願わくば、弦音の響く的前で。

4/5
前へ
/5ページ
次へ
「遅くなっちゃってごめん!竜堂ちゃん」 「全然大丈夫!あー疲れた。帰ろ帰ろ~」  職員室に道場の鍵を返し終わり、スタスタと二人で下駄箱へ向かった。  鍵を返すのは一年生……というより、我が儘言って最後の最後まで打っていた花純の仕事だ。花純自らそう言って、先輩から鍵を貰っている。しかし、花純一人を置いて帰るのは後味が悪いので、最後まで残っていた一年生同士、一緒に帰ろうと誘い、こうして二人で職員室に行っていたのだ。 「結局、私たち以外に一年生来なかったね」 「そうだねぇ。でも、いつもは一年生私だけだから、一緒に帰れて嬉しいな」  運動靴に足を突っ込んでぐいっと伸びをする。私は動きやすいから運動靴を選んだが、花純はローファーだ。女子高生の憧れである。もともと、この高校は靴の指定がないので、好きな靴を履けるのだ。  外に出れば、幾分か涼しくなった風が頬を撫でる。この季節は一番過ごしやすい。暑くもなく寒くもなく花粉も飛ばない。秋万歳。 「東雲ちゃんは、いつも自主練行ってるの?」 「うん。私、弓道好きだから」 「だから、あんなに的中率高いのか……凄いなぁ」 「凄くないよ!それに、もう少しで定期テストニ週間前でしょう?勉強しなさいってお母さんに怒られちゃうから、家で自主練できなくて……それで、ついつい遅くまでやっちゃうだけなの」 「……へぇ、凄い。めちゃくちゃ練習してんだね」  この子は、家でも練習しているのか。  唇を噛む。私よりも練習量が多い。比べるまでもなく多い。実る努力をしていて……報われている。 (……嫉妬する資格もないな)  熱量が違う。練習量が違う。初期の評価に胡座をかいて、余裕ぶっこいていた私とは、何もかも違う。まるでウサギとカメだ。  ……いや、花純はカメじゃない。ふるりと頭を振る。花純の射を見てわかったが、そもそも初めからポテンシャルとセンスがある。努力できるタイプの天才、秀才だ。さしずめ、カメの皮を被ったチーターといったところか。立つ土俵が、まるで違う。 (……それでも) 「竜堂ちゃんも、的中率かなり高いよね。自主練してるとこ、あんま見ないのに……羨ましいなぁ。嫉妬しちゃう。最初からセンスがあるって、いいね」 「それは東雲ちゃんもでしょ。最初から上手上手って言われてたじゃん」 「んー、あれはお世辞じゃないかなぁ……?えっと、新入部員を増やすための……」 「いや、最初から綺麗だったよ。憧れだった」  ――そう。天才と言われていたのは、私だけではない。東雲花純も、また然り。初めて的前に立ったときは、私の方が的中率高かったから、勝手にトップだと思っていた。私の方が上だと。  足元を、すくわれた。 「そうだったの?憧れだなんて……恥ずかしいな」 「だからさ」 (それでも)  足元をすくわれた。立つ土俵が違う。私は愚かだった。わかっていても、この自尊心と意地は簡単に折れてくれない。――諦めてくれない。 「勝負しない?」  すっと花純と目を合わせた。黒耀石のように輝く、澄んだ綺麗な瞳。 「テスト終わったら、新人戦の選抜があるでしょ?的中率が良かったら、一年生でも出してもらえる。ねえ、どっちが出してもらえるか、二人とも出られたら試合でどっちが的中率いいか――勝負しない?」  誰よりも先に来て誰よりも長く練習する。基本だ。負けている。  射の美しさは的中率に直結する。負けている。  弓道に対する熱量。私もそれなりにある。負けている。  的中率。言わずもがな。負けている。  自分より下だと思っていた相手に、何もかも負けていた。 (それでも!)  自尊心は、意地は、プライドは、諦めてくれない。それなら、これらに報いるしかないのた。  花純に、勝つしかないのだ。 「東雲ちゃんに勝ちたいの。憧れだから、勝ちたいの。ね、お願い。勝負しよう」  だが、この醜い、自分本位な思いは隠す。自分より下だと思っていたなんて、そんな失礼なこと、口が裂けても言わない。綺麗な言葉で言いくるめて、花純に勝負を挑む。 「……竜堂ちゃん……」 「私、東雲ちゃんとライバルになりたい。負けたくないって思ったんだ。自主練もこれから毎日参加する。東雲ちゃんに勝てるように頑張る。私のこと、眼中にないかもしれないけど……いつか絶対抜かすから」  一つ、深呼吸する。 「私と、勝負してください」  花純が負けても、気持ちよく負けられるように。こんな、自主練もしてないような奴に、なんて思わせない。花純が納得できるような、正々堂々、同じ土俵で勝負する。 「……花純、って呼んで」  ポツリ、と何か呟いた。上手く聞き取れなくて、え?と聞き返す。 「花純、って呼んで?私のライバル。私も、灯花って呼ぶから」  にっこりと微笑む花純。それは、月光の降る夜に美しく輝いていて。  心の中の澱んだ空気が、さあっと晴れるような心地がした。 「ありがとう、花純!負けないから!」 「ふふ、楽しみにしてる!」  抜かしてごらん、と身を翻して走り出した花純に、笑って待てえ!と追いかける。  月光の下、群青の下。私たちはライバルになれた。 (……ここからだ)  ここから、私は一番になる。  花純めがけて、走り続けるのだ。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加