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かがりの言葉を思い出す。ポケットの中のスマートフォンに触れる。特務課の皆の笑った顔を思い浮かべる。
大丈夫、大丈夫。浩成はそう自分に言い聞かせ、玄関のドアをあけ家に帰った。
『言霊の少女と継ぎ接ぎの兄妹』
【1】
天月かがりに犬神から電話があったのは、浩成を送った翌日であった。珍しく犬神の声は堅かった。こういう時はいつも特務課の仕事の電話の時である。案の定、仕事の話があるので特務課まで来るように、という電話であった。
バスで最寄りの特務課へ通じる入り口付近まで足を伸ばし、そこから徒歩で地下に入っていく。誰もいない薄暗い通りで、かがりはぼんやりと浩成の事を考えていた。能力に怯え、どうしていいかわからずに葛藤していた少年。特務課の皆の、特に犬神の言葉に救われていた姿を思い出す。
それは、かつてのかがりを思い出させる光景でもあった。かがりが能力を自覚したのはずっと前、彼女が小学6年生のころであった。
当時父親の仕事の都合で転校したかがりは、その容姿も相まって転校初日からクラスで人気者となった。しかし、クラスのリーダー格の少年の告白を断ったことで事態は一変し、その少年の取り巻きや、女子たちから無視されるようになる。
無視されること事態はそれほど苦痛ではなかったが、それはやがていじめに発展し、たちまちかがりにとって学校生活は憂鬱なものになった。それでも、両親に心配をかけたくない一心で学校には通い続けた。
子供のいじめは手加減を知らない分残酷であった。執拗ないじめに、かがりも黙っている事は出来ず、ある日体育の授業中、大きな声で主犯の少年に暴言を言ってしまった。
「あんたなんか、死んじゃえ!」
かがりが強い感情をもって放ったその言葉は、彼女の能力を目覚めさせるとともにその少年の命を奪ってしまった。言葉を放ったそのすぐ後、体育館の天井から『偶然』照明が落下し、主犯の少年に直撃した。
かがりは子供ながらに自分の言葉を恐れた。それがもし偶然であったとしても、自分の放った言葉そのままに一人の人間が死んだのだから、当然であろう。
この事件でいじめは終息するどころか、加速した。死神、呪われている。心無い言葉がいくつもかがりにぶつけられていった。それでもかがりは、あの事件を思い出すと反論のひとつも出来ないでいた。
最初はかがりを励まし続けていた母親も、何も言葉を発しない娘にいらだちを募らせていった。ショックを受けている事は理解していた母親だが、彼女は彼女で人殺しの親と心無い中傷を受け、心身ともに疲弊していたこともある。
そしてある日、頑として口を開かない娘に母親は詰め寄り、殴り、叱責した。唯一の安住の場所であった家でさえ失ったかがりは、母親に言った。
「お母さんなんか嫌い! いなくなっちゃえ!」
それはかがりからすれば部屋から出ていってほしいという意味でしかなかった。だが彼女の能力は、買い物に出た母親を言葉通りいなくならせて――帰らぬ人としてしまったのだ。その出来事以降完全に口を閉ざしてしまったかがりは、転勤を繰り返す父の手を離れ祖父母に家に引き取られた。
そんな彼女はある日祖父母の家を訪ねて来た男、犬神と出会った。学校での事件を調べ、母の事故も知った犬神は、それっきり口を閉ざすようになったかがりに言った。
「君のせいじゃあない。だからもう、一人でしょい込むのはやめにしないか?」
初対面の人間に何がわかるのかと反感を持った。しかし、気が付けば犬神の胸の中でかがりは声がかれるまで泣いていた。
かがりを襲った一連の出来事は、一人の少女が抱えるには余りにも大きすぎる事だったのだ。そうして、かがりは警視庁公安部特務課に非正規の人間として所属するようになった。
そこには紅と奏がいた。二人とも、自分と同じく人と違う能力を持ち、それゆえ苦しんだ人間であり、かがりの事を優しく迎え入れてくれた。一二三や西園寺もいた。そして何より、犬神がいた。それはいつしか、かがりが公安部に所属する事に充分な理由になっていたのである。
地下通路を通り抜け、ドアを開け特務課の部屋に入る。そこには犬神と一二三の姿があった。
「おはよう、かがり。昨日は助かった。ありがとう」
「ただ道案内しただけよ」
犬神にそっけなく返事をして、自分のデスクに荷物を置く。彼と話すとき、かがりはほかの人と話す時ほどプレッシャーを感じる事は無かった。
「それで、今日は?」
デスクに向けていた視線を犬神に戻し、かがりが尋ねた。恐らくは特務課としての仕事であろうと予想はついていた。しかし万が一違った場合、かがりが仕事だ事件だと口にして、それが言霊の能力を発動させ、実際に事件などを誘発させてしまいかねない。
主語や断定的な言葉を出来るだけもちいない喋り方は、かがりの癖であり能力に対する抑止力であった。
「これを見てくれ」
犬神がかがりのデスクに何枚かの紙を並べた。調査報告書と書かれた書類もある。特務課の調査書は、犬神や一二三、西園寺らによってほかの部署よりもずっと簡易に解かりやすく作成されていた。かがりや奏のような年若い人間もいるし、正規の公安部出身では無いので特務課の人間は専門用語に疎いからである。。
「これは、連続……変死?」
殺人という言葉を使うのが躊躇われ、かがりは言葉につまりかけた。調査書には、ここ最近起きているという連続変死事件について記してあった。事件現場は千葉県のとある部分を中心に、それほど離れていない場所で複数発生していた。
その件数は10件を超えている。
「調査書の地図にある通り、この一帯で連続殺人事件が続いている。最初の関連が疑われる事件から半年以内で少なくとも十件。発生頻度と場所、そしてその特殊性からして恐らく同一犯である可能性が高い」
「特殊性?」
かがりが聞くと、犬神は頷き調査書をめくり1か所を指差した。そこにはマーカーで色付けされた一文があった。
「内臓を」
「そう。被害者はみな、内臓をえぐりとられている。切り口は様々で、鋭利な刃物で切ったようなものから、まるで引きちぎったかのようなものまであるらしい」
「なんのために? これを、売る?」
かがりの問いに、犬神が首を横に振った。
「いや、臓器を売買するために、商品として扱うにはきちんとした医療設備の整った場所がないと恐らく不可能だろう」
「それなら、なんのために」
「収集癖があるのか、何かしらいびつな利用方法があるのか。それはわからないが、どうもこの事件は我々公安部特務課が扱うべき案件らしい」
「それは、どういうこと?」
犬神が再度調査書をめくり、1つの項目を指差した。遺体の状態について、とある。かがりは示された場所を読み進める。遺体の傷口はすべて自然治癒のような状態で塞がれてあり、解剖するまで内臓をえぐられている事さえわからなかった、と書かれている。
「傷口が治癒?」
「西園寺の話しでは、遺体はまるで眠っているように見えるほどきれいな状態だったらしい。あくまで、外観は、ということだが。つまり、切って内臓をえぐったあとに取り出すためにあけた場所を治療しているんだ」
「縫うとか、そういうのではなく?」
「あまり見て気持ちのいい写真ではないので、この調査書にはつけていないがね。外観はきれいなものだったよ。手術跡のような物も見受けられなかった」
「何かしらの、能力……」
「俺や西園寺はそう読んでいる」
犬神の話しを聞き、かがりは頷いた。やはり仕事だという事だ。今回の事件は、自分の能力が適任と判断されたのであろう。確かに、まず奏の約束はあまり意味が無さそうであるし、紅の能力では万が一、刃物などで攻撃された時に危険が高い。
犬神や一二三が皆に事件を振る時は大抵ほとんどの事が調べつくされた後だ。今回もかなりの事が絞ってあるのであろう。かがりは調査書をさらにめくった。
一人の少女が容疑者としてあげられている。糸崎結菜(いとさきゆいな)、中学三年生。学校にはほとんど通っていないらしい。
家族構成は両親と双子の兄。家族は全員同居しているはずだが、近所の人間への聞き込みや、公安部の張り込みでは結菜以外の人間の外出はここの所確認されていない。また、何度か通信販売大手の業者が訪ねてくる姿が確認されている。
結菜の父親名義での販売履歴には、かなりの数の刃物が並んでいるという。また、結菜や母のスマートフォンからは、複数の出会い系サイトやアプリの使用が確認されている。そういえば先程のページにあった遺体の情報はすべて若い男性のものであった。
本来ならば、ここまでの事がわかっていれば逮捕とはいかなくとも事情聴取は出来るであろう。かがりは犬神に率直に聞いた。
「警察は?」
「地元警察が動いて、彼女やその家族の携帯電話は使用中止にしてある。刃物などの出荷も今はもう止めてある。ただ、被害者の携帯電話が見つかっていない。それも使用停止処置はしてあるが、まだ見つかっていない被害者がいるかもしれない」
「家は?」
「住所まですべて確認済みだ。ここからなら車で1時間もかからない。こちらはいつでも行ける状態だ」
犬神のジャケットの下にかすかにホルスターが見て取れた。犬神も同行するらしい。
「この事件は私が?」
「ただ捕まえるだけならだれでも出来るかもしれない。だが、出来れば事件の全容を知りたい。それにはかがりの力が必要だ」
かがりは黙って聞いている。犬神が続けた。
「かがりが容疑者の自宅を訪ね、能力を使い今回の事件を容疑者から直接聞き出して欲しい。勿論俺も一緒に行くが、危険は伴う。出来るかい?」
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