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悲しみ、怒り。揺さぶりをかけ、透吾から冷静な思考力、判断力を奪っていく。
透吾の瞳は、俺を通り越し、後ろのエントランスへと向いていた。一刻も早く立ち去りたい思いが漂っていた。
だがその足は、地面に縫い付けられたかのように動かない。エントランスを背に立つ俺が、さながら屈強な門番として、立ち塞がっているように見えているからだろう。
蛇に睨まれた蛙だ。透吾の怒りを受け流すように、俺は頬を緩ませた。
「でも、おかげで君の行動の謎は解けた」
「はっ……?」
唖然。口を半開きにした透吾は、俺から視線を逸らせない。誰だって、目の前で秘密を知っていると明言する人物がいれば、逸らせない。
カマをかけているのか、本当に知られているのか。一瞬での判断は難しい。その上、表情から読み取れないよう、俺は笑みを浮かべている。
透吾にそんな高度な真似ができるとは到底思えないが、俺を直視する瞳は真意を窺っていた。
逃走よりも、対峙。透吾が初めて、俺と向き合った。
「う、嘘だな。お前がさっき自分で言ってたろ。ミステリー好きと謎が解けるのは別って」
「推理の基礎は、ミステリー好きのおかげで頭に入ってる」
大仰に、こめかみを指で叩く。
「大学院で研究していることも役に立った。君が隠してた謎は分かりやすい。ありきたりと言い換えてもいい」
不快からか、透吾の頬が微かに動く。それでも俺から目を逸らさない。逸らせない。
不愉快なのに、相手の言葉を待つしかない。俺の笑みは、嘲笑っているかのように感じられるだろう。
その認識は当たっている。透吾を見返す俺の瞳は、優越感に満ちていた。
「一ノ瀬透吾君。捨て犬の世話は感心しないな」
「……っ!」
息を呑んだ。見開かれた目が、抗うかのように咄嗟に逸れる。
無意識の仕草は、向き合う覚悟を抱いた相手だと、逃れの術でしかない。推理に確信を与えたのは、他ならぬ透吾自身だ。
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