501人が本棚に入れています
本棚に追加
スタジオに到着したら、ブースに入る前にミキサー室の入り口で、スタッフに挨拶をするのが声優のしきたりだ。
「ベリーデプロダクションの月埜理人です。本日はよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いしまーす」
雑多な挨拶に紛れる一つの無気力な声に、なぜか聞き覚えがある気がした。ミキサーも音響監督も初対面の人のはずだったけど、と目線を上げてスタッフの横顔を盗み見た瞬間、思わず素っ頓狂な声が出た。
「綾瀬くん⁉ 綾瀬司だよね!」
一番奥に座った男が、メガネのツルに手を掛けながらこちらに居直る。間違いない。あの頃はメガネなんてかけてなかったけど、ツンと澄ました表情が同じだ。彼は眉一つ動かさず、平坦な語調のままで言った。
「……貝崎さん? 裏名義なんか名乗ってるから気づきませんでしたよ」
「えー、懐かしいな! 五年ぶりとか?」
「六年ぶりです。貝崎さんがバイト辞めてから会ってないんで」
後ろに控えていた黒川さんが「なになに? 二人知り合い?」と興味を示す。
「俺、下積み時代にずっとカラオケ屋でバイトしてたんですけど、その時の後輩で」
「へーそうなの。よかったじゃない久しぶりに会えて」
「はい。にしても綾瀬くん、立派な大学通ってたから、てっきり商社マンにでもなったと思ってたけど、この業界にいたなんて……」
少し踵を浮かせて綾瀬くんの表情を窺うと、こちらに横顔を向けたまま、ガラスの向こうのアフレコブースを眺めている。あまり愛想がないところは変わっていないようだ。
「彼、今日の音響監督だよね。若いのにすごいねえ」
六年前、俺は二十五歳で綾瀬司は確か大学三年生だった。単純計算で今彼は二十七歳。基本的におじさんが多い音響監督の中では、確かにかなり若い方だろう。
最初のコメントを投稿しよう!