3章 私はいかがでしょうか

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「シリウス様、お久しぶりでございます。変わらぬ──」  王城のホールで俺は有力者たちに挨拶をしていく。  だが年が経つごとにその数は減っていき、少しずつヒルダの派閥へ移られてしまっていた。病に侵されている間に王位継承権では兄のダミアンにかなり差をつけられてしまった。  ──過去を気にしても仕方ない。少しずつ信頼を勝ち取っていけばいい話だ。  体調も良くなってからは執務も捗り、さらにはカナリアの手助けもあって、領民の不満が少しずつ減っていっている。  彼女の優秀さは本物であるため、もし帝国に残れば彼女は立派な王妃になっていたことだろう。ホールの入り口を見て、俺の婚約者が来ないことに一抹の不安があった。  ヒルダはもうすでに自分の派閥を集めて挨拶を交わしているので、彼女が妨害をしているわけではなさそうだ。  こちらに気付いたヒルダが自分の派閥の令嬢たちを率いてやってくる。 「シリウス様、本日もご機嫌麗しゅうございます」  母上の派閥の半数を取り込んだことで、彼女がこの国を仕切っていると言っても過言ではないだろう。  カナリアを無理矢理連れ出した件は結局は不問となり、父上も彼女に対しては少し甘いのだ。  敵となっては勝ち目がない状況なため、なるべく俺も今は殺意を隠して笑顔で対応した。 「義姉上こそ本日もお美しい。社交で忙しいと聞いていましたが全く疲労が見えませんね」 「おほほ、社交が疲れるなんて思ったことがありません。そういえば新しく入った子がおりましたので、シリウス様にお伝えしておこうと思いましたの」  ヒルダが振り向いた先に怯えた表情で俺を見る子がいた。サッと顔を下に向けている子は、前に俺の派閥だった令嬢だ。  母上が側にいなくなってからは俺は自分の派閥を維持することが難しくなっていた。  ──わざわざ俺に伝えたのは宣戦布告のつもりか……!  俺が王位に就けばこんな痴れ者をすぐに追い出すのに。だが俺の力だけではもう彼女を止めることはできない。奥歯を噛み締めて、己の無力さを呪った。  俺の心を逆撫でするように頬に手を当てて横をチラッと見ると、視線に気付いた令嬢たちがやってきた。  三人の令嬢がこちらへやってきて、ヒルダと俺に挨拶をする。  彼女たちを呼んだのはどういった理由だろうか。 「私の派閥に入るかをお答えしてくださるそうですの」 「なっ!?」  三人とも名のある貴族で、これ以上奪われたら実質的にヒルダが国を掌握したことになる。  だがもうすでに手を回したのだろう。  俺に出来ることは黙って彼女たちがヒルダに対して頭を垂れる姿を見ることだけだ。 「オホホ、では返事を聞かせてくださいな」  勝ち誇った声が響く。凛とした令嬢が代表して答える。 「ヒルダ様、これまで多くのお気遣いありがとう存じます」 「いいのよ。どこも不況で大変なんですもの。貴女たちには特別な輸送ルートで農作物を卸してあげますわ」  砂漠地帯が多いブルスタットでは、農業を出来る領地も限られている。  特に帝国に併合されるまでは、長い帝国との戦争もあり、最前線に近い領地ほど多くの消費を余儀なくされた。  今はその余波で食料の供給が需要に追いついていないのだ。  だが驚くべき一言が放たれた。 「もう解決しましたのでそちらのお話はなかったことにしてくださって結構です」 「……はぃ?」  俺も自身の耳を疑ったが、それ以上に衝撃を受けたのはヒルダだと漏れた言葉が教えてくれる。  わなわなと震えるヒルダは、声を震わせるのを抑えるように再度聞き返した。 「聞き間違いかしら。わたくしの支援が必要ないと聞こえましたが、間違いないですか?」  ヒルダからの警告に近い確認に対しても令嬢たちは一切怯まなかった。 「はい。わたくしたちはヒルダ様のご支援は必要ございません」  笑顔でヒルダを突っぱねるので、俺の方が動揺したくらいだ。令嬢たちはもう話は終わりと次に俺に話しかける。 「シリウス様、もしよろしければ父が挨拶をしたいと先程申しておりましたがお時間頂けますか?」  ヒルダを平気な顔で無視する態度に驚く。彼女たちの態度は虚勢ではないように思えた。 「そ、そうか……なら向かおう」  なるべく平静を保とうするだけで精一杯だった。この子たちの父親は一癖も二癖もあるので、これからどんな話をされるのか気が気ではない。一緒に伯爵の元へ向かい挨拶を済ませる。 「あはは、お久しぶりです、シリウス様! 前よりも血色が良くなりましたかな?」 「ええ、貴公もご健在で何よりです」 「全てカナリア様のおかげですよ! 流石はシリウス様の婚約者だ! これまでの苦悩が嘘のようですよ!」  ──カナリアが?  伯爵から手をブンブンと振られて、感謝を直で伝えられる。状況を分かっていない俺に令嬢も教えてくれた。 「カナリア様がお呼びしてくださったお茶会に参加できて良かったです」 「そうか、あれに参加してくれたのか」  前に大量の手紙を送った後に小規模のお茶会を開いたらしいが、あいにくと俺は別件で参加できなかった。  ただ令嬢の顔を見るに大成功したようだ。 「交易ルートをカナリア様から教えて頂いたおかげで、ヒルダ様に高いお金を払う必要が無くなりましたわ。心から感謝しております」 「そうか、カナリアが……」  彼女からも「あとは任せてください」と言われたので、信じて全ての準備を任せた。  それからも文通を始めていたので、仲の良い友人が出来たのだろうとしか考えていなかった。  彼女の力をまだまだ低く見積もっていたことを反省する。  令嬢はキョロキョロと辺りを見渡してから俺に尋ねた。 「ところでカナリア様はお越しになっていないのですか? ぜひ先日の御礼をさせて頂きたかったのですが……」 「まだ準備に手間取っていてな。彼女にも君が感謝していたことは伝えておく」 「まあ! 是非ともお願いいたします!」  カナリアを好意的に思ってくれる者がいることは俺も嬉しかった。  伯爵たちと離れ、頭の中でお茶会に参加した者たちの名前を思い出す。  もしかするとその者たちもヒルダから接触を受けているかもしれない。 「何ですって!」  別の伯爵の元へ行こうとするとヒルダの声が響き渡る。遠くの方で何やら騒ぎが起こっているようだった。 「ですから、ヒルダ様とのお付き合いはもう必要ありません。まさかあれほど足元を見られていたなんて……こちらの弱味に付け込んだやり方をされるのでしたら、わたくしたちはカナリア様を支持致します」 「なっ!? あの生意気な小娘に唆されましたのね!」  顔を真っ赤にするヒルダを誰も止めようとしない。代わりにダミアンが宥めようとする。 「落ち着けってヒルダ」 「落ち着いていられるわけないでしょう! あの娘はどこにいるの! 人の派閥に手を出すなんていい度胸よ!」  手が付けられないヒルダにダミアンも慌てふためく。まだカナリアはやってきていないので、どこを探したっているわけがない。  するとちょうどダンスを踊る時間になったため、テーブルを一斉に脇に運び出した。 「ヒルダ、あっちで踊ろう!」 「ええ、こんなむしゃくしゃするのは初めてよ!」  ダミアンに連れられてヒルダは中央へ向かう。相手がいない俺は立ち尽くす。壁際に寄ろうとした時に入り口から大きな知らせの声が聞こえてきた。 「カナリア・ノートメアシュトラーセ様、入場!」  すぐに俺は入り口の方へ目を向ける。先程カナリアのことでお礼を述べていた令嬢たちの声が聞こえてくる。  ヒールの音が聞こえてくるたびに彼女が近付いてくるのを感じた。 「遅れてきて謝罪も無いのかしら……私が直接文句を言ってあげるわ!」  ヒルダがダミアンを置いて急ぎ足でカナリアの元へ向かう。カナリアが危ないと俺も小走りで先にカナリアへ近付く。  俺が行く方向の人だかりが少しずつ横にずれていく。  その先には俺が待っていた想い人が、二つの太陽を宿すドレスを身に纏った女神がいたのだった。彼女も俺に気付いて、ホッとした顔を覗かせる。 「申し訳ございません。準備に遅れてしまいました」  いつもよりも彼女の美貌が鮮やかに見えた。  さらに彼女のドレスはまるで太陽神を模したような赤色と黄色が混じったドレスだ。  だがそんな主張の強いドレスでも彼女の美貌を際立たせる程度の働きしかなかった。  あまりにも美しくて惚けてしまっていると、彼女は不安そうな顔で自分のドレスを見る。 「やはりこのドレスに魅力が負けていますでしょうか」 「そんなことはない! 綺麗だ」  彼女の不安をすぐさま払拭したいと気持ちが焦り、言葉を打ち消すかのごとく強く伝えてしまった。 「そう……ですか」  彼女は一瞬驚いた後に頬を紅く染める。  突然の大声に彼女を驚かせてしまったことを後悔しながらも、彼女をもっと近くで見たいと一歩前に進もうとした。 「よくもノコノコ来れましたわね!」  もう少しで彼女に触れられそうだったのに邪魔が入る。迫り来るヒルダはまるで親の仇のように睨んでいた。 「後ろにいろ、カナリア!」  俺のカナリアをこれ以上傷一つ付けさせない。カナリアの前に立って彼女を手で制した。  俺がヒルダの相手をすれば彼女は傷付かない。  だがカナリアは俺の横をすり抜けて、通り過ぎる際で力強くも優しい目で、この場を任せろ、と言っているようだった。 「ヒルダ様、ご機嫌ようございます」 「何がご機嫌よ! わたくしの派閥の子に適当なことを吹き込んだんでしょ!」  ヒルダは今にも飛びかからんとするほど殺気立った血走った目をする。  だがカナリアはまるでとぼけたように頬に手をやった。 「何のことでしょうか?」  心当たりが全くないとヒルダの神経を逆撫でしていく。すると、まるで今気付いたとばかりに閃いた顔になった。 「もしかすると不当な交易ルートで価格を高騰させられたことでしょうか? それとも農場にどこからか輸入されてきた植物のことかしら? 土の栄養を全て奪う植物を植えさせた犯人がヒルダ様でしたら、領民たちから怖い仕返しが無いといいですわね。売り込んだ商人は少し痛い目に遭っているそうですよ」  カナリアの低い声はヒルダを一歩怯ませた。 「そんなの知らないわよ! 領民が勝手にやったことまで把握なんてしてないわ!」 「ええ、存じております、ヒルダ様」 「え……?」  カナリアは笑顔で答えた。 「わたくしはこれでも帝国史上随一と呼ばれた宰相に育てられました。経済や薬学、植物学については造詣が深いと自負しておりますので、頭を使うことはわたくしにお任せくださいませ。頭を使わない王妃に価値があるのかは存じ上げませんが」 「くっ! 言わせておけばッ!」  ヒルダは顔を真っ赤にして詰め寄ろうとするが、それをカナリアを守るように令嬢たちが前に出た。  これではヒルダも直接の暴力を振るうことも難しく、恨めしく睨んだ後に「覚えてなさい!」と捨て台詞を吐いて、またダミアンの元へと戻っていった。 「こんな短い期間でよく味方を作れたな」 「大した事はしてません。私以外にもあれほどの嫌がらせをしていたのでしたら、人心なんて付いてくるはずありませんもの」  だがヒルダがこれでお終いにするわけがない。今日を乗り切れてもまた妨害をいくつもしてくるだろう。少しずつ場が鎮まっていくため、俺は改めてカナリアの真正面に立つ。 「綺麗だよ、カナリア。ぜひ私と一曲踊ってくれませんか」  手を差し伸べると彼女は目を瞬いた。だがすぐに彼女は微笑んで、俺の手を取った。 「はい……喜んで」  曲が流れ出したので彼女と一緒に踊る。 「驚いたよ。まさかあの気難しい伯爵をあそこまで信用させるなんてな」  カナリアは少し遠い目をして、乾いた笑いをする。  これは並々ならぬ努力があったことだろう。 「色々ありましたよ。たとえば──」  彼女と踊る時間は至福の時だ。俺の知らない彼女の頑張りを聞くのも楽しかった。
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