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 おとうさんは、ここから電車で三駅目の住宅街で一人暮らしをしている。  電車に乗るのは怖い。わたしが乗って、いやな思いをするひとがいたらどうしよう。万が一絡まれたり、怖い目に遭ったらどうしよう。  帽子は目深に被って、指の第一関節まできちんと隠れる服を着て、深呼吸をして、えいっと乗る。電車は、おとうさんの顏をこっそり見に行くときしか乗らない。  二駅目を越えると、ようやく心臓が落ち着いてくる。  車窓から見える、もくもくした入道雲。  おとうさんとおかあさんがお別れする、ちょっと前。家族で最後に行った遊園地で、おとうさんはあの雲みたいに真っ白なソフトクリームを買ってくれた。  おとうさんは、おかあさんがエイリアンだからお別れするんじゃない。だいじなことを話してくれなかったから。それがかなしくてお別れするんだ。そういってた。  だから、わたしのこともきっと、かわいくないとかではない。だって、記憶のなかのおとうさんは、いつもやさしかったから。  きょうは、思いきって話しかけてみよう。そう心に決めて、やってきた。  おとうさんに話したいこと、たくさんある。漫画のこと。学校のこと。五十嵐くんにいわれたこと。市ヶ谷くんの、こと。  おかあさんのことはまだききたくないかもしれないから、きょうはやめておいて――。  頭のなかでシミュレーションしながら、心臓がばくばくしてくる。  だいじょうぶ。だってわたし、おとうさんの子どもだもの。  駅に着いて、おとうさんの住んでいるアパートへ向かう。  アパートに着いておとうさんの部屋を見上げると、ちょうど部屋のとびらがあいた。  ためらっていると、声をかけられなくなりそう。  息を吸いこむ。おとうさん。よびかけようとして、口が、お、のかたちのまま、とまった。  おとうさんに続いて、だれかが出てくる。きれいな女の人。その足元に、かわいい女の子が絡みついている。人間の、女の子。  おとうさんと女の人は笑いあいながら歩いてきて、しぜんと女の子をあいだにはさむ。三人は、あたりまえのように手をつないだ。  ――恥ずかしいから。  おとうさんと、最後に遊園地に行った日。  わたしがのばした手を、おとうさんはとらなかった。  恥ずかしいから。そういって、ほんとうに照れくさいかのように、まゆじりを下げて笑った。  さみしかったけど、わたしはおとうさんの照れたように笑う顏がすきだったから。その顔をわたしがさせているんだと思ったら、誇らしくさえあった。恥ずかしいの、ほんとうの意味も知らずに。  おとうさん。その子とは手をつなげるんだね。その子と手をつなぐのは、恥ずかしくないんだね。  よかったね。おとうさん。  きょうは遊園地に行くぞー。やったー。迷子にならないようにね。おとうさんと手をつないでるからだいじょうぶだもんなー。  みっつのしあわせそうな声が、蝉と輪唱する。  耳にこびりついて、帰りの電車のなかでもはなれなかった。
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