白衣の戦士 ヒーロー

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白衣の戦士 ヒーロー

「あの、大丈夫ですか?もう少し行くと上にあがれる階段があります」 「まあ、なんて心強いの。ありがとう。あなたの名前を教えてくれる?」 「東雲彩香(しののめあやか)」 「まあ、可愛らしい名前ね。あなたまだ小学生くらいかな。誰かと一緒だったんじゃないの?」 「はい。先生とクラスメイトたちです」 「え!?皆はどうしたの?」 「先生たちと逃げました」 「まあ!どうして、皆と逃げなかったの?」 少し前の出来事を回顧する。 彩香たちは地下の商業施設で授業を受けていた時、震災に遭った。 揺れがおさまると、教師たちはあちこちの施設で学習していた生徒たちを一か所に集め、全員が揃ったのを確認し非難を開始した。 その頃には、停電した地下はガス漏れが発生し、逃げ惑う人々でパニックとなっていた。 皆と避難を開始した彩香は、逃げ惑う人々の中に身動き取れず地べたに座り込み頭を抱え怯える女性に目が止まった。 だが、女性に手を差し伸べる者は誰一人いない。 皆、自身を守ることで精一杯。見て見ない振りしているようにも感じられた。 よく見ると女性の傍には、主を守るように寄り添う盲導犬の姿が。 気づけば彩香は避難誘導の列から外れていた。 『あの。大丈夫ですか?ここは危ないから、すぐそこのトイレに移動しませんか』 『ああ、どなたか知りませんが、ご親切にありがとうございます』 『傍にいるから、安心してください。一緒に逃げましょう』 跛行(はこう)する盲導犬の後ろ脚から、血液がポタポタと滴り落ちる。 「・・・・・・盲導犬を見かけたから・・・・・・この子、足に怪我しています」 「ああ、やっぱりそうだったのね。地震の時に、誰かに足を踏まれでもしたのかしら・・・・・・おばさんね、目が見えないの。だから、言われるまで分からなかった・・・・・・私って駄目ね・・・・・・」 ふと、母とした会話が思い出され彩香は「ああ」と思った。 『盲導犬って偉いのよ。車内でお菓子を食べていた幼い子供がね、うっかり盲導犬の鼻先にお菓子を出したんだけどね、食べなかったのよ。訓練されているそうよ。たとえ人に危害を加えられても、吠えたり噛みついたりしないように訓練されているんだって。主を守るために仕事をしている間はね、どんなに辛くても耐えるのだとか・・・・・・盲導犬って凄いのね』 この盲導犬()は今、痛みに耐えながら歩いているのだろう。 怪我を負いながらも、主の目となり誘導する盲導犬のけなげな姿に、胸が締め付けられた。 「そんなことないです・・・・・・出口まであと少しです。頑張ってください」 強い気持ちで地上へ続く階段を探しながら、女性と傷ついた盲導犬を連れ避難する彩香。 突如、女性を誘導する盲導犬が膝崩れするように地面に伏せた。とうとう限界に達したのだ。 その際、ハーネスにつかまっていた女性が前につんのめり転倒した。 「痛っ・・・・・・!!」 彩香は力を込めて支えたが、片手を地面についた女性は手首の激痛を訴えた。 「ごめんなさい!」 女性を転ばせてしまったと落ち込む彩香。手首は見るからに変形し、明らかな骨折と思われた。 「・・・・・・ううん、謝らないで。あなたのせいではないの。あなたがいたからこの程度で済んだのよ。ありがとう」 女性にそう言われて一瞬泣き出したい気持ちになった彩香だが、盲導犬を見て習い涙をぐっと堪えた。 彩香は咄嗟に何かを思い立ち、背負っていたリュックの中身を漁り始めた。 中からA4サイズの教科書を取り出し女性の前腕から指先まで筒状に包み、着ていたパーカーの紐を抜き取ると、上からぐるぐると巻きつけ固定した。 「ひょっとして・・・・・・応急処置をしてくれているの!?」 「はい」 「凄い・・・・・・どこで習ったの?」 「お母さんからです」 「まぁ・・・・・・」 今度はポケットからハンカチを取り出すと、盲導犬の傷口に巻き止血を行った。 ――この人と盲導犬(このこ)は私が守るんだ! 彩香は心に強く誓った。 「地震もあったし、異臭はするし。誰もいなくなってしまって怖くない?」 「・・・・・・本当はね、怖いよ・・・・・・でもね。目が見えない方が、独りぼっちにされる方が、ずっと怖いから・・・・・・」 「まぁ!?なんて心優しく勇敢な子なの!あなたは私のヒーローよ!きっと立派な親御さんに育てられたのね・・・・・・」 彩香は、両親が褒められてとても嬉しかった。 母親が夜勤の時は、いつも夕飯の支度をしてお風呂に入れ寝かしつけてくれる父の姿が脳裏をよぎった。朝は早く起き、朝食の支度をして学校に送り出してくれる父からは愛情を貰った。 今朝、母の努める病院前で見た白衣姿の母。凛とした母の出で立ちを思い出しただけで胸がキュンとする。そんな母を見てお友達がざわついていた。 『あの綺麗な看護師さん、彩香ちゃんのお母さん!?カッコイイ~!いいな~』 彩香にとって自慢の両親だ。 だが、その両親はまもなく離婚する。両親ははっきりと言わないけれど、見ていればわかる。その時が来たのだと。 ――お父さんとお母さん、妹に会いたい・・・・・・ 鼻の奥がツンと痛い。寂しさがこみ上げてくる。 今朝、母に酷いことを言ってしまったと今更になって後悔する。 「私のお母さんは、白衣の戦士なの。困った人を助けるヒーロー。だから、私も・・・・・・」 言いかけた時、いるはずのない母の声がした。 「彩香ーー!」 はっとした彩香が振り返ると、真っ暗な闇の中を白くボワッとしたものがこちらに向かって駆けてきた。 それは、彩香の憧れのヒーロー。白衣の戦士がそこに現れた。 我慢していた涙が、(せき)を切ったように一気に零れ落ちた。 「お母さん・・・・・・お母さん!お願い!手を貸して!この人と盲導犬が怪我をしているの!助けてあげて!」 瞬時に目を配れば、そこには片腕を応急処置された女性と怪我した足にハンカチが巻かれた盲導犬の姿が。 「ああ、彩香!無事でよかった・・・・・・そして、偉かったね・・・・・・」 葵は彩香をきつく抱きしめた。立派に成長した娘の姿に涙が零れ落ちた。 その時、地の底から唸るような不気味な音をたて再び大地が揺れ動いた。 「キャー!」 「頭を抱えて!屈んで!」 地下道の壁や天井がピキピキと音をたて(ひず)みが生じ、大きくひび割れた亀裂からバラバラとコンクリート片が崩れ落ち、水が勢いよく噴き出した。 余震で、地中の水道管が破裂したのだ。 「さあ、ここは危険だから先を急ぎましょう!彩香はその方を支えてあげて。お母さんはこの盲導犬()を見るから」 彩香は女性の手を引き、真っ暗な地下道を注意深く進むと、少し先に陽光が差し込むエリアをみつけた。 「あった――!」 彩香は地上へ続く階段を見上げた。 「地上はもうすぐそこです!頑張ってください!」 彩香は女性を激励した。階段をゆっくりと上がると、二人に気づいた消防隊が駆け下り救助の手を差し伸べた。 二人が救助されるのを地下から確認した葵は、安堵の表情を浮かべた。 ホッとするのも束の間。葵は傷ついた盲導犬を抱えると階段を上り始めた。 その時―― 地下奥部から地中を伝わる振動が鼓膜に届いた瞬間、耳をもつんざくほどの爆発音と熱い爆風が葵に襲いかかった。 「――!!」 地上にあがった彩香が振り返ったその時、葵は一瞬にして爆風に吹き飛ばされ、地下は火の海と化した。 「え!?おかあ、さん?嫌――!誰か――!お母さんを助けて――!!」 彩香は、悲鳴のような声を上げ泣き叫んだ。 辺りは騒然となった。 時同じくして、病院では地下での爆発事故の情報が入った。 「今、地下街で爆破事故が起きたと聞いて応援に駆け付けた!何をすればいい!?」 「ああ、桐生先生。助かります!」 「ねえ、それにしても遅くない?」 「そう言えば、出かけてから結構時間が経ちますよね。どうしたんだろう」 「まさか、爆発に巻き込まれたりなんかしていませんよね・・・・・・」 「え!?まさか、そんなはずないでしょ」 「んんん?何の話をしている?」 スタッフの会話を今一つ理解できていない桐生は訝し気な表情で皆を見つめた。 「東雲さんの娘さんが、地下の商業施設に課外授業で来ていて災害に巻き込まれたらしいの。心配した彼女は、子供の様子を見に行きたいというから外出許可を出したんだけど、それきり戻らないのよ・・・・・・」 「何だって――!?それは本当か!?」 その時、ホットラインが鳴った―― 「こちら○○市消防局○○救急隊の救命士谷崎です!収容要請をお願いします!先程発生した地下街の爆発事故に巻き込まれた、貴院の看護師女性、東雲葵さんです!意識レベルⅡ-20。(大声で呼びかけ強く揺するとかろうじて開眼する)至急収容要請願います!」 「え――!?今、東雲って言った!?」 「葵――!?」 桐生は全身の震えが止まらなかった。 「受け入れを許可する!バイタルを――!」 葛城医師の焦りを抑えきれない乱れた声音が、皆の緊張感を増長させた。 「――――以上!三分で到着します!」 救急入り口で落ち着きのない桐生は、救急車が到着すると同時に自らハッチを開け、転がり込むように乗り込んだ。 「葵・・・・・・!?」 葵を見た桐生は息を呑む。 「葵!!目を開けてくれ!葵――!!」 悲鳴のような声で葵の名を呼ぶ桐生は、震える手で全身の観察を始めた。 ただならぬ様子の桐生を見て、谷崎は驚きを隠せなかった。 葵は桐生の呼びかけに反応し、開眼すると小さく呟いた。 「・・・・・・桐生、先生・・・・・・?」 「ああ、そうだ!僕だ!ああ、葵――!無事でよかったぁ――!」 全身がずずぶ濡れで至る所に細かな擦過傷が見られるが、目立った外傷は見当たらない。 涙きながら葵に抱きつく桐生の姿を見て、谷崎は救急車のハッチを閉めた。 「あれ?患者を下ろさないですか?」 「今、中は取り込み中だ・・・・・・医者がついているから大丈夫だろう」 「はぁ!?」 隊長の谷崎の言動に、信じられないとばかりに目を丸くし顔を見合わせる隊員たち。 葵をギュッと抱きしめたまま離さない桐生に、優しい眼差しで微笑む葵。 その様子を、じいっと間近で凝視する黒曜石の双眸と桐生は目が合った。 「!?」 「お母さん・・・・・・この人、だあれ?」 ――はっ!? 葵にそっくりな女の子と目が合い、我に返った桐生は背筋が凍り付いた。 「桐生先生て言うの。ドクターよ・・・・・・」 「ドクター?」 再び、ガチャリと控えめに救急車のハッチが開かれた。 「あの・・・・・・皆さんが心配してお待ちです。そろそろ、東雲さんを院内に搬送してもよろしいでしょうか・・・・・・」 谷崎の言葉に救われた桐生だった。 葵は全身打撲だけですんだ。あの大爆発の中、熱傷を免れ無事生還した葵は奇跡としか言いようがない。 関係者の話では、爆発に巻き込まれた葵と盲導犬は、爆風に吹き飛ばされた際噴き出す水道水に浸水し熱傷を免れたのだと。 「彩香。あの女性と盲導犬はどうなったの・・・・・・」 犬はさすがに助からなっただろうと覚悟した。 「女の人は無事。・・・・・・盲導犬は、後ろ脚に怪我したけど、命は助かったよ」 葵の表情がパアッと明るくなった。 そこへ、連絡を受けた夫の一樹がやってきた。 「葵!彩香!ああ・・・・・・無事でよかった・・・・・・」 一樹は、躊躇うことなく葵と彩香を力強く抱きしめ泣き崩れた。 その様子を、桐生は遠巻きから黙って見守った。 少しすると葵は「こうしてはいられない」と言って起き上がり、どこかに姿を消すと白衣姿で現れた。 「休んでなくて平気か?」夫にそう言われ、葵はハニカミながら答えた。 「だって、私は白衣の戦士でしょ。かず君が彩香にそういったって・・・・・・」 目を丸くした一樹は、呆れた顔して微笑んだ。 一樹と彩香は、救急外来を駆けまわる葵の姿をはじめて目の当たりにした。 凛とした後ろ姿は戦士のよう。差し伸ばされた手は優しく、その眼差しは聖母のようにあたたかかった。 一樹は胸がいっぱいになり、ゆるゆると視界がぼやけていった。 二人はその場に立ち尽くし、戦士の勇ましい姿をただじっと見つめていた。 その後、休憩に入った葵のもとに彩香がやってきた。彼女は何かを決心したかの表情で話し始めた。 「お母さん。私と妹はお父さんと暮らすことにしたの。お母さんのことが嫌いなわけじゃないよ・・・・・・」 「お願い、お母さんを独りぼっちにしないで・・・・・・」 「お母さんは戦士だから、私達がついていなくても大丈夫。でもね。お父さんは戦士でもヒーローでもないから、私たちがついててあげなくちゃいけないの」 「ヒーローだって、誰かの助けが必要よ・・・・・・」 「ヒーローを助けるヒロインはもういるでしょ」 娘の彩香はとある方向を指し示す。その先に視線を送る葵。 「ほら。あそこ。あの白衣を着たあの人。さっきからお母さんのこと、ずっと気にかけているよ」 「え・・・・・・!?」 子供は桐生を指さしそう言った。 「さっきね、お父さんがね。患者さんを見てまわるお母さんを見てい言ってたの。『カッコイイな』って。『まるで白衣の戦士だな』って。『お前たちのお母さんはヒーローなんだぞ』って。『だから、お母さんみたいになるんだぞ』って。そう言って泣いていたんだよ・・・・・・」 そう話す彩香の声が震えているように感じた。 「泣いていたのは、お父さんだけ・・・・・・?」 葵は彩香の顔を覗き見た。 「うん・・・・・・」 鼻をすする彩香の瞳には、キラリと涙の雫が広がっていた。 「彩香・・・・・・あなたはいったい、誰に似たの・・・・・・」 葵は彩香を抱き寄せ、頭にそっとキスを落した。 家族の愛を、その想いを知った瞬間だった。 数日後、葵宛に一通の手紙が届いた。 送り主の名前を見てドキリと心臓が高鳴った。 葵は大きく深呼吸すると、手紙を開封した。 親愛なる葵へ 葵。覚えているか?初めて出会った頃のことを―― ああ、懐かしいなぁ。 俺は君に一目ぼれだったんだ。信じてくれるか? こんな日が来るなんて、思いもしなかった。 年を取って、君に看取られながら天に召されると思っていたからな。ははは。 葵。こんな俺を伴侶に選んでくれてありがとう。 あの時は、天にも昇る心地だったよ。 そして、君似の可愛い子供たちを二人も生んでくれてありがとう。 これまで支えてくれてありがとう。 こんな駄目俺を、愛してくれて本当にありがとう。 君には、伝えきれないほどの感謝でいっぱいだ――。 あの日。白衣を纏い駆けまわる君は、白衣の戦士そのものだった。 君は俺たちのヒーローだ。 だが・・・・・・残念だ。俺たちのヒーローを手放す時が来た。 俺は君のヒロインにはなれない・・・・・・。だから、託すんだ。 これは、俺の最後の我儘だと思ってどうか受け入れて欲しい。 子供たちのことは任せてくれないか。大切に育てると約束する。 あの子たちは君に似て優しくて逞しい。だから、何も心配いらない。 たとえ別れて暮らしても、あの子たちは君の子であることには変わりないのだから。 俺は君と暮らせて幸せだった。これからも、ずっとそうであるように。 だから、今度は君が幸せになる番だ。 これまで君を苦しめたせめてもの償いに、君の新たな人生を後押しさせてくれないか? 君の幸せを―― 今後の活躍を祈っている―― 葵。心から、愛してる――。 どうか幸せに――                       東雲一樹より それは、別れの手紙だった。 手紙にポタポタと止めどなく、涙の雫が降り注いでいった。
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