10人が本棚に入れています
本棚に追加
03 : 鏡面
はっきり言ってしまおう。
塩見雪緒は鬼である。
鏡の中の自分に殺された女性の話を聞いた後で、いったい誰がミラーハウスへ行こうなどと思うだろうか。
「鏡は昔から祭祀や呪いに使われやすい道具でね。人を映すもんだから、人の念まで映してしまうことも少なくないんだよ」
「わかりましたから帰りましょうよ」
「百聞は一見に如かずって言うじゃない」
「想像力を働かせれば一見しなくても大丈夫です、ほら、僕は作家ですし」
「売れてないだろ」
「ぐぅ」
相変わらず僕に冷たい。塩対応。しかも岩塩である。
いや、冷たいわけではないのかもしれない。ただ冷たい人なのだったら、そもそも話のネタをくれることも、こうしてミラーハウスに連れてくることもなかった筈だ。
そうだ。塩見さんは悪趣味なだけなのだ。
「……失礼も大概にしておきなよ」
僕の表情で心の声を見透かしたのかなんなのか、塩見さんの静かな一言が耳に届く。心臓が飛び上がるかと思った。
僕は慌てて彼の後を追い、ミラーハウスへと入っていった。
僕僕僕僕僕。
塩見さん塩見さん塩見さん塩見さん。
幾重にも重なる僕と彼が、きょろきょろと動き回っては消え、消えては急に現れる。
「きし」
隣でざらりとした笑い声が聞こえたものだから、息を飲んでしまった。なんてことはない、塩見さんだ。
「こんなにおっかなびっくりで鏡の部屋を歩く人間、君くらいなものだね」
「あんな話を聞かされて警戒しない方がどうかしてるんですよ!」
ミラーハウスに僕の声がこだまする。ああ、こんな場所で怒鳴り散らして……なんて虚しいんだろう。
塩見さんだって呆れたような顔で僕を見ている。指先で頬をかいて。
「あら」
なんて呟いて。
「……君、自分が今どこにいるか分かるかい?」
「こ、ここにいますよ」
「だからさ、そこがどこだか分かってるのかい?」
「えっ?」
妙なことを言う塩見さんに触れようと、手を伸ばす。透明な壁に、阻まれる。
後ろを向けば、塩見さんが僕を見つめながら立っていた。
「え、塩見さん、え? ここは……えっ」
「珍しいね。僕を介してではあるけれど、鏡の中に迷い込む人間が出るなんて」
「こちらへおいで、佐藤くん。面白い怪異を見せてあげるよ」
戸惑う僕を挟んで、塩見さんたちが言う。
「自力で出て来られるか見ものだねえ」
「怖いなら出口まで案内してあげよう。さあ、こっちさ」
震える僕を挟んで、塩見さんたちが言う。
僕は迷わず、透明な壁を叩いて叫んだ。
「塩見さん! 塩対応の塩見さん、助けてください! あなたはこんなに優しくしてくれない! 優しくないあなたが本当の塩見さんだ!」
「うーわ、今世紀最大の助けたくない人だこと」
じっとりとした目つきで僕を見る塩見さん。そんなこと、怖くて泣きそうになっている僕には関係ない。
次の瞬間、どん、と背を突き飛ばされて、僕は鏡の世界から現実へ、格好悪く帰還したのだった。
「あのね、あれも僕なんだよ、君」
僕を突き飛ばした彼を見送り、塩見さんが笑う。
最初のコメントを投稿しよう!