タコの最後

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 僕のクラスに本多紘一というやつがいる。男女問わず人気があって、勉強も運動もそこそこできてたまに掃除をさぼって女子に怒られている。  あだ名はタコ。本多とよくつるんでるクラスのお調子者が言い出した。本多の名前に”タコ”が入っていることに気づいたのだ。最初、タコと呼ばれたときは露骨に嫌な顔をして「やめろよ」と言っていた。だけど、いつの間にか本多は”タコ”と呼ばれても「タコじゃねえよ」とは言うものの、後は普通に会話をするようになった。僕はなんとなく気が咎めて呼ばなかったけれど、その内クラスの大半が本多をタコと呼ぶようになった。調子に乗った奴らが本多の誕生日にタコのキーホルダーを寄こした時も「お前らなあ」と言いながら鞄につけたし、文化祭の出し物の「タコがいるからタコ焼きにしよう」というふざけた提案も「お前ら俺のこと大好きな」と平然としていた。僕と本多は別に仲が良かったわけじゃない。たまに帰りが一緒になって話す程度だ。仲がいいわけでも悪いわけでもない同窓会かななにかでお互いを思い出す程度のクラスメイト。 「よくやるよ」  僕は由木に言った。由木は僕の後ろの席だ。クラスの中では一番喋る。昼めしも一緒に食うことが多い。昼めしをよく食うならもうひとり佐々木ってやつもいるけどあいつは部活に委員会となにかと忙しいので休み時間にだらだら喋る暇がない。その日も多分、委員会か何かで弁当をかき込み、早々に教室を出た。 「なにが」 僕は無言で本多に視線を投げだ。女子たちが笑いながら本多にタコの置物をあげている。 「やる方もやる方だけどもらう方ももらう方だよ。よく怒んねえよな。あいつ」 「慣れたんじゃねえの」と由木は本多をちらりと見て言った。 「信じらんねえ。俺だったらそんなもん寄こした奴らの顔に叩きつけてる」 「タコグッズを?」 「なんだよ。タコグッズって」 「本多がもらってるタコのお土産」 本多はタコと呼ばれはじめてからよくタコのキーホルダーやらぬいぐるみやらを男女問わずもらっている。由木が言っているのはそのことだろう。 「よく探してくるよな。あいつらも」 「俺だったらもらうたびに顔にたたきつけるね。文化祭んときのタコ焼き含め」 「だからお前にはやんねえんだろうよ」 由木はけけっと笑った。 「本多がなにを考えてるかは知らねえけど、お陰でお前よか巧くやれてるもんな。”多数決”で雑用押し付けられることもねえし、お前よか友達は多いし。女子含め」 「けっ。女子からのプレゼントがそんなに嬉しいですかね」 「もらったことないからってひがむなよ。余計モテなねえぞ」 「タコグッズ寄こすような女子から好かれたって嬉しくねえ」 「負け惜しみ負け惜しみ」 「ばっか。俺が好きなのはな。タコグッズをよこさないアイドルの夢ちゃんみたいな子。そういう子にモテたい」 「お前、あんなのがタイプなの? 趣味悪」 「夢ちゃんのなにが悪いんだよ!」 くだらない言い合いにいつの間にか本多の話は流れてしまった。悔しいけれど由木の言うように僕より本多の方が”巧くやって”る。だから僕は本多より自分の心配をすべきなのだ。男子の中でいじめられそうなのは嫌なあだ名で呼ぼうものならその数倍は嫌なあだ名で呼ぶ僕の方だ。由木は笑うけど、はっきり言って僕が言われたら寝込むレベルのあだ名だ。というかもう罵倒に近い。タコなんて可愛いものだ。タコは放送禁止用語じゃない。  卒業式の日、僕はその数か月前の由木との会話を思い出していた。教室のごみ箱の前で。 「これでお前とも縁切りだな」 「おう。精々する」 「俺、委員会と部活のやつに呼ばれてっから。お前ら正門のとこで待ってろよ」 「いや、置いてく」 「お前が奢るなら考えてもいい」 「お前らな」  卒業式が終わり、由木と佐々木と軽口をたたき合いながら教室を出ようとした。僕は大きなくしゃみをした。花粉症だ。僕はティッシュを出すと盛大に鼻をかんだ。 「汚ねえな」 「そのティッシュ捨てて来いよ。ポケットに突っ込むな。マジで縁切るぞ」 「はいはい。親よりうるっせえなお前ら。待ってろよ」 「いや、置いていく」 「お前が奢るなら考えてもいい」 「おい、さっき聞いたやつ」 僕は教室まで引き返した。まだクラスの大半は記念撮影で残っていた。僕はティッシュを捨てようとごみ箱まで歩いた。先客がいた。本多だ。本多は何かを大量に捨てていた。待つのが面倒でつい横から手を伸ばし、そのまま固まった。ごみ箱にあったものに見覚えがある。 タコのキーホルダー、タコの置物、タコのぬいぐるみ……。本多がもらっていたタコグッズだ。僕は本多を見た。本多は冷ややかに言った。 「なんだよ」 僕は腕から力を抜いた。どう言っていいかわからないまま口を開いた。 「なんだよってお前これ」 「気に入ってるって本気で思ってたのか」 本多はゴミ場に顎をしゃくった。 「……」 「卒業式が終わったら捨てるってずっと決めてた。これもクラスの連中も」 教室の喧騒が遠い。 「清々した」 「……じゃあ、なんで受け取ったんだよ。こんなの」 「いらねえよって俺が怒ったらやめるか?」 「……」 「いちいち怒ってたらキリねえよ。一気に捨てて終わりにした方が楽だ。下手な事して余計絡まれても迷惑だしな。それにあいつらのところにいれば余計な手間もない。卒業まで手放すのは損だろ」 「……」 「タコタコ言われるたびに、これ貰うたびにずっと考えてた。それだけを楽しみにしてた」 「俺は」 「お前らは俺のことをタコとは言わなかったけど、バカにしてたろ。おんなじだよ」 本多は僕を押しのけると教室を出た。僕はゴミ箱にたたきつけられた本多の怒りの残骸をしばらく見つめた。見つめながら数か月前の由木との会話を思い出していた。僕と由木の考えは大体あっていたが、大きく違っていたことが一つある。 本多は怒っていたのだ。 慣れてもいなければましてや女子からタコのグッズをもらって喜んでもいなかった。静かに怒りを胸に抱いて、最後の最後でクラスもろとも捨てたのだ。恐らく、あいつに連絡を取ることはもう不可能だろう。わざわざ教室のごみ箱に捨てるところに本多の怒りの深さを見た気がした。その深さとそれを今までおくびにも出さなかった本多に背筋が震えた。 (でも確かに) 僕はカバンを持ち直した。僕は本多をバカにしていた。タコなんて呼ばれ、口だけで反論してへらへらタコグッズをもらっている本多をバカにしていた。本多は最初は嫌だとはっきり言っていたのも忘れて、すぐ流される奴だと馬鹿にしていた。僕だったらそんなプライドのないことはしないと思っていた。嫌なあだ名をつけられたら放送禁止用語のあだ名を声高に叫ぶし、もらって嫌な物は叩き返すと思っていた。でも、僕が放送禁止用語のあだ名をつけ返す度胸があったのは、もらったタコグッズを叩き返せると断言できたのは、由木や佐々木がいたからだ。いざいじめにあってもあのふたりが援護してくれるとわかっていたからだ。僕が本多の立場だったら。クラスで仲のいい奴が自分にとって嫌なあだ名を言い出したら僕はどうしただろう。本多と同じことをしなかっただろうか。怒りを抱え込んで最後に友達ごと全部捨てるなんてことをしなかっただろうか。僕の度胸なんてつまりそれだけのものだったのかもしれない。僕はこみ上げてくる苦いものを飲み込んで教室を出た。背後で本多を呼ぶ声がする。返事は当然ない。僕は無言で教室を出た。本多の”友達”がゴミ箱を見るのは時間の問題だろう。 「お前、ごみ捨てるのにどんだけかかってんだよ」 待っていたのは由木だけだった。 「佐々木は」 「とっくに委員会と部活のとこ行ったよ。行くぞ」 由木と歩き出した。 「お前、マジでなにしてたの」 「ゴミ捨ててた」 「どこまで捨てに行ってたんだよ。収集場か」 「あほか」 外に出るとひとりで正門を出る本多が目に入った。由木も見つけたらしい。 「あいつひとりで帰るの珍しいな」 本多と目が合ったと思った瞬間、僕はくしゃみをした。 「お前、またかよ」 花粉じゃねえよという言葉を飲み込んで僕はまた鼻をかんだ。くしゃみの原因である本多の怒りを含んだ冷ややかな目はしばらく脳裏に焼き付いたままだろう。
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