<十四> 一年後

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             39 夢でもいいから    撫でられたり叩かれたりしながら汗と水をタオルで拭い、用具を片づけつつ、ようやく気持ちが落ち着いた頃。  突然、遠くから「瑛斗! 瑛斗!」と呼ぶ声が聞こえてきた。声の主はもちろん河村だ。またふざけているのかと思ったが、視線を上げると三塁側から慌てた様子で駆けてくるのが見えた。  瑛斗は周囲の先輩に断りを入れてグラウンドに出た。 「なんだよ。お前自由すぎ。空気読めって」  声を抑えて咎める瑛斗を、河村は何事かというような形相で「いいから来い!」と手首を掴み、抵抗できないほどの強い力で三塁側へぐいぐいと引っ張っていく。  唖然とする相手チームのダッグアウト前を通り過ぎ、内野の端の観客がまばらな辺りまでつれていったかと思うと、困惑する瑛斗に「見ろよ!」とスタンドの上の方を指差した。    河村の人差し指が示す方向に目をやった瞬間、瑛斗は自分の心臓が止まってしまったのではないかと感じた。  目の前の世界が真っ白に見えるのは、相変わらず強烈な日差しで照りつける夏の太陽のせいだろうか。  それとも、自分の意識が正常ではなくて、これが現実ではない、夢の世界だからなのだろうか。    瑛斗の目を釘付けにしたその人(・・・)は、瑛斗をじっと見つめたまま、一段一段踏みしめるようにゆっくりと階段を下りてくる。  グラウンドとスタンドを隔てる防護ネットに瑛斗は無意識のうちにふらふらと歩み寄ると、スローモーションのように近づいてくるその姿を呆然と見上げた。  瑛斗の真正面に辿り着いたその人が、ネットにすがりつきながら、崩れ落ちるようにその場にひざまずく。  それから、儚げな声で「瑛斗……」と呼んだ。  その瞬間、アーモンドの形をした大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ、頬を伝い落ちた。 「しゅーちゃん……」  瑛斗は声に出してその人の名を呼んだ。 「どうして……」  うわごとみたいに尋ねると、相変わらず涙を流し続けながら、やはり儚げな、しかし瑛斗の記憶に鮮明に残るものとまったく同じ、甘い声でささやき返した。 「瑛斗の誕生日だから……」  見覚えのある細くて白い指が、ネットをぎゅっと掴んでいる。  その手に水滴がぽとりと落ちる。  こんな光景を、いつかどこかで見たような気がする。  これは夢なのだろうか。  どこからが夢だったのだろうか。  夢ならば、永遠に覚めなければいい。  瑛斗はそんな風に願いながら、目の前にあるか細い指に自分の指を重ね、絡み合わせた。      
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