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1 かなと
「あ……きれい」
奏人の口から思わずそんな言葉が出た。僅かに雲がたなびく夜空に鎮座する、堂々たる月。まだ少し満月に足りないようだ。
「どうしたの、……月?」
暁斗が手を拭きながら、ベランダに面した窓の前に立つ奏人のほうへやってきた。奏人が夕飯を作ったので、洗い物をしてくれていたのだ。決めているわけではないが、この3週間で何となく家事分担の流れが出来つつあり、一緒に暮らしている実感が湧く。それは奏人の胸の中をくすぐったくする。
暁斗は奏人の横に来て、同じように夜空を見上げた。実は彼の横顔は、パーツの均整が取れていて美しく、絵になる。たぶんそのことに気づいている人はそんなにいない。奏人は一人で優越感に浸る。
「ああ、きれいだ……ちょっと月見しようか? ビールちょうど買ってきたばかりだし」
暁斗の突拍子もない提案に、奏人は2、3度瞬いた。彼のチョコレート色の瞳に、微かな戸惑いのようなものが浮かぶ。あっ、別に嫌な訳じゃない。そう言おうとしたら、彼のほうから言葉が出た。
「……俺何か変なこと言った?」
「そんなことない、いいと思うよ」
奏人は食器拭きを手伝うべく、暁斗についてキッチンに戻った。こんな小さな齟齬さえ愛おしい。ただいつも、暁斗を困らせるのは自分ばかりだ。そんなつもりは無いのに、奏人もそれをいつも上手く言えない。暁斗は優し過ぎるから、不用意な言葉で傷つけたくないし、……嫌われたくない。
親しくなった頃から、いつか彼が、自分に振り回されて疲れ果てるだろうという思いが拭えない。奏人は、胸の中を温かくするものの中に、苦い雑味が混じることを自覚せざるを得なかった。
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