白衣の戦士 因果応報

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白衣の戦士 因果応報

『葵ちゃん!今日は何して遊ぶ?』 頬と唇が淡い桃色で、長い艶やかな黒髪、澄んだ大きな瞳。それはまるでお人形のように愛らしい女の子だった。 「遥ちゃん!」 子供たちと実家に来ていた葵は、実家のソファーでうたた寝をしていた。 「あ・・・・・・つい寝ちゃった」 「お母さん、遥ちゃんって誰?」 「遥ちゃん?・・・・・・」 その名を聞いて夢の記憶が蘇る。 「そうだ・・・・・・あの子の名は遥ちゃん!」 「その人、お母さんのお友達?」 「そう。夢の中のお友達・・・・・・でもね・・・・・・」 葵はそれ以上語ることなく、表情を曇らせた。 実家でお茶をしながら、母とたわいもない話をする葵。 「お母さん。私ね、子供のころからずっと同じ夢を見るんだよね。変かな」 「夢?どんな?」 「うちの子供たちくらいの年の私は、街で友達と待ち合わせしているところに事故に遭う夢。夢なのになんだかリアルに感じるんだよね。夢から目覚めると、そのお友達の顔も名前も思い出せないから想い癖の夢だと思うんだけど。でも、さっき少しだけ思い出したんだよね。その子の名前」 「それ、夢なんかじゃないよ」 「え?」 「覚えていない?あなたは子供の頃、交通事故に遭遇したことがあるのよ」 「それ、初耳なんだけど!」 「やっぱりね。まだ幼かったあなたは、事故の残酷な光景を目の当りにして現実を受け止めることができず、自ら記憶を消し去った。当時、精神科の先生に見ていただいたとき、そういわれたのよ」 「まさか、あの悪夢は本当だったってこと?ねえ、もっと詳しく教えて!」 葵は母親から事故の詳細を聞かされた。 小学一年生になった葵は、お友達の遥ちゃんと街の大通りの一角で待ち合わせをしていたところに、事故に遭遇した。 車同士の衝突事故で制御不能に陥った軽自動車は歩道に乗り上げ、遥ちゃんはその下敷きになったと。 「・・・・・・まさか本当のことだったなんて・・・・・・。ねえ、遥ちゃんって今どうしているの?」 「・・・・・・かわいそうだけど、あの事故で亡くなったのよ」 「え!?」 「そういえば、もうじき遥ちゃんの命日じゃない?」 夢だと思い込んでいた出来事は現実だったと知り、そのあまりの恐ろしさにぶるりと怖気立った葵は自身の両腕を抱えた。 葵は、幼馴染だった遥ちゃんのお墓参りにやってきた。 享年八歳と刻まれた墓石を見て胸が痛んだ。 「遥ちゃん、覚えてる?葵だよ。私は、すっかり大人になっちゃった。長い間あなたのことを忘れてしまってごめんなさい・・・・・・毎晩のように夢に見ていたのにね・・・・・・」 今亡き遥と暫く語った葵は墓地を後にした。その時、意外な人物の後ろ姿を見つけた。 その人は、遥ちゃんの墓の前で立ち止まると、花を手向け線香をあげた。 ――どうしてここに?知り合いなの? いつまでも手を合わしているため、葵は気になり戻ってみることにした。 その人は墓前で項垂れ、声を上げて泣いていた。 見たこともないその姿に葵の胸が締め付けられた。 「・・・・・・かず君・・・・・・どうしたの?大丈夫?」 その声音にビクリと反応した一樹は、恐る恐る顔を上げ振り返った。 涙に濡れた瞳と頬、とても悲しい顔をしていた。 夫の悲しげな表情をみた刹那、葵の脳裏に夢の記憶の断片が飛び込んできた。 ――ハッ!?今のは何? 「ううっ・・・・・・」 その記憶を消し去るかのように強い頭痛に見舞われた。 「葵!?・・・・・・どうして・・・・・・君が、ここにいる・・・・・・」 夫は葵を驚愕の眼差しで見つめていた。 「こんなところで、私なんかに会いたくなかった?・・・・・・お友達なの。今日は彼女の命日だというからお墓参りにきたの。夢だと思っていた出来事が、本当だったと知って・・・・・・」 「何か・・・・・・思い出したのか・・・・・・!?」 一樹の手が震える。 「うん。全てではないけど・・・・・・それより、どうしてかず君がここにいるの?」 葵の言葉に困惑の表情を浮かべる一樹。 「え!?」 「ひょっとして・・・・・・」 一樹の心臓の鼓動が速くなる。 「親戚だったとか?」 「あ、ああ、まあそんなところだ・・・・・・」 「・・・・・・かず君、仕事はまだ忙しい?」 「そうだな・・・・・・その日にもよるが・・・・・・」 「ちゃんとご飯食べてる?」 「ああ、食べている」 「・・・・・・子供たちが、あなたの帰りを待っているよ」 「・・・・・・すまない・・・・・・暫く帰れそうにないんだ・・・・・・」 「・・・・・・そう・・・・・・」 寂しげに笑って見せる葵。 「じゃあ、私行くね。あまり無理しないでね」 「ああ・・・・・・」 不倫現場を目撃してしまったあの日から、夫は自宅に帰らなくなった。 帰らぬ夫は、何処でどうしているのかもわからない。聞くことさえ怖かった。 葵は、あの日目撃したことを夫には話していない。 夫を追い詰めたりしないように、何でもなかった素振りを見せる。 見なかったことにすると心に決めたのだ。子供たちのために。 では、自分は?それでも夫を許すことが出来る? 絶望感から立ち直れない葵だった。 ぼんやりと思考の世界に浸る一樹。 それは葵の両親に結婚前提の交際を認めてもらうために挨拶に行った日のこと。 『あなた、どこかでお会いしたような気がする」 その時は偶然どこかで見かけたのだろうと思っていた。 今思えば、僕たちの出会いは運命的だった。 出会った時から君に強く惹かれた僕は、年の離れた君に振り向いて欲しくて必死に口説き、彼女とつき合うことが出来た。 だが、持病を抱えていた自分が彼女と結婚できるとは思っても見なかった。 僕が病気だと知ったら、君はこれまで出会った女性たちのように離れていくと想像できたから。 君が僕から離れていくと想像しただけで怖かった。だから言ったんだ。 『ごめん。僕は難病を抱えている。君を幸せにしてあげることは出来ない』 別れを覚悟して君に伝えたあの時。僕は「終わった」と思った。 君は困惑の表情を浮かべていた。そう、これまで出会った(ひと)たちのように。 僕は誰よりも、君の困った顔を見るのが辛かった。だから目をぐっと瞑った。 『では。私が貴方を幸せにします。そしたら私も幸せになれるでしょ』 君のまさかの言葉に、僕の魂が震えた。夢を見ているようだった。 だが、年の差カップルの僕たちは、君の両親に猛反対された。 それなのに、勘当同然で家を飛び出し身一つで嫁ぐから婚約指輪もいらないとまで言ってくれた君。 『もし持病が悪化して働けなくなった時、私が養うから心配しないで』と言ってくれた君。 僕はなんとしてでも病気を克服し、君を幸せにしてあげたいと強く願った。 強くて優しい君に、僕はますます惹かれていった。 今までもこれからも、こんなに素敵な女性に出会えることはないと思った。 信念を貫き通す君にとうとう両親は観念し、僕たちは結婚が許された。 強い君は、僕が難病であることを両親に内緒にしたまま、僕との人生を選んでくれた。 君は出産すると、育児をしながら看護学校に通い始めた。 それが、どんなに大変なことか。見ていて辛かった。 それなのに、どんなに疲れていてもいつも太陽みたいに君は笑っていた。 君に負担をかけてばかりで申し訳ないと、不甲斐ない自分が情けなくなった。 だから、頑張る君を応援したい。僕にできることは何でもしてあげたいと思った。君の幸せのために。 それなのに、君をこんなにも傷つけることになるとは思っても見なかった。 今思えば、僕たちの人生はあの日から始まった。忘れたくても忘れられないあの日から。 結婚してから、君の実家でアルバムを見ていた。 僕の知らない君に心躍らせながらアルバムをめくった。 ふと目にした一枚の写真に目が止まる。 「葵・・・・・・この子は?・・・・・・」 「う~ん。誰だろう?よく覚えてない。こんな子いたかなぁ・・・・・・」 「・・・・・・」 「葵~ちょっと手伝ってくれる?」 台所から葵を呼ぶ母親の声が、やけに遠く感じた。 「は~い。恥ずかしいけどよかったら見ていて」 席を外した葵の代わりに父親が相手をしてくれた。 「どれ、どれ。あ~懐かしいな~この子、遥ちゃんじゃないか!?まだ、写真に残っていたんだな・・・・・・」 「はるか?・・・・・・」 「この子は葵の同級生の遥ちゃん。この頃はいつも一緒に遊んでいたな・・・・・・親御さんは娘の晴れ姿を見たかっただろうなぁ・・・・・・さぞかし無念だったことだろう。人はいつどうなるのかなんて、誰にもわからないものだな」 「お義父さん・・・・・・この子は・・・・・・亡くなったのですか?」 「気の毒な話だよ。彼女は交通事故で亡くなったんだ。あれは悲惨な事故だった・・・・・・実はこの現場にうちの葵もいてね、凄惨な事故現場を目の当りにしているんだよ。当の本人は、その時の記憶がないっていうから、ある意味よかったのかもしれないが・・・・・・」 一樹は驚愕した。 過去のおぞましい記憶が、一樹の脳裏に一気にフラッシュバックする。 『きゃあああああ~!』 車の下敷きになった女の子の無残な姿を見て絶叫する女の子。 『遥ちゃん!遥ちゃん!!』 ピクリともしない女の子を見て必死に声を掛ける女の子。 『遥ちゃん!遥ちゃん!』 女の子は、泣きながらひたすらその名を叫び続けた。 悲痛なその叫びに心痛めた僕は、その子を見上げ肩に触れようと手を伸ばしたその時、ビクリと身を震わせ拒み、恐怖に慄く表情で僕を見て怯える女の子。 その幼き女の子は、一瞬で大人の女性に姿を変えた。 ――葵!?・・・・・・ その衝撃に、心臓がバクバクと激しさを増し、激しい頭痛とめまいに見舞われた一樹は、絶望の谷へと一気に崩れ落ちていく感覚に陥った。 愛した君は、あの時泣いていたあの幼い女の子だった。 ――こんなこと、誰が想像できたであろうか・・・・・・。 夫婦となった一樹と葵は、おぞましいあの事故の加害者と被害者だった。 その日から、僕は君に触れることが出来なくなった。 僕の腕の中で快感に酔いしれ生理的な涙を零して泣く君を見ていると、幼き頃の君を思い出してしまう。 清い君を、血塗られた手で穢しているように思えて触れるのが怖くなった。 あの時の少年は僕だと言えたらどんなに楽だろうか。 いっそのこと君に罵られ、軽蔑の眼差しを向けられた方がよかったのかもしれない。 そしたら、君はあの時のような怯えた目で僕を見るだろうか。 知っていたら、君をこんなにも苦しめることはなかっただろう。 だが、僕は弱い人間だ。自分のエゴを満たすために君を手放すことが出来ない。 君が誰かのものになると想像しただけで、おかしくなりそうだった。 だから、嘘を貫きとおすことにした。 僕は罪を重ねる犯罪者。君を愛するが故に。 結婚してから知ったこと。 僕の腕の中で眠る君は、毎晩のように悪夢に魘される。 どうして?その理由を知ったとき、逃げ出したくなった。 『遥ちゃん、生きているよね。お兄さん、助けてくれてありがとう・・・・・・』 夢に魘される君の一言が痛いほど胸に突き刺さる。 僕が君に触れるのは、悪夢に魘され怯える君を抱きしめてあげるときだけ。 悪夢に苦しむ君を、その恐怖を、その時に戻って取り除いてあげたかった。 せめてもの償いだ。 君に触れることが出来なくなった僕は、別の女性に君を投影させその想いを満たしてきた。 僕の心の中にはいつだって、君しか映っていない。 だが、君を泣かしてばかり。 それなのに、君はこんな僕をずっと待っていてくれた。 愚かな僕と知りながら、愚痴一つ零さずに。今でもずっと。 手放したくないと、永遠に自分だけのものだと手にした宝物。 宝物は、とうとう誰かに奪われる時期(とき)が来た。 これは僕に与えられた罰。 君から大切な物を奪った僕への、因果応報――
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