願わくば、弦音の響く的前で。

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灯花(ともか)ー。一緒に帰ろー!」 「あっれぇ、灯花いなくない?」 「え?メッセージ送ったんだけどなー。あ、やっぱ既読ついてない」 「うっそー。もしかしてトイレ?……って、あそこ、灯花の席だよね?荷物なくない?」 「うっわ、マジじゃん!どこいったのアイツ」 「あ、ねえねえ!君さ、灯花知らない?」 「……灯花……?……あぁ!竜堂(りんどう)ちゃんのこと?」 「そうそう!どこにいるか知らない?」 「確か、竜堂ちゃんなら――」 ***  (あ、メッセージの既読ついた)  早歩きで道場に向かいながらメッセージアプリを確認する。  今日は部活休みなものの、自主練は許可されている日だ。普段は家が遠いこともあり、さっさと帰って筋トレすることが多いのだが、やはり的前に立った方が的中率は上がる。東雲花純に抜かされている今、何をしてでも一年生トップの座を取り戻したい。ということで、こうして友達と帰る約束をキャンセルし、道場に向かっている。  (今日はHRも早く終わったし、一番乗りかな。とっとと準備して打とう)  道場の入り口に着くと荷物を下ろす。弓道部では準備を始める前に、制服の状態で道場に挨拶しなければならないのだ。……と思って、ハッとした。  (やばっ、鍵!)  職員室に寄るのを忘れていた。これでは道場に入れない。急いで持ってこないと。あまり参加しないとはいえ、要領が悪い自分に歯噛みしながら踵を返そうとした――そのとき。 「……あれ、竜堂ちゃん?」  透明な声がした。聞き慣れた、優しい、私を呼ぶ声。  振り向けば、私よりも小柄な姿があった。既に袴を着て、バケツを持っている。クセ一つない髪は高い位置で束ねられ、細い首をこてりと傾げる、その姿。 「……し、東雲ちゃん?」 「わあ、やっぱり竜堂ちゃんだ!」  途端に、ぽわぽわと桜が花開くように笑う花純。桜の精霊みたいで美しい。なのに、ツッと一筋、冷や汗が頬を伝った。 「自主練、来てくれたんだね。嬉しいなぁ。一年生全然来なくって、いっつも先輩たちに囲まれて練習してて、肩身狭かったの」 「……東雲ちゃんって」 「うん?」 「一番乗り?」  わかりきった問いだった。私と花純以外に人の気配なんてしない。ごくりと唾を飲み込む。……でも、でも。  認めたくなかった。私が見向きもしなかった、物事の奥底にある部分に、完敗してしまっていると、自分で認めたくなかったのだ。もしかしたらの、0.1%にも満たない可能性にすがってでも。  でも、彼女は答えてしまうのだ。 「うん、一番乗り!」  竜堂ちゃんは二番乗りだよ!早いねぇと、何も変わっていない笑顔に、泣きたくなってしまった。 ***  弦音。衣擦れ。矢の刺さる音。弓道部特有の静謐な空間で、ぼうっと花純の射を見ていた。打つだけが練習ではない。時には上手い人の射を見ることも練習になる。  特に、花純の射は美しかった。足踏み、円相、打ち起こし、大三、引き分け、会、離れ、残心。物見や口割りなどは言うまでもなく、肩に余分な力が入っていなくて自然体。とにかく無駄がなくて、流れるように弓を引く。唯一、弓手が少し上にあるため、腕が一直線でないことが気になるが、軽い弓だと矢を上に向けないと的に届かないため、まあ仕方ないことと言えるだろう。実際、きちんと中てているので問題はないだろうし。  カンッ!  ほら、また中てた。 「花純、凄いよねぇ。今日、一本も外してないんじゃない?」 「いや、二本くらい外してたよ。まああの子、既に十何本も打ってるから的中率やばいけど」 「ぶっちゃけ、あんた負けてるでしょ」 「言うなってぇ。お前の矢筈(やはず)全部引っこ抜いて捨てるよ?」 「地味だけどマジで迷惑な嫌がらせやめて」  先輩たちも、もはや嫉妬する様子もなく、感心したように花純を話題にしていた。それはそうだろう。花純は初心者なのに、こんなに練習熱心で、上手くて、綺麗で――。 「竜堂さん?」  ハッと顔を上げれば、二年生であり部長でもある天野麗夜先輩がいた。いかにも弓道が似合いそうな凛とした顔立ちで、リーチを活かして力強く弓を引く、弓道部で一番上手いと言っても過言ではない人である。 「すみません。今矢取り行きます」 「いや、そうじゃない。花純のこと見てるなと思ったんだ。参考にしようとしてるのかな?」 「……まあ、はい。上手いので」  名は体を表すとは、よく言ったものだ。闇夜のように黒いポニーテールを揺らし、切れ長の目でふっと麗しく微笑んだ。 「竜堂さんは、肩線がズレやすいから気をつけた方がいい。腹に力を込めるといいぞ。花純も、気を抜いた時はよく体幹がブレているし、一年生にとっては難しいだろうけど……意識すれば変われる。中たるよ」 「……はいっ!」  弓掛けを外そうとした手を止め、矢を持って並んだ。せっかくの助言は忘れる前に打っておきたい。 (……みんなして、花純、花純って。私のことは"竜堂さん"なのに)  自業自得の醜い嫉妬は、心の底で叩き潰す。  正真正銘の、紛うことなき"自業自得"だからだ。
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