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いち
「いいから早く戻ろうって言ってんだよっ!」
友人が怒鳴りだしたのは、二軒目の心霊スポットを探索しはじめたときだった。
この日、僕は友人と大学の後輩を連れて某県の心霊スポットを巡っていた。ひとつめの霊園を回り終え、そして二軒目の廃病院に侵入したとき、突然友人が「霊園に戻らないか?」と言い始めたのだ。僕も後輩も、彼が心霊スポットを苦手としているのを知っている。彼が戻ることを提案してきた当初、彼が廃病院よりも霊園の方がマシだと考えた結果のことだと思い、僕と後輩はふたりして彼を茶化していた。僕たちの悪ノリのような言い合いは、友人の怒鳴り声で幕を閉じることとなる。
「そ、そんな怒らなくても」
僕が彼を宥めるように言うと、「そうっすよ。まだ探索し始めたばっかだし」と後輩もそれに便乗した。しかし友人は舌打ちすると、再び大声を上げた。
「いいから早く戻るぞ!」
ぼうっと、彼の声がしずかな病院の室内に反響する。彼は僕たちに背を向けると、そのまま車が停まっているほうへ歩きだしてしまった。僕は彼の意図がわからないまま、そこに立ち尽くすことしかできなかった。普段の彼は、家に出たちいさな虫すら殺さずに外へ逃がすようなやつだ。僕たち三人のなかでもまとめ役を担っていて、どんな相談事も親身になって聞いてくれる。だからこそ、彼が怒鳴るなんて僕には信じられなかった。
「大丈夫ですかね……」
「帰ろうって言うならわかるけど、一軒目に戻ろうなんて……」
ここで友人とはぐれても困るし、車を運転できるのは彼だけだ。普段であれば考えられないが、あの様子では僕たちが置いていかれる可能性もある。僕が彼に続くと、ようやく身体が動きだしたみたいに後輩も後ろをついてきた。
かん、かん、かん、僕たち三人ぶんの足音が病院の壁に跳ね返って、何人もそこにいるみたいに聞こえる。手に持っている懐中電灯が突き当たりに友人の影を映しだし、僕が歩くのに従ってゆらゆらと揺れていた。
友人は何かに取り憑かれたように、こちらを振り返ることなく歩き続けている。もしかしたら、文字通り何かに取り憑かれてしまったのかもしれない。いやな想像をかき消すように咳払いをすると、前を歩く友人の肩がびくりと震えた。
一軒目に訪れた霊園は、自殺者がでたと言われている有名な心霊スポットだ。話によると、ある少女が交通事故で利き手を失い、生きがいだった絵を描けなくなった悲しみで首を吊ったのだとか。その少女は霊となったいまも墓地を彷徨っているらしい。白い服で歩く女を見たとか、懐中電灯がつかなくなったとか、帰り道で事故に遭ったとか、いくつもの噂が囁かれている。僕たちが行ったとき、霊園の探索は何事もなく終わった。そのときは友人の様子もおかしくはなかったし、そこにいたのはいつもどおり心霊スポットを怖がる彼だった。正直なところだだっ広いその霊園よりも、僕は圧迫感のある廃病院のほうが怖かったし、探索するのが楽しみでもあった。
車に到着した友人はちいさく息を吐きだすと、車に乗り込み、勢いよく車の扉を閉めた。ばたん、大きな音が葉の擦れる音を遮る。彼が物に当たるなんて珍しい。それほど苛ついていたのだろうか。助手席の扉に手をかけていた後輩が、肩をすくめながらノブを引いた。
たしかに、さっきは茶化しすぎたような気もする。もしかしたら、普段から彼は僕たちの悪ノリを疎ましく思っているのかもしれない。今回で限界に達し、爆発したのだろうか。
「……さっきはごめん」
後部座席から身を乗りだし、運転席に座る友人に謝まった。彼は「いいよ」と吐き捨てたあと、「いいからちゃんと座っとけ」と言葉を追加した。それからバックミラー越しに僕と目を合わせ、すぐに視線を逸らした。友人の額が一瞬光ったような気がして、何かと思って彼の顔を凝視してみると、額にびっしり汗をかいているのがわかった。
「先輩、汗――」
どうやら、後輩もそれに気づいたらしかった。しかし友人は「黙ってろ」と彼を睨み、車のエンジンをかけた。静かだった車内に低い音が響き、それからナビの「目的地を設定してください」という無機質な声がこころの底のほうを通り過ぎていった。
地面が舗装されていないせいで、車がガタガタと揺れている。その激しい揺れは友人の運転が荒いせいでもあるだろう。
「ちょっと、シート蹴らないでくださいよ」
突然後輩が振り返り、眉をひそめた。当然僕はシートを蹴ってなどいない。
「ここから脚伸ばしても届かないよ」
僕が座っているのは運転している友人のうしろ、つまり後輩の斜めうしろだ。三人ででかける際、ここが僕の特等席になっている。彼は「たしかに」と頷いたあと、次に友人のほうを向いた。彼の運転が荒いせいにしてくれたようだが、いまもハンドルを指で叩いている彼にそれを注意する勇気はなかったらしい。
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