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「走って、きたの?」 「ん? ああ。逃げてきた、って感じ」 「逃げてきた?」  わたしに会うために。なんていうあわい期待を、市ヶ谷くんはふっと吹き消した。 「優里(ゆり)――ああ、おれ、幼なじみがいるんだけど」 「ああ。早見(はやみ)、さん」 「え、山田さん、知ってんの?」 「だ、だって、有名だよ。美男美女の幼なじみって」  いってから、照れくさくなる。  本人を目の前にして、美男って。 「美男美女ー? そうかあ? おれはともかく、あいつは口うるさいだけのメデューサみたいな女だぜ。さっきだってがみがみがみがみ」 「メデューサ」  あの早見さん相手にそんなこといえるの、市ヶ谷くんくらいじゃないだろうか。  早見さんは、男子だけじゃなく女子もあこがれる、才色兼備な人間の女の子。しかも、市ヶ谷くんの幼なじみ。  幼なじみなんて関係、それだけでもあこがれるのに。こんなに絵になる美男美女なんて。  かくいうわたしも、ふたりをモデルにした恋愛漫画を描いている。 「きょうも下描きなんだな」  わたしのノートを覗きこんで、市ヶ谷くんはいう。 「あ、うん」 「本番? っていうの? それは家でしか描けないのか?」 「あ、うん。本番は、ペンタブ使って描いてるから」 「ペンタブ? なんだそれ」 「あ、ペ、ペンタブっていうのはペンタブレットのことで、こう、パソコンとつないで――」  来てくれた。市ヶ谷くん。きょうも。  しぜんと口角があがる。うれしさで、胸がいっぱいになる。  あ。ピンどめ。外してないや。袖も、まくりっぱなし。  だいじょうぶかな。市ヶ谷くん、わたしのこと気持ちわるくないかな。  わたしの目をまっすぐに見て、楽しそうに話をきいてくれる市ヶ谷くん。  さっきまで沈んでいた気持ちが、ぷかぷか浮かんできた。  市ヶ谷くんって、すごい。ひとをしあわせにする天才だ。  市ヶ谷くんがどうして人気者なのか、わかったような気がした。
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