白衣の戦士 きっと君はまだ知らない

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白衣の戦士 きっと君はまだ知らない

それは、かつて天下泰平の世を築いた戦国武将の城下町として栄えた、歴史あるこの街に僕はやってきた。 この街は僕に、どんな彩ある人生を添えてくれるのだろう、と期待と不安が入り混じる中、まずはご挨拶と思い立った僕はある場所を目指した。 そこは新しい赴任先から歩いて行ける、広大な敷地内にいくつかの立派なお社が立ち並ぶ、その街で神社といえばその名があがる場所。 朱を基調とした白壁に若草色の差し色が美しい本殿。 そこには、その県唯一の医薬の神様が奉られていると知り興味深くもあった。 贅沢な装飾がふんだんにあしらわれた社殿を見学した後、境内を散策しながら見てまわる。 急こう配の長い石段を息を切らせながら一気に駆け上がり、石造りの鳥居をくぐり抜けると開けた小高い丘の上に鎮座する神様に出迎えられた。 右手奥に目を配れば、一本の遅咲きの桜が満開を迎え、風に舞い上がる淡い紅色の桜の花弁がなんとも美しく、散りゆく儚さに思わずため息が零れ出た。 その桜の木の下で、ポツンとベンチに腰掛け読書する一人の若い女性の姿が目に映った。 女性は、本の世界観に入り込んでいるのか、周囲のことが全く目に入っていないようだ。 桜の花弁がひらひらと女性の髪に舞い落ちる様を見て、少しの違和感を覚えた。 はたして、女性は本を読んでいるのだろうか。 先程からページをめくる様子も見られない。 その場所にどのくらい居たら、ああなるのだろうか。 僕は、見知らぬその女性がなぜかとても気になった。 開かれた本のページに、文字が読めないくらい降り積もった薄紅色の桜の花弁たち。 僕は気になって仕方がなかったが、あまり見るのも失礼だと思い社の神様に手を合わせた。 この街での仕事の成功と今後の人生が素晴らしきものになるように祈った。 帰りがてら、ふと女性を見た僕は思わずその場に立ち止まった。 俯くその女性は、細い肩を震わせ咽び泣いていた。 僕は、あれほどまでに悲しげに泣く女性を見たことがない。 そんな女性を見て、僕の胸はちょっぴり苦しくなった。 声をかけることなくその場を去ろうとしたその時、女性はふと顔を上げた。 その刹那、僕は女性に心奪われた。 そう。これを一目ぼれというのだろう。僕は、この年になって初めてそれを知った。 桜の吹雪の中、桜の花弁を掌に受け止めたその女性は、散りゆく桜の木を見上げ儚げに微笑んだ。 その姿は、ため息が出る程美しかった。 赴任先で新たな業務が始まった。 何百人といる職員に挨拶してまわるのだ。直ぐには顔も名前も覚えられない。 僕は上司と共に各部署に挨拶に回った。どこの部署も忙しそうだ。 とある部署はそれが顕著だった。 僕が訪れた時、救急車が到着し患者が搬送されてくるところだった。 救急外来の職員たちは僕に目も止めることなく、患者対応していた。 明日からでもこの部署で患者を診ることになるだろう。 遠巻きに眺める僕は、信じがたい光景を目の当たりにした。 「ルートは?」 「確保しました。心電図、採血も済です。造影ルートも取りましたからこちらはいつでもOKです」 「おお、早いな。さすが東雲葵。助かるよ」 「はい!」 凛とした出で立ちに、華のように顔を綻ばせて微笑むその女性。 ――その人の名は、東雲葵・・・・・・ 「見つけた・・・・・・」 白衣を身に纏いフロアーを戦士のごとく駆け巡る彼女は、散りゆく桜の木の下で儚げに微笑んでいたあの女性だった。 僕は、胸が熱くなった。 僕の心を一瞬で奪い去ったあの女性が。 もう一度会いたいと願った、僕の理想ともいえる女性が。 今、目の前に現実となって現れた。 これを運命と言わずしてなんと言うのだろうか。 今、僕の腕の中で一糸纏わぬ女神がすやすやと眠りについている―― 君は知らないだろう。 僕がどんなに君のことが好きかだなんて。 あの日、僕たちは出会っていたんだ。 あの時から、僕たちの運命は動き出したということを。 きっと君はまだ知らない。
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