さん

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 ファミレスの光が見えると、さきほどまでこころに張り詰めていた恐怖がすっかり和らいでしまった。車は駐車場に進入し、白線ぴったりに停止した。 「で、霊園にいいものでもあったんすか?」  席について注文を終えると、後輩が茶化すように問いかけた。友人は引きつった笑いで「まあ」なんて言っているから、答える気はないのだろうと思った。 「先にいいよ」という友人の厚意で、僕と後輩は先にドリンクバーを取りにいくことにした。グラスに氷を入れ、コーラをなみなみ注ぐ。 「やっぱりおかしいですよね」  後輩が席のほうを指さし、自然と僕の視線もそちらへ移る。彼は窓の外を向き、それから頭を抱えたように机に伏せるという行為をなんども繰り返している。僕たちが席に戻ると、彼はこちらにスマートフォンの画面を向け、「今日、ここに泊まらないか」と言った。画面下のほうに書いてある住所は、ここからでも歩いていけそうな距離だった。 「さっきからおかしいっすよ。付き合わせるなら何があったか話してください」  後輩が詰め寄ると友人は諦めたように溜息を吐き、「わかった」と頷いた。真相が明らかになる期待と恐怖で、口を手で塞がれたみたいに呼吸が苦しくなる。 「霊園から廃病院に行くとき、お前の隣に女の人が座ってるのが見えたんだ」  友人はそう言うと、僕の目をじっと見つめた。しかし僕の隣に人の姿なんてなかったし、誰かがいた形跡もなかった。心霊スポットは好きだが、霊的なものを信じているわけではない。だが青白い顔から吐きだされた言葉は、確かな存在感を帯びていた。 「廃病院から車のほうに目をやっても、車のなかからずっとこっちを見てるんだよ」  友人は震えた声でそう言うと、机に視線を落としてしまった。後輩は首をかしげたあと、「うーん」と唸り、それから口を開いた。 「じゃあなんでわざわざ霊園に戻ろうって言いだしたんですか。車に乗らなきゃいけないのに」 「……霊園に戻れば降りてくれるかなって思ったんだ。よく考えればそんなことないかもしれないけど、あのときは気が動転してて――」  たしかに、もしその話が本当だったとしたら、彼の怯えようは当然だ。普段はおとなしい彼があれほど喧嘩腰になるのも頷ける。しかし、その女を見たわけではない僕には、にわかに信じがたい話だ。こころの奥のほうで、このさき心霊スポットに連れて行かれないために迫真の演技をしているのではないかとさえ思ってしまっている。 「あの、もしかして……」  おそるおそる、というように後輩が窓の外を見た。僕もそちらへ視線を送る。そこにはぼくたちが乗ってきた黒い軽自動車があった。「まだいるんですか?」、後輩の質問を受けた彼は車のほうを一瞥すると、神妙な面持ちでちいさく頷いた。 「あのさ、帰りに事故を起こすなんて噂も流れてるし、さっき見せた宿に泊まるのはどうかな? 車は明日レッカーするとして……」  僕は翌日特に予定はなかったし、それは後輩も同じらしかった。このまま帰っても寝るだけだし、たまには男三人で泊まるのも悪くない。僕が首を縦に振ると、それに続いて後輩も「いいですよ」と表情を緩めた。それにつられるように、友人も神妙な面持ちを解く。  レストランの会計を済ませ、それからコンビニで酒とつまみを購入し、僕たちはちかくの宿を目指した。チェックインを終えて酒が回るころには友人も落ち着きを取り戻したようで、大浴場での入浴を終えると、僕たちは狭い部屋で川の字になって寝た。  翌日になって日が昇ると昨夜の恐怖もどこかへいってしまい、近くの商店街で昼食を済ませたあと、友人の提案で電車を使って帰ることにした。  家に帰るころには夕焼けチャイムの時間を過ぎてしまっていて、橙色に染まる空を見ながら、不思議なこともあるんだなと昨夜の体験に思いを馳せてみた。友人の話が本当かはわからないが、真実を確かめる術はない。  そろそろ夕飯を作ろう。そう思って立ち上がったとき、携帯がけたたましい着信音を奏でた。画面を見ると電話は友人からだった。そしてその内容を聞いた僕は、思わず手から携帯を滑り落としてしまった。どうやら、レッカー車が事故を起こし、僕たちが昨夜乗っていた車が大破したそうだった。
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