願わくば、弦音の響く的前で。

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 日がとっぷりと暮れ、いよいよ看的小屋に電気がついた。時計を見れば、短針が六の近くを指している。もうそろそろ自主練は終わりだ。私も疲労がたまり、満足に会が保てなくなってきている。集中力も切れ始めたのか、的に矢が全然中らない。最初は20人近くいた先輩たちも、今では半分の数になってしまっていた。  それでも帰らず矢を打ち続けるのが、東雲花純という奴だ。さすがに中らなくなってきているものの、射はまったく崩れていない。それが何となく癪で、一時間打ったら帰ろうかと思っていたものの、こうして最後まで残ってしまっている。 「もち矢かけます!」 『はいっ!』  とうとうもち矢もかけられた。これから先、今持っている矢以外打ってはいけないよーという号令である。つまり、自主練の終わりを示す号令だ。  あと一本でいいかなと的前に立ち、円相を取り、軽く深呼吸する。集中、集中、集中……。ふうううう、と息を吐くと、極めて緩慢な動作で打ち起こし。物見をして的を確認し、肘から上だけを動かす第三。ここからが重要だ。ズレた肩線を直し、腹に力を込める。しかし呼吸は止めないように。手首に力は入れず、肘を使って引き分け。鎖骨を開くように意識する。今日のコンディションを加味し、矢先は少し右にずらす。口割りはしっかり。そして。  カンッ! (……中ったぁ)  ほうっと胸を撫で下ろし、残心を三秒以上保って退出した。的心ではなかったが、弓道はアーチェリーとは違い、的に中たればどこに中ってもいいのだ。射込み表に記録を書き込むと、弦を外して弓掛けを外し、ちらりと射場を見ると、花純がまだ弓を引いていた。他の先輩たちはもう終わったらしく、いそいそと片付けを始めている。 (って!東雲ちゃんの矢!)  花純の足元には、まだ三本の矢があった。普通、もち矢といえば一、二本だけ打つものだ。四本も打ったりしない。『持ってればどれだけ打ってもいいよね?』という圧を感じる。異例というか、屁理屈を利用した状況だ。どんだけ打ちたいのだろう。そして先輩方。なぜ止めずに微笑ましく見守っている。もしかして日常茶飯事なのだろうか。東雲花純。弁えているように見えて、意外と強欲かつ、自分本位かつ――  練習熱心だ。 「花純。まだ終わらないかい?」 「すみません。あともう少しだけ!」  決して焦らず、一本一本丁寧に打っている。それでも中らない。安土に刺さった音を聞くたび、悔しそうに顔が歪んでいる。 「もう少し……もう少しだけ……」  ブツブツと何かを呟きながら、極限まで集中した状態で円相を作っている。変人というか、真剣というか……そう、真剣なのだ。熱量が半端ではない。 「花純はねー」  いつの間にか隣に立っていた先輩が、苦笑いしながら花純を見つめていた。その表情は優しくて、帰る時間が遅くなるのを微塵たりとも恨んでいないようだった。 「『最後は中って終わりたいんです』って言って、たくさん矢持ち込んで打つんだよ。もう常習犯すぎて慣れたよね。中たるとすっごい嬉しそうな顔するし、何となく憎めないというかさー」  カンッ!  的に中った音がした。花純の顔が一気にぱああっと輝く。純粋ここに極まれり。確かに憎めない。  まだ一本残っていたが、それは打たずにそそくさと射場を退出していった。 「すみません。終わりました!」 「よぅし。片付け開始!」 『はいっ!』  途端にガヤガヤと騒がしくなる道場。看的小屋にいた先輩たちもさっさと矢を回収し始めている。手際がいい人たちばかりのせいか、片付けのスピードが速い。 「まー、つまり」  ニヤッと先輩が笑う。 「弓道熱心な後輩がいると、何となく嬉しいよねって話!」  二人もいると尚更ね、と付け加え、跳ねるような足取りで巻き藁を片付けに行ってしまった。 「……竜堂ちゃん?どうしたの?」 「……んーん、何も。とっとと片付けちゃお!」  心配そうに顔を覗き込む花純に笑顔を返し、自分も片付けに行った。先輩たちばかりにやらせるわけにはいかない。  ……私は、弓道熱心と思われているのか、と思いながら。
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