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05 : 水場
そこそこ売れるという経験をしたのは初めてのことだった。塩見さんと出会ってから今までのことを、大量のフェイクを入れてエッセイ風に書いたことで火がついたのだという。
実話風、というのが現代のニーズとマッチしたのだろうか。担当からは「どうしたんですか、好調ですね」と心配されるほど……普段の僕は売れていなかったということだ。
そんな、ちょっと売れ出した僕は今、段ボール箱を抱えて突っ立っている。
「霊は水辺に出やすいって言うけどね、あれ、けっこう当たってるんだよね」
陽の当たらない路地裏で、苔むした箇所まで見られるその場所で、排水溝に囲まれながら塩見さんは言った。
「何か理由でもあるんですか? 喉が渇いてるとか……?」
「君、霊が四つん這いで川の水飲んでるところでも見たことあるのかい」
あるわけがない。
今回、塩見さんがコンタクトを取っている怪異とは、ご近所でも有名な「異音」の元なのだそうだ。
勉強がてらついてくるかい、と問いかけではなく半ば確認のように言われた内容に、僕は一も二もなく飛びついた。
「水ってのは陰のものなんだよ。陽のものは火ね」
「陰のもの……あまりいいイメージじゃないですね」
「単純だね君ってやつは。違うよ。陰陽はバランスなんだ。闇、夜、冬、植物、女が陰で、光、昼、夏、動物、男が陽。もう片方がないと、もう片方は成り立たない」
「そうなんですか……」
「男でも女でもない性別を半陰陽って呼ぶのは知ってるかい?」
「あっ」
作家の端くれとして蓄えていた知識の奥底に、そんな情報があった気がする。僕は塩見さんと出会ってからメモをしてばっかりだ。
塩見さん曰く、薄暗く、湿っていて、排水溝に水がちょろちょろと流れるこの場所は、まさしく陰の気で満ちているのだそうだ。日差しが届くなど陽の気が入り込んでいたならバランスが取れていたものを、そうではなかったばっかりに、怪異の恰好の住処となってしまっているとのことだった。
カタカタ。と重たい何かが動く音がする。これがご近所でも有名な異音か。
見ると、排水溝の上に置かれたコンクリート製の蓋が、路地裏の奥から手前に向かって順番にガタガタと鳴っているのだった。
「し、塩見さん、これ」
「はーい、持ってきたライト設置するよ、手伝って」
完全にびびってしまっている僕とは対照的に、塩見さんは綺麗にスルー。僕が抱えている段ボールを開けて、中から電池式の照明器具を複数取り出し始めていた。
陰の気まみれな場所に、無理やり「光」という陽の気を取り込む。少々荒療治だし、電池式なのでコストもかかるが、怪異を飼い馴らすことも解決することもできないという彼には、これが精一杯なのだろう。
僕に至っては何もできないのだから、何かしらの対処ができる彼は立派と言わざるを得ない。
路地裏をあまねく照らす照明器具が設置されて少し、様子見をした。
「ここにはまた来るよ」
「電池交換ですか」
「照明が壊されないか監視に来るんだよ。まあ、この場所の怪異はそこまで育ってないから大丈夫だとは思うけどさ」
「抵抗する怪異もいるってことですね」
「うん。確認は怠らないこと。ばあ様に教わった」
ばあ様。
塩見さんのご家族だろうか?
家族については、まだ仲良くないから教えない、と言われたことがあったが、こんな形で片鱗が見えるとは。
ほう、と彼を見つめていたら、彼はひどく不愉快そうに眉根を寄せて、ざらりとした声で僕を突き放した。
「何見てんの、気持ち悪い」
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