先生が辞めている。
校内でもその先生の噂は広まっており、生徒からも心配されるほどだ。
なの就職した時から周りの先生からかなり心配されており、何も頑張っていなかったり失敗していてもそれが他の先生にはバレていない。
その先生も種類は違えど何かしらの発達障害を持っていそうだな。
周りの先生からもそういわれている。
不幸中の幸であり、その先生もこれ以上辞める人が出ないように管理職から指導されている。
私に不満があったとしてもそれを外部に発信する手段を持ち合わせていない。
それいいことに、他の若い先生は厳しいことや理不尽なことを言われつつ揉まれて成長しているのに、
私は努力もしていないし、まるで成長していない。
それを心のどこかで気にしていた。うまく寿退社したらこの問題に直面しないで引退できるかも
とどこかずるいことを考えている。
ADHDの診断がでた時、真っ先に母親と姉に報告した。
「え、なんで今更。検査を受けたらみんな診断がつくものなんじゃない?」
「あんた気にしすぎてるだけじゃない?」
「だって今まで問題なく生きてきたじゃん。」
自分の苦しみが否定されたようですごく苦しかった。
母親もおそらくADHDだ。昔から家はバタバタでゴミ屋敷のようだった。
家の掃除も母がしようとすると、必ず何かに興味が移って進んでいなかった。
父親とも折り合いが悪く、家庭環境は良くなかった。両親が喧嘩してしばらく母に付き添って車中泊をさせられた時もある。
父のことを母が嫌いで、それを子供達に重ね昔からかなり罵られてきた。
変わり者扱いされてきたし、否定されてきた。
今そう言っているのは、責任逃れだ。
昔、私の異常に気づいて然るべき検査や支援をしてこなかったことに対する言い訳なのだ。
「今までいえなかったけど、物もよくなくすし、大学も物凄く努力したことを踏まえるとその努力に見合った
ところは行ってないと思う。ずっと我慢してきた。」
「物を無くすのはあんたが気をつければいい話やろ!」
話にならなかった。
何をやっても否定される。
自分をわかって欲しいだけなのに。
結局この人って自分のことしか考えてない。
どんなに頑張っても認めてくれることないんだ。
私は根はとて暗い。小学校の時は友達が少なかった。
母から、親戚や母の友人の前で、
「この子家ではうるさいのに、学校ではすごく静かなの。
なんで学校で話せないの?」
と答えを仰いでくる。
それが本当に辛かった。
昔の純粋な私はそれでも母が好きだった。少しでも安心させたかった。
中学から無理やり明るくなるように努めた。
わざと面白いことを言ってみたり媚びを売ったり。
頑張ったよ、お母さん。
その後で実家に帰る機会があった。なぜか母は高級ネックレスを私にプレゼントし、
「これを私の形見と思ってずっと身につけてください。」
と言ってきた。
私は昔から元カレにもらったGUCCIのネックレスや姉からもらったヴィトンの財布もなくしたことがあった。
高いものはもう身につけない
と心に決めていた。
勇気をもって診断のことを話したのに、否定された上に私の話しの何を聞いていたのだろう。
私のことを理解してくれない。
泣いてしまったし、私の想っていることは伝えた。
しかし情に流された私は母の望み通り肌身離さず数ヶ月身につけたが、あくる日失くしてしまい、かなりショックを受けてしまった。
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