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1月(2)(※)
年明け早々、早耶は、自分のデスクで、諏訪と打ち合わせをしていた。
早川に用があったらしく、帰り際に声をかけに来たらしいのだが、すでに退社してしまった後だった。残って作業していた早耶のデスクの覗き込んできた諏訪と打ち合わせが始まってしまったのだ。
「そろそろ、帰ろっか」
諏訪はコートを手に取った。
「あ、でも、私、この仕上げを・・・」
早耶が言いかけると
「明日できることは、今日しない。今日残ってやったって、明日早川にチェックしてもらわないといけないでしょ?このくらいなら、確認しながら手を入れた方が早いって。門限まで時間あるとはいっても、帰れるときは帰らないと。」
諏訪がいうことももっともだ。
「いこ」
諏訪が早耶の肩をたたく。
早耶は、デスクの上を片付ける。その様子を、諏訪がそばで見ている。気づくと、フロアには二人だけになっていた。
「年末年始は、ゆっくりできた?」
「はい、まあ・・・母親とおせち作りました。」
「おせちか。来年は一人で作るのかな?」
「どうでしょう・・・旦那さんがおせち好きじゃなければ、わざわざ作らないかもしれないです。」
早耶は答えながらコートを手に取る。
「諏訪さんとこは、どうだったんですか。」
「んーーー、うちは、奥さんの実家に顔出して、おせちもそこで食べたよ。手作りじゃなくって、デパートとかお取り寄せ?のやつかな。多分。結構豪華だったし。」
オフィスの退場チェックリストを確認しながら、閉じまりのチェックをする。諏訪も、話ながらちゃんと窓のかぎを見てくれている。
「こっちは大丈夫だよ。」
「ありがとうございます。じゃあ、電気消しますよ・・・。」
諏訪が出入口脇の電源そばにいる早耶のほうに寄ってくる。電源に手をかけている早耶の指に、自分の手を重ねた。
諏訪が手に力をこめる。
早耶の手に重ねた諏訪の手が、電源スイッチを押すと、電気が消えた。諏訪が早耶の髪の毛を反対の手ですくった。背後に、諏訪の体温を感じる。顔が近づいてくるのがわかる。早耶の心拍数が上がった。
「ほら、行きますよ~。」
早耶は諏訪のほうを見ずにフロアを出て、二人で駅へ向かう。
駅に向かう間、早耶は当たり障りのない正月の話題を諏訪と話した。
「じゃあ、ここで!」早耶は諏訪の返事を待たずに、会釈して改札に入った。
「あれって・・・誘われてたのかな。」
歩きながら、諏訪に触れられた方の手を、反対側の手で握りしめる。
早耶は頭のなかで年末の情事を反芻した。
筋肉質な胸板、唇の温かさ。早耶の耳を触る指。早耶の反応を見ながら、言葉でも確認しながら、追い詰められていく感覚。
啓介とは違う愛撫の仕方を思い出し、体の奥がうずく。
あれから、早耶は諏訪とこれまで通り一緒に仕事をしている。メンバーと一緒に打ち合わせもするし、二人で打ち合わせをすることもあった。が、今日みたいに触られたり、探るようなことをされたことはなかった。だから、もう、あれっきり・・・一回きりのこととして消化されているものだと思っていた。
「どうしたんだろう・・・」
なにかあったのかな、とは思ったが、深く考えるのは止めた。
もう、ダメ。一回だけにしとかなきゃ。
早耶は改めて思い返した。
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式場の打ち合わせの帰りに、指輪を注文していたジュエリーショップに寄る。
サイズ直しと刻印が入った指輪を、試着してみる。
「いかがでしょうか。」
「うん、大丈夫そう。啓介は?」
「うん、こっちも平気。」
「ありがとうございます。では、お包みいたしますので、少々お待ちくださいませ。」
啓介が腕時計を見る。17時を少し回ったところだった。
「もうこんな時間か…一日早いな」
「ね、ちょっと疲れた。」
早耶はあくびをしてしまった。
今日は、自分たちの衣装の打ち合わせと、残りの準備手順の日取りを打ち合わせてきたのだ。
式まで半年を切って、いよいよ本格的になってくる。
「次行くときは、招待状の発送リストもっていかないとね・・・あと、引き出物とか、持ち込むのか式場のカタログから選ぶのか決めないと・・・。あ、ブーケは私が決めちゃっていいかな?」
「うん、よろしく・・・」
啓介もつられてあくびをする。
式は、早耶の母親の強い意向があって、神前式で和装、披露宴でウェディングドレス、カクテルドレスを着ることになり、衣装合わせに時間がかかってしまった。
「うちの親は、当日の衣装は式場でレンタルしたいって・・・。啓介のところは?」
「うちは、自分の留袖を着るって。着付けはお願いしたいって言われてる。」
「じゃあ、その予約もとらないとね・・・。」
早耶はスマホにメモする。
「二次会の幹事、頼めた?」
「うん、岩田がやってくれるって。あと一人の人選は岩田に任せた」
そんな話をしていると、店員が紙袋をもってやってきた。
「お待たせいたしました・・・」
店をでると、冷たい風が吹く。早耶は紙袋を持つ啓介の腕にしがみついた。
「当日も忘れないようにしないと・・・」
「あ、!そうじゃん!ちゃんとリストに入れておかないと・・・」
早耶は、啓介の腕につかまったまま、スマホを取り出してメモを取る。
「まだ家に帰るには、早いかな。」
早耶は、啓介にスマホの時計を見せる。17時半になろうとしているところだった。
「おなかすいた?」啓介は聞く。
「私はまだ、空いてない。啓介は?」
「俺もまだいいかな・・・」
早耶は腕に少し力を籠めて、啓介を斜め上の目線で見上げる。少し疲れたけど、まだ二人でいたいし、久しぶりにイチャイチャしたいという気持ちを目線に込めたつもりだった。
「んーーー」
早耶と目があった啓介がスマホを取り出し、マップを開いて、歩き出した。
「じゃあ、ちょっと・・・いきますか」
二人でホテルにくると、まずそれぞれでシャワーを浴びる。先に早耶、次に啓介の順。今日も、いつものようにシャワーを浴びて、バスローブを来た啓介が戻ってくる。
早耶は、バスローブを来たままベッドに潜り込んで、テレビのアダルトチャンネルをつけていた。映像と音声に啓介はぎょっとする。
「ど、どうしたの・・・」
「なんか、テレビつけたらやってて。ちょっと見ちゃってた。」
「びっくりした・・・」
啓介は、バスタオルで髪の毛を拭きながら隣に座る。
「最近は、女の子向けのもあるんだよ?・・・啓介は、どういうの見るの?」
早耶は、啓介の肩に頭をのせて、リモコンを操作しながら、表示されるタイトルを次々と変えていく。
「どういうのって・・・フツーの・・・。だいたい、見た目で決めるから・・・」
「あ、この子かわいい!」
早耶は、アイドルのような容貌と、メイド服を着た女優のうつるパッケージを見て声を上げる。
「うーん、そう・・・?自分はあんまり・・・」
と、啓介はあまり好みではないようだ。
「でも、胸は小さいのかな・・・巨乳がいいの?」
早耶が上目遣いで啓介に尋ねると、啓介は早耶の手からリモコンを奪って、操作しだす。
「いや、あんまり大きすぎるのも、ちょっと。どちらかといえば、小さいほうが」
そういって、一つのタイトルを目に停めて、操作を止める。
「このなかで見るなら、これかな・・・」
華奢で、キレイなお姉さん、といった風貌で、制服を着た女優さんが映っている。
「ほお・・・キレイ系ですか。」
早耶が画面に見入っていると、啓介がリモコンをポンと放って、早耶を押し倒した。
「ビデオは、もういいから・・・」
そういって早耶にゆっくりと口づける。
「どうかしたの、今日。飲んでないよね。」
啓介が不思議そうに尋ねる。
「ちょっと・・・指輪もらって、テンション上がっちゃって。」
早耶は啓介の腰に手を回す。
「それに、啓介の好みも、もっと知りたいなって・・・。結婚、するんだし。」
じっと啓介を見上げる。啓介は戸惑ったように目線を逸らした。
「好みって・・・ビデオは、虚構だから・・・。気になるなら、引っ越しするときには処分しとくけど・・・」
「ううん、そういう意味で気になるわけじゃないから」
早耶は慌てて否定する。啓介は、早耶のバスローブを脱がせる。
「俺としては、実物のほうがいいんだけど」
「あ、はい・・・」
啓介が早耶に口づける。早耶は、啓介の腰から肩へ手を移動させ、抱きしめるように腕を絡ませた。
「啓介、・・・好き。」
唇が離れた瞬間につぶやくと、啓介は少し照れ臭そうに
「俺も」
と返してくれた。
その日は、啓介の愛撫がいつもよりも丁寧に感じて、早耶は何度も啓介の名前を呼んだ。啓介も、早耶の名前を呼んでくれた。そして、いつになく啓介の動きは激しかった。身支度を整える頃には二人ともすっかり空腹で、お気に入りの豚骨ラーメンを食べて家路についた。
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ショップから受け取った次の日から、早耶は婚約指輪をつけて出勤した。
結婚指輪は、啓介に持って帰ってもらって、式の当日、持ってきてもらうことになっている。
会社近くのコンビニで買ったコーヒーをデスクの上に置いて、コートを脱ぐ。
指輪を目ざとく見つけた隣の席の女性の同僚に指摘される。
「高遠さん、それ、婚約指輪ですか・・・っ」
「うん。ザ・婚約指輪、ってデザインにしてみた。」
早耶は笑って答えながら、わざとテレビでみるタレントの婚約会見のように手をひらひらさせて指輪を見せると、同僚は羨ましそうな声を上げた。
「いいなあ~~。私も、早く結婚したい。」
「結婚、って、まだ若いのに・・・。」
早耶が驚いていると、同僚はもっと驚いたような顔をして続ける。
「若いって、二つしか違わないじゃないですか。私、結婚願望強いんです。早く結婚して、家庭に入りたい・・・。毎日、家でご飯作って、旦那さんの帰りを待ちたいんです。」
「へえ~。・・・てことは、料理好きなの?」
「はい、わりと。クッキングスクールも通ったりしてますよ。」
「ほんと?・・・私、おいしいもの食べるのは好きだけど、料理には興味ないんだよね・・・。」
そんなやり取りを交わしながら、コーヒーを一口飲んだ。
結婚願望。そういう意味では、早耶は「家を出たい」が動機だった。
家庭を作りたいとか、子供がほしいとか、そういう動機ではなかったなと思い起こす。
同僚のように、専業主婦になりたいという願望はない。家事は嫌いではないが、得意ではない。むしろ、仕事のほうが得意だと思っているし、やる気がでる。もっと、力を入れて取り組みたい。門限とか気にせず、母親に女の子なんだからとか小言を言われない環境で、全力を注ぎたい。
自分の家がもっと門限にうるさくなかったら。
「女だから」っていう呪文のような父母の言葉がなかったら。
何かといえば「自分が兄で、お前は妹だから」という兄がいなかったら。
もっと自由に、自分のしたいことをできる環境だったら・・・。もしかしたら、啓介と結婚、というルートはとらなかったんだろうか。
早耶は、パソコンの起動画面を見ながら、もう一口、コーヒーに口をつけた。
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