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欲望
「レイン」
呼び掛けても、細身のシルエットは身じろぎもしない。
ただ、濡れた双眸がはっきりと欲望を含んで自分に向けられているのは感じられた。
闇の中にたたずむ殺気に満ちた獣。
触れるものすべてを、切り刻まなければ気がすまない癇情の彼が、心底欲して引き裂きたいのはオレだろう。
そう思うと、陽彦は恐ろしさと愉悦とがないまぜになった奇妙な昂りを覚えた。
「渇いているんだろう」
夜気がけだるく揺れ、カーテン越しに、天空に浮かぶ月が見えた。
滴るような橙色の月。
降り注ぐ光が千の針ように理性を灼き尽くす。
「ああ、カラカラだよ」
欲望にかすれた声。
月が満ちるたび、レインはかりそめの器を捨て、本来の姿を取り戻す。
途方もなく大きな銀色の獣。
そして今夜もまた狩りがはじまるのだ。
本能のままに空腹を満たし、力を誇示するために。
欲しいものが欲しいだけ。
それは、彼なりの明快な理論。
「はるひこ」
首筋にあたる熱っぽい息。
甘噛みしながら、Tシャツのすそから手を滑りこませてくる。
「いいだろ」
迷いのないむき出しの渇望。
はなの先にギラついた双眸がある。
強靭な力を秘めた顎、発達した大きな牙、野生の獣の匂い。
肌が粟立つ。
忘れかけていた恐怖が不意に甦る。
理性も禁忌もない餓えた獣が目の前にいて、獲物はオレだ。
陽彦は知っていた。
毎夜、レインが夢の中で、押さえつけ引き裂いて味わうのが自分だと。
「痛いのやだよ、オレ」
「ちょっとかじるだけ」
Tシャツを捲り上げられ、長い爪が腹からヘソ、さらにその下へと続くラインを探っている。
「味見さして」
あたたかい舌が耳朶をなぞり、ぴちゃりと
卑猥な音を立てる。
前足に重心を置き、一気に体重を掛けてくる。
仰向けになったところに、のしかかられるともう起き上がるのは不可能だった。
「喰われるのかよ、やっぱり」
捕食者に容赦はない。
唇を重ね、舌をねじ込まれて観念した。
唾液が混じり合い、そのせいで粘膜が熱を帯びる。
浅く早く呼吸しても、酸素がたりない。
目の奥で無数の光源がスパークした。
苦しくて、無意識にレインの髪を掴んでいた。
「っつ!」
唇に痛みが走った。
とたんに、ぬるい湯が垂れた感触があって、鉄の味がした。
レインのキバが当たって唇が切れたのだ。
味見ってこれかよ。
人間は血と肉で出来ているんだなあ。
血を啜られながらだと、当たり前すぎて、ふだんわざわざ考えたこともない実感が今は身に沁みていとおしい。
それと体液と。
レインの餓えは唇からのわずかばかりの流血では満足しなかった。
ジーンズの前をせっかちにはだけ、薄い生地越しに刺激を加えてくる。
意識すると急激に熱が集まって、思わず腰を浮かせかけた陽彦を、レインは難なく押さえ込んだ。
「レ、インっ」
じかに触れられて、恥ずかしいほど声が上ずる。
羞恥に顔が熱い。
「怖いか?」
「さっさと済ませろよ」
鋭角的にととのった顔が見降ろしてくる。
その頬に笑みが浮かんだ。
残酷なのに美しく、図々しくて驕慢な。
魅入られて、癪だった。
陽彦は自分にも聞こえないほどささやかに呟いた。
「ケダモノめ」
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