2月(2)

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2月(2)

 早耶と麻衣は、久しぶりに二人で飲みに来ていた。最寄り駅で待ち合わせし、二人のお気に入りの小さなアジア料理屋へ入る。定番のポテトと生春巻き、パッタイと、シンハービールを頼んだ。 「どお、準備は順調?」 「うん、なんとか。ほんとは、招待状とか自分でデザインしたかったんだけど・・・諦めた。仕事と両立するなら、あるテンプレートは使わないと。まあ、気に入ったデザインもあったから、よかったんだけど。」 「神前式かあーー。白無垢いいなあ」 「けど、お色直しが時間かかるよ・・・。私、母親に言われなかったらドレスだけで完結したかった。」 「まあまあ。一生に一度じゃん?」 「それはそうだけど・・・」 早耶は、運ばれてきたビールの瓶に手を伸ばしてぐぐっと半分ほど飲み干した。 「話は変わるんだけど・・・この前話した、会社の先輩いるじゃん?」 「ああ、誘ってきた人?離婚でもした?」 麻衣もビールの瓶に手を伸ばす。 「・・・やった。」 「・・・・え?」 麻衣が手を止めて聞き返す。 「やった。この前。年末。」 麻衣は一気に表情が険しくなる。 「何、懲りずにまた誘ってきたの?」 「いや、私から誘った。」 麻衣は、目を見開く。 「どゆこと?・・・今、式の準備の話してなかったっけ?やめんの?結婚。」 麻衣は、少し低い声で問いただす。 「するよ。啓介と結婚する。先輩とは、あれっきり、一回だけ。やった後一回また誘われたけど、断ってるし。」 ここまで一気に話して、早耶はビールを一口飲んで、ふっと一息つく。 「・・・これは、墓場までもってく。」 「・・・」 麻衣は黙っている。ビールを一口、二口と口に運び、やっと口を開いた。 「・・・どうしちゃったの。」 「・・・どうしちゃったんだろうね。」 早耶も苦笑いを浮かべて再びビールに口をつけた。自分でも、どう説明すればよいのかわからない感情で、あのときは動いてしまっていた。 麻衣は黙ったままビール瓶を離さない。怒っているのだろうか?と早耶は思ったが、表情からは怒りは読み取れなかった。早耶は沈黙に耐えきれず口を開く。 「もともと、尊敬して、あこがれてた人だったんだよ。実際、誘われたときは、なんていうか・・・失望もしたし・・・。同時に、うれしいような気持ちもあったんだよね。この人が、私を誘うんだ、っていう。女として見られてるっていう優越感も、あったよ。正直。これまで、そんなふうに男の人から好意を向けられることって、あんまりなかったから。」 麻衣が早耶に目線を向ける。早耶は続ける。 「更にぶっちゃけると、自分に彼氏がいなくて、諏訪さんも結婚してなかったら、好きになってたかも、ってくらいの魅力は感じてた・・・と思う。正直なところ。・・・まあ、完全なるいいわけなんだけど。月並みな言葉でいえば、魔が差したっていうか・・・」 麻衣が黙ったままビールに口をつける。早耶は、まっすぐに麻衣の方を見て、ゆっくりと言い切った。 「もう、無いよ。こんなことは、もう・・・ない。」  麻衣とは、いろんな話をぶっちゃけている。これまでの彼氏とのなれそめも、どこまで経験したとか、全部お互いの話をしている。そんな相手だから、話せたことだが、もう他の友人にいうことはないだろう。この話も、もうすることはないだろう。 諏訪さんとは、これからも会社で一緒に仕事することになるけど、あくまで会社の頼れる先輩。早耶はそう思っていた。 「ほんと、これっきりだし、もうしない。」 早耶は片手を誓うように上げてもう一度、断言した。 「それほど、よくなかったってこと?」 早耶の様子を見て、麻衣は明るい話にしようと、少し笑いながら言った。 早耶は、動揺を隠すように電子タバコを取り出す。 「そんなに比べるほどサンプルはないんだけど・・・」 スティックを加えながら、一息つく。 「・・・悪くなかったんだと思うよ?テクニック的なものは・・・多分。十分、満足させてもらったから。最中は啓介よりも口数は多かったな。まあ、啓介はほんとしゃべんないから・・・。それは集中できていいといえばいいんだけど・・・。」 「わかる!あんまりしゃべられすぎると、うるさい、って思うよね。直紀も、たまにちょっとうるさいときある・・・」 麻衣は同意しつつ、心配そうに切り出す。 「でも、やっちゃって、彼氏よりも良かったら、って考えなかった?・・・実際、どうよ?」 「そのときは、そこまで考えてなかった!」 早耶は正直に告白し、瓶に残ったビールを飲み干す。実際、快感としては、啓介としているときよりも刺激的だったことは確かだ。ただし、それは「非日常」だからだ、と早耶は思うことにしていた。職場の人と、付き合っていない人と、その場限りのことで、それが終われば、どう思われていても関係ない。背徳感が、より刺激を強くするのだ、と考えた。 「でも、大丈夫。・・・良かったとしても、啓介と結婚するってことは変わらないし。」 「ほんと?私だったら、すんごい良かったら考えちゃうかも・・・。だって、これから先ずっとだよ。」 麻衣は、ポテトにチリソースマヨネーズをつけながら言う。早耶は、自分に言い聞かせるように話した。 「嫌いじゃないけど、そこまで重要視してないかも・・・。もし私が重要視してたら、啓介と結婚生活は無理だ。」 お手上げだというような早耶のジェスチャーを見て、麻衣は笑いだす。 「草食ーーー」 「ほんっと、そう。年末も忙しさにかまけてたらなんもなくって、年明け、指輪取りにいったときにやっとだよ。三か月ぶり!」 早耶は電子タバコのケムリをふーーっと吐き出した。麻衣が話を向ける。 「だいたい、早耶が雰囲気だすんだっけ?」 「付き合いはじめのころは、啓介からなんとなーく誘われてたんだけど・・・それでも、毎回デートのたび、ってことはなかったし・・・。最近は、私が今日は・・・って時にちょっと甘えたり、スキンシップしてアピールしたら、察してくれて・・・ってパターンが多いかな。そりゃあね、重要視してないとはいえ三か月も放置されると、ちょっと不満に思ったりもするよ?」 早耶はここぞとばかりに一気にまくしたてた。麻衣はなだめるように相槌をうつ。 「で、この前の年明けはアピールした、と。・・・ちなみに・・・彼には何も感じ取られなかった?」 「全っ然!!・・・私自身、何か変わった感じもないし。」 ・・・実際のところ、前よりも、啓介に積極的に求めるようになったかもしれない。もっと満たされたい、と欲が出ていることは否めない。 早耶は生春巻きを取り皿に取る。 「でも、この前、久しぶりに啓介としたとき、安心したっていうか。満たされたというか。」 「ふうん・・・。なんか、違うの?」 「なんだろう・・・なんだろうね。麻衣も、彼とあってしたときに、こう、満たされた感じしない?」 早耶は電子タバコを片手に、雲を描くような手振りをしてみせた。 「うーーん、なんとなく、わかるような、わからないような・・・。」 麻衣は首をかしげる。 「諏訪さんのときには、それがなかったかなって。好奇心とか、性欲は満たされたけど、啓介としたときみたいな、心が満たされる感じがなかったなって。」 早耶は、無意識に諏訪の名前を出していた。 「彼氏とすると、全部が満たされると。」 麻衣はスルーして話を続ける。 「それかな。・・・伝わった?」 「まあ、なんとなく。会社の先輩とは、好奇心を抑えきれずやっちまったと。」 「なんか、衝動的に・・・」  早耶は麻衣には言えない本音を隠していた。実際、諏訪がどんなふうにするのかの興味はあった。その好奇心がスイッチになったようなところがあったが、どこかで、諏訪のような、自分が尊敬する相手に、「選んでもらえた」この機会を、そのままにしておきたくない気持ちがあった。逃したくない、と思う気持ちがあった。  本当は、この間、諏訪に誘われたときも、ぐらついた。心の奥底で、一緒に行きたい、この前のような刺激をまた味わいたい・・・と思っている自分がいて、せいいっぱいの理性で制止したのだ。諏訪に宣言したとおり、二度目、三度目があれば、もっと欲張りになってしまう。果てには、独占したくなってしまうかもしれない。・・・そんなことになったら、相手の家庭、自分も、みんな不幸だ。  わかっていて、バレンタインのチョコレートを渡すなんて、思わせぶりなことをした。どこかで、まだ自分の女として見てもらいたい、気持ちを引き留めておきたい本音が、諏訪には透けて見えてしまったのかもしれない。 この話も、麻衣に隠しておこうと思えば話さなければよかったのに、あえて話題にした。それは、女としての麻衣への対抗心からかもしれない。 「一応、まだ入籍前だから、ねー。ギリセーフ、か?いや、でも相手は妻子持ちだからアウト・・・」 麻衣は手でラインを引くような仕草をしながら、仕方ないな、といった様子で呟く。その姿に早耶は苦笑いを浮かべる。 「もちろん、入籍したらしないよ、いくら好奇心があっても。ていうか、もうしないってば。さっき言ったじゃん。」 「そうであってもらいたい」 ふざけた口調で麻衣が返して、二人で笑った。 「すみませーん」 早耶は手を上げて店員を呼び、追加の飲み物を注文した。 「ちなみにさ」 麻衣はポテトをつまみながら早耶に聞いた。 「その・・・会社の人は、式に来るの?」 「いや、呼んでないよ。もともと、自分の上司とチームの人数人しか呼ぶつもりなかったし。」 「そう。早耶が魔が差すなんて、どんな顔してるのか見たかったけど。無意識に睨んじゃいそうだしなー。」 「あ、二次会は来るかもよ。まだ声かけてないけど。」 早耶は笑いながら電子タバコのステックを灰皿に捨てる。 「えーーー!もし来たら教えて!顔だけ遠くからチェックしようっと。」 「まあ、マメそうではあるよ。営業さんだしね。」 「マメそうな顔、って、どんなんよ。」 二人は笑って、運ばれてきた飲み物を口にした。
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