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だけど、市ヶ谷くんはまったく疑う素振りをみせない。
へー、あいついいやつだな、なんて、感心までしている。市ヶ谷くんって素直。
「ところで山田さん。山田さんの漫画はいつになったら読めんの?」
「えっ。あー。とくに、急いで描いては、なくて。だから、その、まだできてない」
「そうなのか? 漫画って、しめきりとかあるんじゃねえの?」
「しめきりなんて、そんなのないよ。漫画家さんじゃあるまいし」
ヒーローの髪を描いていく。
市ヶ谷くんみたいな、ふわふわしたわたがしの髪。
「山田さんって、将来の夢はやっぱり漫画家?」
「ええ? まさか。ちがうよ」夢なんて大仰なことをいわれて、のけぞる。「エイリアンが漫画家なんて、なれっこないよ」
市ヶ谷くんは、心底ふしぎそうにきょとんとした。
「なんで? エイリアンじゃ、漫画家になれねえの?」
「そういうわけじゃ、ない、かもしれないけど」
「なりたくねえの?」
「そういうわけでも、ない、かもしれないけど」
夏の陽射しと市ヶ谷くんのまなざしが、わたしを焼く。
夢。
夢なんて、考えたことなかった。
「エイリアンの漫画家なんて、いないかも、しれないし」
「なんだ。そんなことか」ほっとしたように表情をゆるめる。「じゃあ、山田さんがいちばんになればいい」
ほんとうにそう思ってるみたいに、市ヶ谷くんはいった。
市ヶ谷くんが笑うと、たまに泣きそうになる。
涙腺がはじかれて、目のまわりがじんわり、あつくなって。
溶かしたお砂糖が喉にながれていくみたいに。あまくて、痛くなる。
「なれる、かなあ」
シャープペンをにぎりしめる。初めて行く場所に行くときの、少し緊張する、あの感じ。
わたしの世界、市ヶ谷くんといると、どんどん広がる。
「さあな。なりたくてがんばってたら、なれんじゃねえの」
夏の陽射しにキスを強請るように、市ヶ谷くんは目をつむる。横顔、きれい。
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