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車を降りてからも、少々の距離を開けて二人は歩いた。並んで歩くよりも何かに同時に映る可能性は少ない。それでも絶対とは言えないが、犬神には浩成ほど緊張した様子は無い。先程部屋で行った様子見で、多少能力の正体に当たりでもついているのであろうか。
辺りを見回すと、車が数台止まっていた。B1という文字が見えたので、ここは地下一階なのであろう。
「こっちだ、浩成君」
壁に立っていた犬神が浩成に手招きをした。
「こっちって?」
犬神の前にはうちっぱなしのコンクリートの壁があり、どう見ても行き止まりである。しかし壁の横に備え付けられた電子機器に犬神が何かを打ち込むと、壁の一部が奥に引っ込み、自動ドアのように開いた。
「これは?」
「どうだい? なんだか秘密基地っぽくてわくわくするだろう?」
「というか、秘密基地そのものですね。こんなものが実際にあるなんて」
奥は地面に近い低い位置にほのかに照明がついている。薄暗い雰囲気と足元の白い光の列が、より秘密基地を連想させる。さして広くも無い通路を犬神に続き歩いてゆく。
犬神は何度か十字路で曲がった。どうもこの通路は碁盤の目のような作りになっているらしい。浩成にはとても一人で帰る自信が無かった。10分ほど歩くと犬神が足を止めた。目の前にはドアと思しきものがある。再び電子機器を操作し、ドアを開錠する。明るい光が浩成の目を刺激し、思わず目を細めた。
「眩しかったかな、先に言っておけば良かったね。さあ、どうぞ」
犬神がドアを開け浩成に入るように促す。ドアの向こうには廊下のような通路があり、その先に再び扉がある。二人で並んで廊下を歩く。扉の横には「公安部特務課」と書かれた立派な板が置かれていた。
犬神はコンコンと軽くノックをして、引き戸式のドアをスライドさせた。中は小さ目のオフィス型になっていて、いくつかのデスクが並べてある。1つだけ、他のものよりも大き目のデスクに、初老の男が腰かけていた。こちらをみて、軽く手を挙げた。
「あの人が一応、この特務課の課長だ。挨拶に行こう」
浩成は犬神に続き特務課の中に入る。ゆうに教室ふたつ分くらいあるだろうか、という広さの部屋にデスクやパソコンが並んでいる。壁にはいくつも箪笥と思しきものや、本棚もあった。特務課という特別な響きから連想していた光景よりも、そこは幾分所帯じみていた。
「やあやあ、話しは聞いているよ。君が、ええと」
「柴咲浩成君です、課長」
「ああそうそう、そうだった! 浩成君だな! うん、良い名前だ」
椅子に座った初老の男性がすっと手を伸ばしてくる。挨拶を交わす時に握手をしたことなどなかった浩成は、ぎこちなく手を握り返す。数度握ると初老の男性は椅子に深く座りなおした。表情はずっとニコニコしたままである。
「よ、よろしくお願いいたします!」
緊張気味に答えた浩成に、犬神が初老の男性を紹介する。
「今もちらっと言ったけど、改めて紹介しよう。この人が我々が所属する公安部特務課の課長、西山一二三(にしやまひふみ)さんだ。これからここに通う時に、わからない事があったらなんでも聞くといい」
「ありがとうございます。その時は、よろしくお願いします」
「はっはっは! わしゃ、ここの誰よりこの場所をよくわかっとらんがのう! トイレくらいならなんぼでも案内するからな、少年」
そういって一二三は大笑いした。つられて浩成も少し笑う。犬神は軽く咳払いをして、一二三に聞いた。
「それで、あの、課長。うちの者らはどこにいったんでしょうか?」
「おうおう、あの子たちなら新人をお迎えする前に化粧直しをするから、来たら呼んでくれっていってどこかに行きおったぞぃ」
それを聞いた犬神が小さく溜息をこぼし聞いた。
「それで、彼女たちに連絡は?」
「勿論わしはしとらんよ?」
今度は大きく肩を落としながら溜息をつく。まったく……と小声で言って携帯電話を取り出すと、すぐに喋り出した。
「俺だ、犬神だ。そう、そうだ。もうとっくに着いている。速く来い。全員まとまって来いよ、ああ、すぐにだぞ」
ふと、浩成は犬神の一人称が私だったり俺だったりと変わっている事に気づいた。公私で使い分けるのか、相手によって違うのか。しかし、そんな疑問は近づいて来る賑やかな声と足音にかき消された。
「おっまたせー!」
元気な声とともに、明るい髪色の女性が入ってくる。大きな丸いピアスに丈の短いシャツ。挿し色の派手なキャミソールにホットパンツというなんとも目のやり場に困るラフな出で立ちをしていた。お決まりの真っ黒な日焼けはしていない。
「うるさいぞ、奏。ちょっとは静かに入ってこい」
犬神が女性をたしなめる。奏と呼ばれた女性は、はいはいと適当な返事をすると浩成のほうに小走りに寄って来た。
「ねぇねぇ、君が新しいお仲間? あたしは奏空(かなで そら)! よろしくぅ」
一息にそこまでまくしたてると、奏は浩成の前でおどけた表情で敬礼をしてみせた。
「あ、えと、柴咲浩成です。よろしくお願いします」
「浩成君ね~。へー、ねえねえ、歳はいくつ? 彼女とかいるの? お姉さんに教えてごらん?」
「こら、奏!」
一気に浩成に詰め寄る奏を犬神が注意した。
「浩成君はまだうちに所属すると決めたわけではない。挨拶は結構だが、私的な質問は後回しにしろ。大体お前が喋りまくっていたら、他の人間を紹介出来ないだろう」
「はあーい!」
とぼけた声で犬神に返事をすると、奏は浩成に顔を近付けて小さな声で言った。
「後でお姉さんが色々聞いちゃうんだから! 覚悟しておいてね」
「え? ええっ!?」
うろたえる浩成を見て悪戯っ子のように笑うと、奏は少し下がってデスクの上に腰掛けた。一緒に入って来た仲間のほうを見て、次の人どうぞ、とおどけてみせる。
ふぅ、と溜息を1つつき、赤い髪色をしたショートカットの女性が一歩前に出た。
「私は呉内紅(くれないべに)。ここ、特務課では主任である犬神さんの補佐をしているわ。よろしくね、浩成君。わからない事があれば私に聞いて欲しいわ」
黒いパンツスーツに白のカットソーがよく似合う、いかにも仕事の出来そうな女性である。独特な首元まである赤い髪も、黒のスーツによく映えていた。細いフレームの眼鏡が出来そうな印象をさらに上げている。
「あらら、紅ちゃん優等生ー!」
奏が茶化すと、紅はにっこり笑って言う。
「何事も最初は大切よ。でも浩成君、そんなに緊張しないでいいからね?」
紅は笑うと印象が変わり、やわらかなものになった。
「ありがとうございます!」
「まだ緊張してるし~。浩成、リラックス!」
大きく手を振りながら奏が浩成に声をかけた。仲の良い職場なのだなと、浩成は心の端で羨望のような気持ちを抱いた。浩成に白衣を着た女性が歩み寄ってきた。
「私は西園寺美優。公安部付きの監察医をしているわ。他にもいくつか業務はあるけれど、医療系の問題は私が請け負っているわ。もしも体に不調を感じる事があったら遠慮なく相談してね」
そういって西園寺はすっと浩成の前髪を撫で、のぞき込む。不意に近づいてきた西園寺の顔に、浩成は小さく息を飲んで緊張した。
「ちょっとちょっと西園寺せんせー! いきなり新人君にキスですかぁ?」
茶々を入れる奏を無視し、西園寺はひとしきり浩成の額を監察する。
「だいぶ傷もよくなったわね。これなら跡もほとんど残らないでしょう。病院で見た時から、結構心配していたのよ」
「病院で……あ、あの時の女医さん!?」
「そうよ、思い出してくれたみたいね」
目を細めどこか艶然と西園寺がほほ笑んだ。浩成の記憶にある運ばれた病院に居た人たちは、まるで機械のように冷たい印象であったが、目の前の白衣を着た女性はそんな雰囲気はしない。
「なんというか、全然感じが違ったので、わからなかったです」
「病院での勤務中は仕事優先だからね。何か思っていても言葉にも表情にも出さないようにしているのよ。とにかく、まだ傷は治りかけよ。お大事にね」
いかにも病院の先生らしい言葉で挨拶を終える西園寺。そして後ろを振り返り、一人の女の子に手招きをした。
「さあ、かがり。あなたも浩成君に挨拶しましょう。出来る範囲でいいから」
西園寺が手を振る先には、一人の少女が居た。長い黒髪を胸まで垂らしている。前髪はきれいに切り揃えられていて、長い睫毛や柔らかな弓なりをした眉が白い肌によく映えていた。黒を基調としたややゴシックなフリルのついたシャツとスカートを履いている。
少女がゆっくり歩み寄ってくる。こちらに向けてくる瞳は黒目がちで大きく、引き込まれそうな、どこか物憂げな空気をかもしだしていた。
(人形みたいだ)
浩成は心の中でそう呟いた。人形のような少女は、浩成の前で立ち止まり名乗った。
「天月(あまつき)かがり」
やや幼い声が耳に残る。名前が、まるで浩成に沁み込むかのように入って来た。天月かがり。かがりの声の響きがまだ残っているようであった。
「し、柴咲浩成です。えっと」
戸惑っている浩成に、犬神が声をかけた。
「かがりと浩成君は歳も近い。16歳と15歳かな。だから、あまり堅くならずに気軽に話したらいいさ。かがりはあまり喋るのが好きではないけれど、それは気にしないでくれ」
「は、はい。よろしく、天月さん」
浩成が言うと、無表情にかがりが返した。
「かがり。皆、そう、呼んでる」
言葉の間に妙に間をあける喋り方であるが、かがりと呼べと言う事なのだろう。浩成は改めて言い直す。
「そっか、じゃあ俺は浩成でいいよ。よろしく、かがり」
「あれぇ、浩成かっこいー。かがりが気に入った?」
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