3月

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3月

「4月から、異動になりそう。」 駅前のカフェで、麻衣は席につくなり切り出した。コーヒーカップを手にした早耶は目を見開いた。 「ほんと?やったじゃん!」 かねてから希望していた販促部門への異動の内示があったらしい。麻衣は複雑そうな表情を浮かべて、ふうと大きく息を吐く。 「正直、このタイミングか・・・ってのはあるけど、せっかくだし、頑張ろうかと思ってる。」 「彼には話したの?」 「うん。メッセージで伝えた。「おめでとう、頑張れ」だって・・・」 麻衣は少し不服そうだ。 「文字だから、本当はどう感じてるのかがわからないんだけど・・・。直紀は、まだ向こうのお店みたいだし。もう、流れに任せるしかないのかな・・・」 麻衣はコーヒーカップを手に取る。ハートのラテアートを覗き込みながら話す。 「デキ婚にもちこんじゃうとか・・・」 早耶はカップに口をつけながら麻衣を覗き込む。 「それは、ヤダ。」 両手でカップを支えながらひじをつく。 「異動となったら、ちゃんと仕事覚えるまでは続けたいし・・・。あ、結婚しても、仕事は辞めないよ?・・・私が考えてた計画からは出産は後ろにずれちゃいそうなんだけどね。」 麻衣はカップをソーサーへ戻す。 「この前は、どう話してきたの?」 早耶が問いかける。メッセージで、簡単に経過を教えてもらっていたが、麻衣が先月彼のところにいってきてから、直接会って話すのは初めてだ。 「結局、もうちょっと仕事を軌道に乗せたい、ってばっかりで・・・。向こうに女がいる、ってわけではなさそうなんだけど、どうも同僚も独身の人ばっかで、・・・全然焦りとか願望とかないみたい。」 麻衣は苦々しそうに表情を崩す。 「女の気配は無い、と。」 「うん。部屋も全然ふつうだし。予定の時間よりも早くついて、先に部屋で待ってたりしたんだけど、女の人が出入りしているような形跡もなかったし・・・。」 「よかったじゃん」 「まあ、それは、信用してたから。・・・で、ちょっと真面目にさ。考えてること話したんだよ。」 カップの淵を指でなぞりながらうつむき加減に話しを続ける。 「仕事で、本格的に異動希望だしたい、ってことも、私は35歳までに出産したいから、そろそろ結婚したい、ってことも。正直にね。私は生理不順だから、不妊治療も念頭に置いて、でも結婚してすぐは二人の時間もほしいから、30前には結婚したい・・・って。」 「で、彼はなんて?」 「直紀は、自分も子供は欲しいけど、頑張って治療してまでは考えてなかった・・・って。私が欲しいならもちろん協力するけど、授かりものなんだし、そんなに焦らなくてもいいじゃん、って言われて・・・」 麻衣は肘をついて窓の外を眺める。 「直紀にとっては、多分、今の状態が居心地いいんだろうね、きっと。家庭とか子供とかの縛りもないから、普段は仕事に全力投球できて、友達とか同僚とかと遊びたいときは自由に遊べるし、時々会いに来てくれる恋人もいるし・・・」 早耶は何も言えずに聞いていた。 程よい距離感の恋人がいて、自分の自由に時間を使えたら。自分も直紀のように、恋人を不安にさせていたかもしれない。 「まあ、結局、現状維持って流れになっちゃったんだけど。・・・どっちかといえば、私よりも直紀のほうが子持ち願望高いのかと思ってたのに。」 早耶はコーヒーカップを手に持つ。 「それでいいの?・・・期限とか決めておいたほうがよくない?」 「とりあえずは、異動もあるし、しばらくは仕事モードになるし・・・。あ、仕事モードだけど、生理不順の治療はちゃんと続けて、準備だけはしておこうかなって。」 麻衣はあきらめ顔でカップに口をつける。 「こうなったら、新しい出会い求めるのもありかもよ。」 早耶は軽くつっつく。 「ほら、結婚式の二次会もあるし。啓介の同僚とか友達も来るよ。私の会社の人とか・・・」 「えっ。既婚者は勘弁・・・」 麻衣が冗談めかして言う。 「いや、もちろん独身限定で・・・まだまだこれからでしょ!」 「うんー・・・」 麻衣はあまり気乗りがしない様子だ。なんだかんだ、彼氏のことが好きなんだな、と早耶は思う。 だからこそ、何か進展があってほしかったのだが。 「今度、こっちに来たときは、私もちょっと会わせてよ、彼氏」 「え、どうしたの」 「どんな人か、見ておきたい・・・。あと、これだけ麻衣に思われてるんだから、そろそろハラくくれ、って言っときたい。」 「はは・・・早耶らしいかも」 麻衣は笑いながらカップを手に取る。 「ほんと・・・麻衣はこんなにいろいろ考えて頑張ってるのに・・・自分はぬくぬくと、来てくれるの待ってるだけで・・・一発、パンチくらい入れときたい。」 早耶は、少し真面目な顔で声を低くしていった。 早耶としては、いつまでも煮え切らない麻衣の彼に、決断を促したい気持ちもあり、麻衣にはその彼に見切りをつけてほしい気持ちもあり、複雑な気持ちだった。 「・・・もっと麻衣の気持ちを汲み取ってほしい。」 「・・・ありがと」 麻衣は、早耶の思いを受け止め、少し笑った。 「あ、招待状発送したから、そろそろ届くと思う。」 早耶は話題を変えようと明るく話す。 「いよいよだね~。楽しみ?」 「ブライダルエステに通い始めたよ、ようやく・・・。ドレス決めた後太っちゃったから、ちょっとダイエットもしないと・・・」 「え、いいながらコレ?」 麻衣は早耶のトレイのドーナツを指さす。 「まだ2か月あるから・・・っ」 二人は顔を見合わせて笑った。
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