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3章 私はいかがでしょうか
シリウスが鉛中毒に侵されていることが判明したが、すぐさま薬を処方したおかげで大事には至らなかった。
朝までにやっと彼の痛みが治ったことを確認したところで、私は疲労から倒れたのだった。幸いただの疲れだったので、次の日には元気になったのだが──。
「あの……えっと」
起きてすぐにベルを鳴らして現れたのはメイドのエマではなく、私の婚約者であるシリウスだった。
「シリウス様……そのリンゴはなんですか?」
皿にある切り分けられたリンゴにフォークを刺して、それを私へ向ける。爽やかな顔で笑いかけてきた。
「君のメイドが剥いていたから、お願いして俺に任せてもらったんだ」
聞いたのに逆に分からなくなり頭を押さえる。せっかく疲れが取れたのに頭痛さえ感じた。どうして王子である彼がわざわざ使用人の真似事をするのだ。
「わたくしは一人で食べられますから、そこに置いておいてください」
また毒が盛られていたら嫌だからです、とは正直には言えないが、こめかみを押さえて鬱陶しいと思っていることを暗に伝えた。
一応鉛中毒という精神障害を引き起こす病気が治ったとはいえ、まだシリウスの本性も知らないため簡単には信じられないのだ。
「これに毒はない」
シリウスはまるで見透かしたかのように言う。そしてそれを証明するため自分で一、二個食べてみせた。
特に本人に変化は無いため問題ないかもしれないが、もしかすると遅効性かもしれないと今の私は全てを疑ってしまう。
「わたくしのことは放っておいてくださいませ」
突き放す言葉が口から漏れた。これ以上この家族と関わりたくないという負の感情が気分を重たくする。
今回は助けたが、また変に正義感を出せば、ヒルダが私に対して難癖付けてくるのは間違い無いだろう。
たくさんの騎士に囲まれた時の恐怖が蘇り、一歩も外に出たくないと心が締め付けられる。シリウスの立ち上がる気配を感じると同時に彼の温かな手が私の頬を撫でる。
「家族が君に対して本当にひどいことをした。だがもう二度と俺がそんなことはさせない」
真っ直ぐと私を見つめる目は眩しかった。これまでの病で苦しんでいた仏頂面とは違う、彼本来の素顔なのだろう。
その自信に満ちた顔のせいで一瞬だけ見惚れてしまった。
──何を考えているの!
思わず手から逃げるようにベッドの奥へと逃げてしまった。いくら味方がいないとはいえ、ちょっとした優しさをもらっただけでなびくなんてしたくない。
「まだ信用はしてもらえないか……。これは俺が処分しておくから、また君のメイドに代わりを頼んでおくよ」
シリウスは少し寂しそうにリンゴの皿を持って部屋から出て行った。
少しの罪悪感はあったが、それでも自分のこれまでの境遇を鑑みて簡単に信用するわけにはいかない。
自分の身は自分しか守れないのだから。私は部屋に篭り、まだ病み上がりで体が怠いとベッドで休むのだった。
これから先、私は本当に母国へ帰れるのだろうか。
敵しかいない蛮国でも、命令さえすれば文官達を従わせられるだろうと思っていた。
お金を貯める期間さえ乗り切ればと思っていたが、そもそも話を聞こうともせず、力任せに命令しようとすれば反感を買い過ぎてしまう。
それに自国へ戻っても誰も私を歓迎してくれない気がした。
糾弾された時には、私を慕っていたと思っていた者達はみんな離れてしまったことが今でもトラウマとして残る。
──しょせん、私なんて伯爵家に生まれた以外に取り柄なんてない……。
少しでも両親や国のために頑張ってきたが、それももう無駄だったのだ。
何かをする気力が起きず、わたしはベッドの上で目を瞑って朝まで時間を潰す。
「おはよう、カナリア。昨日は何も食べていないんだろう?」
またシリウスが部屋までやってきた。いつも忙しそうに動き回っていたのに、わざわざ時間を作ったのだろうか。
そんなわけがないと自分の考えを頭から振り払った。これまでだって一度も見舞いに来たことは無いのだからそれはあり得ない。
流石に寝たままでは失礼なため、机まで向かおうとしたが、シリウスがそのままでいいと言うので、ベッドの上に座ったまま話をする。
「食欲がないだけです」
「そうか……あまりここの料理は合わなかったか? 今急いで料理長に帝国の料理を覚えるように指示したから、もうしばらくは我慢してくれ」
「はい?」
まじまじと彼の顔を見る。ただ一日食事を抜いただけで過剰過ぎる。
しかしシリウスは特におかしいと思っていない様子で、置いてある椅子を持ってわたしの前に座った。
「ここは結構殺風景だな。何か花とか飾った方がいいかもな……何か好きな花はあるかい?」
「特には……」
もう少し気の利いた答え方をすればいいのに、帝国に居た時のようにスラスラと出てこなくなっていた。
シリウスはそれでも気分を害することなく、笑っているだけだった。居た堪れなくなった私は適当に間を持たせようとする。
「今日はお仕事ではないのですか?」
彼は興味を持ってもらったことが嬉しいように微笑む。
「夜にするから気にしないでくれ。もっとカナリアのことを知りたいんだ」
──はい?
わざわざ私のために時間を作ったように聞こえた。
そんな私の反応を楽しむように、彼は他愛の無い話をする。どこの景色が良いとか、オススメの料理、動物の話等、本当に普通の会話だ。
「そろそろお昼だね。丸一日食べてないから流石にお腹が空いただろ?」
「えっと……」
彼の手が目の前に差し出される。何と答えたらいいのだろうと考えていると彼はその手を引っ込めた。私が返事をしないからか彼は部屋を出ていった。
気を悪くさせたかなっと思ったが、どうせ私がここに残り続ける限りはいつかは起きたことだ。またベッドで休んでいると、エマが入室してくる。ワゴンを引いて、焼き立てのパンとスープの匂いが食欲をそそる。
「カナリア様、言われた通りにお食事をお持ちしました」
エマは嬉しそうにテーブルへ配膳していくが、私は戸惑ってしまった。
「昨日からお食事を摂られないからご心配しておりました。まだあちらの料理はレシピがありませんので作れないですが、私が似た味付けの料理を選別していますから、お口に合うはずです!」
料理の説明や帝国の料理のどれに似ているか等を教えてくれる。
かなりここの料理について調べたようで、私の知らない料理名がいくつか出てきた。
そしてエマが私の着替えを手伝おうと衣装棚から服を選んでいる。
気分良く服選びをしているエマに言うのは申し訳ないが、私は間違いを正しておく。
「私、料理なんて頼んでないわよ?」
「え!? そうだったのですか! そうしますとお食事はどうされますか?」
目の前に出されている食事を見て、ゴクリと喉が鳴った。
だけどここで食べてもまた意味のない毎日が来るだけだ。
返事をしない私にエマは黙っていると、外から声が聞こえてくる。
「カナリア、俺がお願いしたんだ」
シリウスが部屋へ入室して、私は理解した。どうやら私が心配でエマに指示をしたのだろう。
「そうでしたか……ご心配をおかけしました」
一応感謝を伝える。エマが味見をしているだろうからこれに関しては毒の心配はないだろう。
銀の食器に変色もなく、二重の意味でも安全そうだ。お互いに固まったかのように静かになった。
私が食べるまでずっとそこで立っているつもりだろうか。
「あの……」
「君が食べるまでは見届けるつもりだ」
強情な顔で腕を組んで扉に寄りかかる。どうしてそこまで関わろうとするんだろう。
「シリウス様、言いづらいのですが……」
「どんなに嫌がろうとも食事を摂るまでは目を離すつもりはない。カナリアの婚約者として君の健康は何よりも大事だからね」
シリウスは力強い目をずっとこちらへ向ける。鉛中毒に罹っていた時とは別人に感じられた。ただ私が言いたいのはそんなことではなかった。
「着替えてから食べたいので、少しだけ部屋を出てもらえないでしょうか?」
「えっ……ああ、すまない!」
シリウスは慌てて部屋の外へ出て行った。エマも心配しているのであまり意地になっても仕方がない。
「エマ、着替えを手伝ってくださいませ」
「はい!」
着替えを済ませ、簡単な化粧を施される。食事だけとはいえ、第二王子に対してあまり失礼はいけない。準備が整ったので、シリウスへ入室の許可をした。
また部屋へ入ってきた彼は、私を見てまるで時が止まったかのように身じろぎすらしない。
「どうかされましたか? まさか、また毒が……」
シリウスへ薬を処方した時に、数日分の薬を机の上に置いておいたが飲まなかったのかと、私はすぐさま駆け寄ろうとする。
だがシリウスはやっと反応したかと思うと、顔を手で隠していた。
ほんのりと頬に赤みがあった。
「いや、あまりにも美しくて……落ち着くから、少し待ってくれ」
「はい……」
何だか私も恥ずかしくなっていた。
シリウスはほんの少しの時間だけ背を向け、気持ちの整理が付いたのか歩み寄ってテーブルの向かい側に座る。
ジーッと見られて落ち着かないが私が食事をしなければずっと残りそうだ。
帝国では見たことがない平べったいパンをちぎる。味はそこまで変わらないが、噛んだ感触はモチモチしており、食感が面白いと思う。
「サラダを載せたり、スープに漬けるのもオススメだ。こんな風に、な」
シリウスはパンをちぎらずにどんどん上に料理を山盛りしてパンを丸めた。
そして大きな口を開けてガブッとかぶりつく。馴染みのない食べ方に驚いた。
帝国料理では品性を特に重んじるため、食べる順番や食器の位置などのデーブルマナーに厳しい。こんな風に食事をしては、必ずお叱りを受けるだろう。
しかしシリウスが美味しそうに食べる姿は見ていて楽しいものがあった。
「そんなに山盛りにしたらどの味か分からないのではないですか?」
「慣れたらだいたい分かるもんだよ。カナリアもやってみたらどうだ?」
彼に提案され、自分がちぎったパンの残りと料理を見る。実際にやろうとすると私の中の常識のせいで躊躇ってしまう。
「そうか、帝国は堅苦しい食べ方をするんだったな」
シリウスは私が戸惑う理由に気付き、席を立って私の後ろへと行く。
「こうやるんだ」
「え……」
シリウスが私にパンを握らせ、さっきと同じくどんどん料理を山盛りにする。
そして私の手を使って強引にパンを丸めた。
あとは食べるだけだが、彼の手の体温を直に感じるせいか、変に意識をしてしまう。
チラッと横目で彼の様子を窺う。
すると彼と目が合い、先ほどよりも顔が赤くなっている気がした。
「俺だって緊張している……早く食べてくれないと俺の身がもたん。食べないなら俺が食べさせるぞ」
「……結構です!」
何だかペースが乱されている気がして、思わず大きな声で否定した。
ドキドキと心臓が高鳴る。
パンを持つ手に力が入り、やっと決心が固まった私はパンを口元に運んで齧り付く。
「ん……ッ!」
中身がこぼれてしまいそうになったので、そのような失態をしたくない私は一気に食べ切った。
「ここまで食べっぷりがよい女性はなかなか見ないぞ」
隣ではにかんでいる彼をキツく睨んでやった。まさかこんな適当な食べ方でも、慣れていないと綺麗に食べるのが難しいとは思わなかった。
「そんなに怒らないでくれ。お詫びに何でも言うことを聞くから」
「なら帝国へ戻れるように手配してください」
本心からの願いを伝えると彼の顔色が曇る。叶わない願いだと分かっていても、どうしても願わずにはいられない。彼に言ったところで、王同士が決めたことに逆らえるはずがないことは重々承知の上だ。
「そんな顔にさせてごめんなさい。シリウス様だってわたくしと婚姻なんて迷惑ですものね」
自虐的に言った言葉に反応したシリウスが膝を床に突けて私の右手を取った。そして彼は私の手の甲に額をつけた。
「君を帰すことは出来ないが、その代わりここがカナリアの帰る場所になるようにしてみせる」
確固たる意志を感じさせる目が私の心を波立たせる。
彼の家族は私に対して明確な敵意があるのに、どうして彼だけは私をそんな目で見つめるのだ。
「せっかくだから少し中庭を散歩しよう」
彼は立ち上がって、グイッと私を立たせる。
急なことでふらついたが、彼の手が私の背中に回って支えた。
引き寄せられたため、私は彼の胸を支えにした。
「わたくしはまだ返事をしていないのですけど?」
顔を上げてキツく睨んだが、シリウスはどこ吹く風だった。意地悪な顔で私の顔を覗き込んできた。
「カナリアは結構強情ということは数日で分かったからね。散歩が嫌なら、このままの体勢で時間まで過ごすのも構わないが?」
「結構です!」
突き放すように彼の腕から抜ける。このまま彼のペースに飲まれるのだけは避けたい。しかし結局散歩に向かうのであれば、彼のペースに乗せられている気がする。
……調子狂うわね。
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