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確かに能力が世間に広く知られるのは恐ろしいことであった。特に浩成の能力は、今のところ確かな制御方法もわからない、人を傷つける能力なのである。慎重を重ねたほうがいいというのは道理であった。
他の面々が帰り支度をしていると、犬神が浩成のもとへやってきて聞いた。
「あの家に一人で、平気かい?」
「わかりません。けど、そこまで甘えられませんから」
「そうか。ああ、浩成君。君は携帯電話を持っていないんだってね?」
「はい、父が許可してくれませんでしたので」
「ふむ、じゃあとりあえず、これを使ってくれ」
そういって犬神は黒いスマートフォンを浩成に差し出した。
「これは?」
「特務課専用の電話だよ、いくつか予備がある。充電器はこれだ」
「受け取ってしまっていいのですか?」
「問題無いよ。それ自体は塗装されているだけで、中身はどこにでもある携帯電話さ。電話帳には1、2、3といくつか登録先が数字で示してある。1が一二三さん、2が俺、3が紅とつながっている。気軽に使ってくれ」
「何かあったらいつでもかけてくれていいからね、浩成君」
名前を呼ばれた紅が言う。一二三もこちらを見てにこにことしている。
「ありがとうございます、お言葉に甘えてお借りします」
「ははは、まだ堅いなぁ。まあ、うちに入ると決めたわけでもないし、それもいいか」
犬神の言葉を聞いて、奏が浩成の腕に自分の腕を絡めてきた。
「えー? 浩成はもう特務課の仲間でしょー? 入ってくれるわよね?」
「いや、あの、まずは自分の能力をきちんとしらないとなんで」
「えー? そんなの良いから、所属しよ。ね、約束!」
「や、約束? ……あ、そうだ。奏さんと約束は出来ませんよ!」
思い出して浩成が答えると、奏が絡めていた腕を離し拍手をする。
「偉い! 結構しっかり覚えているじゃん、やるじゃん浩成!」
「もう、危なっかしいなぁ。勘弁してくださいよ、奏さん」
「まったく、ふざけすぎだぞ奏。浩成君、冷静な対処お見事だったよ」
奏の頭を軽く小突き、犬神がたしなめた。小突かれた奏は軽く舌を出し小さ目のリュックを背負った。肩ひもは伸びきり、リュックはだらんと奏の腰あたりに下がった。
「それじゃあ、私は仕事が残っているのでお先に失礼するわ」
西園寺がそう言い残して足早に部屋を出ていく。犬神は地図らしきものに目を落とし、なにかしらルートを辿っているかのように指を地図上に這わせていた。
「浩成君の家は6番出口が近いな。誰か送っていってあげてくれ」
犬神が紅たちを見回して言う。
「あちゃー、ごめん。あたしと紅、真逆の方向で買い物していく予定」
「いいじゃない、送ってから行きましょう」
「えー! でも6番出口遠いよ?」
紅の提案に、奏は顔をしかめた。全く道がわからない以上、自分一人で帰りますとも言い出せず、浩成は黙って成り行きを見ているしか無かった。犬神が腕を組んでいった。
「買い物ならあとでいいだろう。俺と課長はまだ残って仕事だぞ?」
「でもぉ~」
「私が」
奏がごねていると、かがりが小さな声で言った。
「私が、6番出口に」
犬神は少し驚いたような表情をしたが、すぐに笑顔になった。
「そうか、かがりが引き受けてくれるか。ありがとう、よろしく頼むよ。浩成君、かがりの能力の事もメモしてあるね?」
「はい、あんまり話しかけて困らせたりしないようにします」
浩成の言葉を聞いて、かがりが少し困ったような顔で言う。
「聞く分には、平気、でも、私は、あまり」
「そう言う事だ。かがりもうなずいたり首を横に振る分には問題ないから、無理に話をさせるような事さえしなければ気にしないでいい。じゃあ皆、今日はお疲れ様。気をつけて帰ってくれ。またそれぞれに連絡する」
犬神が話を締めると、紅と奏が連れたって出ていく。浩成もかがりに指で案内されつつ、二人とは違う方向から出ていった。静かになった特務課に、犬神の吐く息の音が響いた。
「あの子の事もしょい込むつもりか? 犬神」
「そのつもりですよ、課長」
一二三がタバコを咥え火をつける。ゆっくり、長く煙を吸い込み、そして吐き出す。
「お前なぁ、犬神。お前さん、なんでもかんでもしょい込めるほど、人間よく出来ちゃいないぜ? あんまり無理をするなよ」
「わかっていますよ。でもね課長? それなら、俺のしょってるもの、半分位は課長が持ってくれたっていいんですよ?」
「お、そうきたかい。こりゃあ参った、わっはっはっ!」
大笑いした一二三が、1つ伸びをして言った。
「いやあ、柄にもない心配なんざするもんじゃねーな。まあ、無理はすんな犬神。お前が潰れりゃああの子たちも潰れる。それを忘れんなよ」
犬神は頭を抱え、今日一番の大きな溜息をついて言った。
「そうならないための課長でしょうが……。ほんっとにこの課の連中は上も下も……」
「中間管理職ってな辛いもんだなぁ、宗樹」
「下の名前でよばんでください。あとね、課長。この部屋禁煙ですからね」
【5】
先程と同じ作りの薄暗い通路を、浩成は少し前を歩いているかがりに黙ってついて歩いた。かがりの歩き方に逡巡は無い。この碁盤の目のような十字路だらけの道を、しっかりと把握しているのであろう。
色々と聞きたいことはまだあったが、どうすればかがりが困らないような聞き方が出来るか、なかなか浩成には思いつかなかった。悩んだ結果、はい、か、いいえで答えられる質問ならば大丈夫なんじゃないかと思いつく。
「俺は学校に通ってないんだけどさ」
浩成が喋りはじめると、少し歩く速さを緩め、かがりが浩成に顔を向けた。
「かがりは、学校には通っているの?」
「少し」
こくんと頷き、かがりが答えた。あまり自由に喋れないかがりが学校に通っているのは少々意外であった。
「そっか、いいなぁ。俺は能力云々の前に、父の虐待で顔が随分腫れちゃってさ。集まってくる周りの視線が嫌で退学届を出しちゃったよ」
「そう、そうなのね」
頷き、何か言いかけたかがりが、思いとどまりもう一度頷いた。やはり言葉を交わすのは遠慮したほうがいいのかもしれない。とはいえここで黙り込むのも空気が重い。浩成は、もう少しだけ会話を試みる事にした。
「学校は楽しい?」
「たまに。普段はあまり。でも、義務教育だから」
「ああ、そうか。そりゃあそうだよね。気づかなくてごめん」
かがりは首を横に振って、笑顔を作って見せてくれた。それが嬉しくて、浩成も笑顔で答えた。それで少し、沈黙が軽くなった気がした。
犬神に案内されたときの2倍ほどは歩いたであろうかという時、目の前にドアが現れた。
この向こうが出口らしい。かがりがさっき犬神がやっていたようにそばにある電子機器を操作すると、ドアが音を立てて開いた。
そこから階段をしばらく登る。再びドアがあった。かがりがこちら側から閉めてあるカギを外し、ノブのついた重そうな金属の扉に手をかけた。そのかがりを制して、浩成がノブを握った。
「重そうだし、俺がやるよ」
驚いた顔を見せていたかがりが、嬉しそうに首を縦にふった。浩成はぐっと力を込めてドアをおす。思った通りなかなか重い。開いた先はこちらもまた立体駐車場であった。ただし、こちらはB2と書いてある。
浩成が通り、かがりも駐車場側に出ると浩成はドアを閉めた。その瞬間、奥でガチャリとカギの機械的な閉まる音がした。どうやらオートロック式らしい。扉には白い板に赤い文字で『関係者以外立ち入り禁止』と書いてあった。特務課というもののセキュリティの厳重さに、浩成は感心した。
「こっち」
再びかがりが前に立って歩き出す。浩成は、鏡に注意しながら少し距離をあけて、かがりの後をついてゆく。細い道を数度まがり階段を登ると、そこには見慣れたとある百貨店が現れた。
自分たちが通ってきたのは百貨店へ続く地下道であったのだ。恐らくあの金属の扉をあけた所で公安部から百貨店の駐車場に変わったのであろう。
この場所は小さい頃に何度も来ていて、浩成も良く知っている。家までも、少し離れてはいるが歩いて帰れる距離であった。
「送ってくれてありがとう。俺はここからなら歩いて帰れるよ、かがりは大丈夫?」
「私は、平気」
「そっか」
浩成はそこで一旦言葉を切った。本当は、もっと話をしていたかった。どこか喫茶店なりファーストフード店なりに入り、能力の事やかがりや特務課の皆の事を聞きたかった。
何より、あの家に戻りたく無かった。
しかし、自由に言葉を話せないかがりを会話にこれ以上付き合わせるのはさすがに申し訳なかった。自分の不安は自分だけのものであり、かがりにそれを押し付ける訳にはいかない。
かがりが華奢な女の子だからそう思うのか、その会話に不自由してしまう能力ゆえ思うのか。犬神に対しては、もっと甘えてしまっていた気がする。うまく言葉を見つけられないでいると、かがりがすっと手を伸ばし浩成の頭を軽くなでた。
「……大丈夫」
間をあけて、かがりがそう言った。使える言葉を考えてくれたのだろう。相変わらず無表情なかがりの顔が、少しだけ赤く染まっている気がしたのは夕日のせいであろうか。
「本当にありがとう。うん、大丈夫だよね。じゃあ、俺は行くよ。かがりも気をつけて帰ってね」
「ええ、また」
かがりが2回軽く手を振り、夕暮れ時の雑踏の中に消えていった。浩成はその背中が見えなくなるまで、その場に立って見送った。そして、今日起きた出来事の数々を思い出しながら、家路についた。玄関のカギを差し込む時、不安がよぎった。
『大丈夫』
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