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体調がわるいようだと先生に断って、市ヶ谷くんはわたしを保健室へ連れていってくれた。
わたしの手を、市ヶ谷くんはいつもためらわずにとる。
おかあさんが隠しなさいっていった手。おとうさんが、つないでくれなかった手。
夏だというのに、保健室は薄暗い。蝉の声も、遠い。
ベッドに横たわったわたしのそばに、市ヶ谷くんは椅子をひいてきた。チャイムが鳴っても、戻る気配はない。
どこから話したらいいのか。なにを、話したらいいのか。
考えれば考えるほどわからなくなって、刻一刻と時間がすぎていく。
市ヶ谷くんは、校庭をみつめていた。水平線をみているような、そんな目で。
その横顔を見ていたら、ふしぎと心が凪いできた。
「おとうさんね、新しい居場所ができてたの」
ひとつ、こぼれてしまえば。あとは、はらはら、ほころんでくる。
「わたしね、おとうさんはいまでもずっとひとりで、わたしみたいに居場所を探して苦しんでいるんじゃないかって、そう思ってた。だから、いつかおとうさん、さみしくなって、おかあさんのうそをゆるして、帰ってきてくれるんじゃないかって」
蝉の声が近くなる。はしゃぐ子どもの声と、輪唱。しっかりとつながれた手と手。おとうさんの、笑顔。
「でも、ちがった。わたしたち、わたしはもう、おとうさんの居場所じゃなかった。最初から、ちがった。おとうさんはわたしのこと、自分の居場所だなんて、思ってなかったんだ」
つぎに近くなったのは、おかあさんのせぐりあげる声。
「おかあさんはね、いつもわたしに謝るの。ごめんね。ミラちゃん、ごめんね。わたしのせいで、つらい思いさせてごめんね、って。でもね、わたし、おかあさんに謝られるたびに」声も手も、震える。「あなたを産んでしまってごめんね、って。そういわれてる気がして」
市ヶ谷くんの呼吸が、いっしゅんとまった気配がした。
「わたし、ここにいちゃいけないのかなって。じゃあ、どこにいけばいいのかなって。おとうさんとも、おかあさんとも、いっしょにいちゃ、いけないなら。人間でも、エイリアンでもないわたしは、どこに行けば、とどまれるのかな。
わたし、わたしの居場所、ない。この宇宙、どこを探しても、ないの」
遠い蝉の声。クーラーの音。沈黙。
長い空白のあと、「ごめん」。
しぼりだすように、市ヶ谷くんはいった。
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