第一章

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第一章

 五月の大型連休の最終日、奈帆は森広を映画に誘った。  良く晴れた、すがすがしい陽気だった。  乾いた空気が感じられる昼下がり、ふたりはそれぞれ昼食を済ませて、山手線のターミナル駅で待ち合わせる。  映画館は駅からほど近く、大勢の人が詰めかけていた。  その映画館で、奈帆が見てみたいという映画を森広は一緒に見た。  映画は、クラシックギタリストの男性と、国際ジャーナリストの女性が繰り広げる、切ない恋の物語。  それだけではなく、戦争や災害などのテーマが重層に絡み合った、見ごたえのある内容だった。  上映が終わり、森広と奈帆は、映画館近くの喫茶店に入る。  喫茶店は混みあっていたが、カウンター席の隅の方に、空席が二つあり森広と奈帆はそこに腰をおろした。  森広はアイスコーヒー、奈帆はアイスカフェラテを頼み、ふたりが注文したドリンクが届くと奈帆は、森広に話しかける。 「あのときのすれ違いがなかったら、どうなっていたのだろう」 「ここまで惹かれあう関係はなかなかないよね」 「戦争はたくさんの悲劇を生むね」  などと、熱心に感想を述べていた。  しかし、森広は心ここにあらずといった様子で、映画を楽しめなかったようだった。  奈帆は、森広が恋愛映画は好みではなかったのかなと思い、聞いてみる。 「恋の映画は好きじゃなかった?」 「恋愛は、つらい思いをしたから」  苦しげな表情で、森広はそう話すだけだった。  ふたりで映画を見た翌週、実験が終わった夕方、大学のメインストリートのベンチに森広と奈帆の姿があった。  ストリートには、多くの学生が行き交っている。  奈帆は、話しかける。 「さっきの実験、大変だったよね」 「行きたい研究室は決まってる?」 「大変だったね」 「まだ決まってない」  と森広は話し、やはり心ここにあらずといった様子だった。  奈帆は森広に聞いてみる。 「私、森広くんのことをもっと知りたい。だから、心を開いて欲しい。もし、森広くんが良かったら、森広くんのつらい思いを共有したい」  森広はしばらく黙っていたが、やがて意を決して話した。 「大学の知り合いには、まだ誰にも話したことはなかった。でも、奈帆さんには伝えておきたい。僕には高品裕美子(たかしなゆみこ)という恋人がいたことを」  こうして、森広は奈帆に裕美子のことを打ち明けることとなった。
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