狂気 ―1―

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日下部がひた隠しにしているのは、恋人と偽っている関係性。来栖紗良へのストーカー行為。 それを明白な事実として知れば、日下部の弱味になる。対等な関係ではなく、優位に立てる。 そのために重要なのは、日下部の部屋に足を踏み入れること。安息の場所である自室には、ストーカー行為の証拠となる物が溢れているだろう。言葉を咄嗟には偽れても、部屋を咄嗟には偽れない。 証拠を握り、立場を変えるために、多香子を利用した。日下部は俺を頼りにしているが、何の前触れもなく、「部屋に案内しろ」と発すれば、流石に警戒心を与えてしまう。 警戒よりも、部屋が最適な場所と思わせるために、第三者の介入は不可欠だった。 十一時頃にランチ会に出掛ける予定と明かしていた一ノ瀬多香子。彼女なら、俺の姿を認めれば声を掛けてくるのは必然だった。 第三者の存在は、一刻を争う日下部にとっては、迷惑でしかない。場所を変えるという提案は、願ってもない提案だ。 それでも、二つ返事で了承できないのは、明示された場所が受け入れられない場所だからだろう。 実家暮らしか、一人暮らしか。確証は持っていなかったが、続く沈黙が後者だと伝えている。 仮に、実家暮らしだったとしても、ストーカー行為の証拠は存在していただろう。親子関係の悪さ、という弱味も握れていたかもしれない。 日下部の部屋に足を踏み入れる行為は、俺を優位に立たせてくれる絶好の機会だ。変更する気は毛頭ない。 「いつまで黙ってるつもりだ」 焦らすように、口調に怒りを込める。 「何度も言わせるな。俺は暇じゃない。それに、早くしないといけないんだろ?場所を変えるだけだけじゃないか。何を迷う必要がある」 「……玄関、までなら」 「玄関?それは止めといた方がいい。俺の声はよく通る。人の家でも、玄関前ならと、お前のように盗み聞きする奴がいるかもしれない。もし俺の知り合いが近くを通ったら、後々、嘘を吐かなければいけなくなる。事が済んだら俺がどうなろうと構わない薄情者の頼みなら、耳を貸すのを止めるが?」 「僕は、そんなんじゃない」 左右に振られる首は激しい。必死とも言える否定は、俺を繋ぎ止めるためか。
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