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七月初め、梅雨が終わり夏が始まる。
異常気象というやつなのか、ここ十年ほど梅雨の終わりが早まっていた。
それも最後に酷い集中豪雨をもたらし、毎年あちこちに被害を出している。
その大雨が収まると同時に夏が始まる、それも異常に暑い夏。
連日四十度近い日々が続き、今度は雨も降らない。その為人々は七月に入って二週間もたつとうんざりして天を仰ぎ、早く夏終われ、秋来い、雨降れ、涼しくなれ、と毎年願っていた。
するとある年に夏が来なくなった。
六月が終わり雨が止んだ。誰もが猛暑の夏が来ると身構えた。
だが暦をめくると十月と書かれている。
七月、八月、九月はどこへ行った。
人々はあらゆる暦、カレンダーをめくり、時計、スマートホン、パソコン、インターネットのカレンダー機能を確認する。
全ては六月の次を十月と示していた。
人々がうろたえている間に、秋風が吹き赤とんぼが舞い始める。山々は色づき、稲穂は頭を垂れ、宵には秋の虫が合唱を始めた。
夏はどこへ行った。
夏休み、花火大会、盆踊り、夏祭り、浴衣、アイスクリーム、プール、海水浴、かき氷、里帰り、林間学校、高校野球。
色々な夏の風物詩、楽しみにしていた物を奪われた人々が夏を返せと口にし始めた。
この間まで、夏なんかこなければ良いのにと言っていたのも忘れて。
七月が無くなって三週間ほどした時、噂が広まり出した。
夏を奪った奴が現れると。
どんな野郎だと皆が思っていたら、駅前の大型ビジョンにそいつが映し出された。。
そこに居たのは赤いノースリーブのワンピースを身に着け、日傘をさした若く美しい女性だった。
彼女は怒りに満ちた目で人々を見渡し『私は夏の女神である、おぬしらの思いしかと届いたぞ。望み通り夏を無くしてやった、ありがたく思え』それだけ言うと姿を消した。
人々は威厳に満ちた女神の姿と怒気をはらんだ声に畏怖し、もう文句を言いません、どうか夏を返して下さい。と懇願した。
そして月が替わる。
皆祈るような思いで暦をめくった。
そこには八月の文字が躍っていた。
『一度だけは許してやろう、夏を返してやる、せいぜい楽しむがよい』
女神の声が響き、人々は歓声を上げた。
そして暑い夏が帰ってきた、最初の十日ほどは皆喜んでいたがまた文句を言い始める。
曰く、水の事故、熱中症、台風、害虫発生、食中毒、カビ、エアコンの電気代が掛かる。盆に夫の実家に行くのが嫌。とにかく暑くてたまらない。体調崩す。年寄りが死ぬ。
その声は最初遠慮がちに、そして段々大きくなり、最後は合唱のようになった。
それも自分は良いんだけど、皆が困っている。と言う無責任で責任転嫁な愚痴だ。
女神からはなんのメッセージも無い。
それをいい事に『大丈夫だ、女神は自分たちの声を聞き届けてくれる。
残暑の九月を飛ばして十月にしてくれないかな』と人々は自分勝手にそう思った。
そして八月が終わりまた暦がめくられる。
皆の目に七月の文字が入ってきた。
『一度だけは許してやろうと言ったはずだ。それをまた文句を並べ立ておって。
この先いくら暦をめくってもずっと七月と八月を繰り返す、せいぜい永遠の夏を楽しめ』
女神の笑い声が街中に響き、人々の絶望と怨嗟の声が炎天下に満ちた。
そこに野太い男の声が割って入る。
『いい加減にしろ、暦で遊ぶのも大概にせい』
背広を着た大柄な男の姿がビジョンに映る。
『あら、こいつらがいけないのよ、夏を憎んでさ、もっともっと暑くしてやろうかしら』
『止めんか、とっとと帰るぞ』
『ちぇ、もう少し遊びたかったのに』
それだけ言うと女神は消えた、それと共に辺りを支配していた濃密な夏の気配もなくなった。代わりに男の発する気が世界に充満する。それは四季全てを合わせたような不思議で絶対的な気配だった。
『暦を見よ』
男の声に促され、人々が暦を見ると九月と書かれている。
さっと涼しい風が吹いた。
『これに懲りたら、もう季節に文句を言うのは止めるのだな、次は無いぞ』
そう言って男は消えた、あれは四季全てをつかさどる神だと人々は噂した。
そして冬が来た。その年は特に寒く、半年前の事など忘れた人々がまた愚痴り出す
そして二月が終わり、やっと少し暖かくなると思った人々がめくった暦には……
了
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