リフレクトリフレクション

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 見られたからには隠すことも出来ず、浩成は素直にそう話した。浅く切られた左手を眺めながら、犬神は小さく頷いた。 「そうか。よく話してくれたね。それにさっきは助かった。感謝するよ」  犬神が浩成に近づき、頭をぽんと叩きぼやく。 「それにしてもなぁ。このスーツ、10万近くしたんだけど、見てよコレ。経費で落ちると思う?」  犬神がすっと左手を差し出し浩成に見せる。薄く赤い筋がついている手の甲の奥、手首あたりの位置でスーツの袖の部分がかすかに切れていた。ナイフがかすったのであろう。溜息ををつきながら頭を抱える犬神を見て、浩成はあっけにとられてしまった。  この犬神という男は、今目の当たりにした信じられない現象よりも、自分が切られた手の甲の怪我よりも、スーツの心配を大真面目にしているのだ。それが段々とおかしなことに思えて、浩成は小さく吹き出した。 「おいおい、笑い事じゃあないよ。このスーツ、今月の給料で買ったばっかりなんだよ!?」  身振りを交えて大げさに訴える犬神を見て、浩成は声をあげて笑った。 「ぶ、ふふ、あっははははは!」 「まったく、困った鏡だねぇ。ははは」  浩成とともに犬神も笑う。それは少しでも浩成の心を解きほぐそうとする、犬神なりの工夫であった。同じ体験をし、感情を共有する。人と仲良くなるコツの1つである。もっとも犬神が計算して行っているのかというと、決してそうではない。  犬神は、純粋に浩成と仲良くなりたかった。そして、彼を孤独なままにはしておきたくなかったのだ。不思議な力を持つ浩成は、いわば彼が属する公安部特務課の仲間によく似た存在なのである。  そして、犬神にはもう一つ確認するべきことがあった。緩んでいた表情を再び締め直し、浩成に語り掛ける。 「もう1つ確認したいことがあるんだ。いいかな?」  そう言うと犬神は、ポケットから小さな長方形の板を取り出した。良く見るとそれは携帯出来る折り畳みの手鏡であった。 「それは……」  何をするのかと聞こうとした浩成は、すぐに思い当って口をつぐんだ。また鼓動が速くなる。しかし、これは浩成自身も確認しておきたいことであった。 「その鏡でも、さっきのような現象は起きるのか、試してみるんですね?」 「察しが良いね。その通りさ」  犬神が答え、浩成のそばに立ち背を向けた。手鏡を広げてかざす。小さな鏡の中には、犬神と浩成が映っている。二人とも鏡を凝視している。いや、正確には鏡に映る浩成をだ。  どれほどそうしていたか。鏡の中の浩成は一向に動く様子を見せない。あの大切な鏡がおかしいのであろうか。それとも、おかしいのは自分なのだろうか。浩成は唇を強く噛みしめた。  その時、鏡に映る浩成の顔から傷がゆっくりと消えていった。 「犬神さん! 鏡の中が!」 「ああ、変わった!」  二人に緊張が走る。鏡の中の浩成は、やはり右手にナイフを携えていた。しかし、先ほどと違いすぐには動き出さない。犬神は少しずつ鏡の角度を調整し、鏡に映る浩成の姿をじっくりと観察する。  異常なのは、自分か……。浩成は絶望的な気持ちになってがっくりと肩を落とした。もうオチオチ鏡も覗けはしない。最初に思ったのはそんな事であった。その時、浩成の感情の揺れに反応するかのように鏡に映る浩成が動き出した。ナイフを構え、犬神に手を伸ばす。鏡の浩成を観察していた犬神が素早く鏡を閉じた。  しばらく無言で様子を見る二人。犬神に身体に新しくつけられた傷は無い。犬神が大きく息を吐いた。 「ふう、どうやら鏡を閉じれば平気なようだね」 「犬神さんに怪我がないなら、そのようですね」  ふむ、と一声あげ犬神が再度全身を確認する。異常はないようで浩成に頷いて見せる。 「段々君の能力が分かってきたよ」 「能力?」  聞き返す浩成に犬神が答えた。 「そう、能力さ。普通の人には無い、特別な力。それを我々公安部特務課では能力と呼んでいる」 「特別な、力……」 「そうだ。君も今見ただろう、自分の能力を」 「あれが、能力」  犬神の言葉を復唱する。そして浩成は気付いた。能力と呼んでいる、つまり前々から特別な力という物は確認されているという事なのであろうか?だから、犬神はこんなにも落ち着いてこの現象にも対応しているのか。 「あの、能力と呼んでいるって言う事は、こういう現象は俺以外にも確認されているのですか?」 「鏡の中でどうこうっていうのは初めてのケースだけどね。未知の力、他の人にはない能力をを持った人間は何人か知っている」 「だから、こんなに冷静でいられるのですね?」 「冷静じゃあないさ、緊張したし、焦りもした。おかげでスーツが切れた」  犬神が大真面目な顔で言った。よほどスーツを切られた事がショックなのであろう。 「それは、その、弁償したいのは山々なのですが」 「あはは、冗談だよ。さて浩成君、能力をある程度確認出来た事だし、君に大事な話があるんだが、いいかな?」  犬神は再び左手を口元に当てながら浩成に尋ねた。どうやらこのしぐさは犬神の癖らしい。一体どんな話なのか見当も付かない浩成は、ただ頷くことしか出来なかった。 「君の能力に関して、もっと詳細を調べたいんだ。いいかい?」  意外な質問に、浩成は目を丸くした。しかし、自分のこの特別は力は浩成としてもきちんと把握しておきたかった。このまま、鏡の中の力を把握出来ないままでは、鏡のある場所を通る事さえ出来ない気がする。 「この現象をきちんと理解して、出来れば制御したいと俺も思っています」 「そうか。では、我々の所に来ないか? 公安部特務課に」 「俺が、公安に?」 「君が公安部に所属する、しないは君自身がもう少し落ち着いてから決めてくれればいい。だが、能力を調べるためには施設が整っていて、秘密をきちんと保持できる場所が適している。そう思わないかい?」  警視庁公安部という、浩成にとっては重く仰々しい響きは少々怖くもあった。だが、犬神の提案は自分にとっても悪いものでは無い気がする。何より、犬神は能力を知りなお、浩成に変わらぬ接し方をしてくれる。それは未知の能力を知らぬ間に宿してしまった浩成にはありがたい事であった。 「わかりました。俺が公安なんていうものに縁があるとは思えません。でも、そこなら自分のこの能力っていうやつを調べられるというなら、犬神さんについていきます」 「よし、決まりだな。公安部特務課には、君のように能力を持った者が何人も居る。彼らと君が話をすることもきっとプラスになるだろう」 「能力を持った人が……。是非、お話しを伺ってみたいです」  特別な力を持った他の人間。それは浩成にとって、一方的でしかないが親近感の沸く存在であった。その人たちに聞いてみたかった。どう能力を制御しているのか。能力を持ってしまっても、普通の生活が送れるのか。  犬神はにこりと笑い、部屋の出口を親指で指した。 「よし、善は急げだ。君さえ良ければ、今から特務課の部署に行こう」 「わかりました。すぐに着替えて支度をします」 「話が早くていいね、よし。下で待っているよ」  犬神は携帯電話を取り出し、どこかに連絡をしながら部屋を出ていった。漏れ聞こえて来た声からは、今から向かうというような内容を喋っていたので、恐らくは彼の言う特務課という場所に電話したのであろう。  数枚しかないよそ行きの服を引っ張り出すと、目に付いた服を合わせていく。結局青いジーンズに白のTシャツ、グレーのパーカーという、ありふれた服装になった。  公安といういかにも堅そうな場所に行くのであれば正装をしようかとも思った。浩成であれば学生服になるのであろうか。しかし、退学届を出した身としてはなんとなく学生服に袖を通す事には躊躇いを感じられた。  階段を降りると、犬神が玄関前で座って待っていた。 「お、今時の服も着るのかい? 何せさっきまではシャツもズボンもボロボロだったからね。なんだか安心したよ」 「服くらい持ってますよ。少しですけど」  どうせ殴られて血がつくので、今までは着なかっただけです、という言葉は自分の中に飲み込んだ。誰かに自分の身の上の不幸を見せつけるような事はしたくなかった。 「じゃあ、行こうか。君の家の車庫に車を止めてある」 「え、うちの車庫に勝手に?」 「まあまあ、細かいことを言うのは無しだ。行こう!」 「全然細かくないですからね! ふう、変わった人だなぁ」  車庫に歩いていく犬神の背中を眺めて、浩成は呆れ気味に言葉を漏らした。こんなに感情が色々と動くのは、いつ以来だろうか。それが浩成にはとても喜ばしく感じられた。  ほどなくして、車庫から車の出てくる音が聞こえてきた。 【4】 「着いたよ、ここだ」  車のブレーキの音が浩成の居る後部座席の下に響いた。ドアが開けられ、被せられていたシートを犬神がよけた。浩成は後部座席の足元部分から起きだして辺りを見る。どこかの駐車場のようだ。 「ごくろうさん、疲れただろう?」 「いえ、大丈夫です」  乗っていた車のバックミラーやサイドミラー、それに横に止まった車のミラーや十字路などに備え付けられている鏡。浩成を映し出す可能性がある鏡は、車の中にも車道にも多くある。  その為、念には念を入れ浩成は後部座席の足元のくぼみに横になり、その上に車に被せるシートを乗せてもらったのだ。人の命を奪うかもしれない能力を制御出来ない以上、慎重過ぎる程に慎重に動いたほうがいい。浩成と犬神、二人の共通の見解である。
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