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二、入院生活
病院で治療を受けたところ命に別状はないようだったが、男はしばらく入院することになった。あれから警察の事情聴取も受けた。警察には、犯人は十代後半くらいの少女だったこと、犯行に用いられた凶器は刃物だということ、少女と面識はなく危害を加えられた理由もわからない旨を話した。結局、犯人として思い当たる人物はいないということを伝えるにとどまったが、男の証言は意味のある情報提供になったのだろうか。
病院まで事情聴取に来た警察官は小柄な若い男性だった。目が細く薄い顔をしていた。のっぺりした印象なので平たい顔ともいえるだろう。年の頃は二十代、いや、三十代かもしれない。ひととおり事情聴取が終わると、警察官は「捜査にご協力いただき、誠にありがとうございました」と感謝を述べて、「犯人逮捕に向けて尽力いたします」とも言ってくれた。
あの子はなぜ男を刃物で刺したのだろうか。殺されると思って男は逃げたが、少女に殺意があったかどうかまではわからない。しかし、男が何をしたというのだ。確かに少女のことを、かわいいとか胸が大きそうだとか、いやらしい目で見てしまったところがあるのは認めるにせよ、それがあの子に伝わったとして、男を刃物で刺す動機にはならないだろう。そもそも、なぜあの子は刃物を持ち歩いていたのか。警察には、一刻も早くあの子を捕まえて真相を究明してもらいたいと男は願った。
病院での生活は、あまりすることがなくて暇だったけれど、意外と快適でもあった。男は、学校に行って授業を受けることもアルバイト先で働くこともない生活に、気楽さを感じていたくらいだ。それは、治療に当たってくれる医者と看護婦の対応がよかったためでもあるだろう。
特に担当医は好感の持てる人物だった。七三に分けた髪に目鼻立ちの整った顔。眼鏡をかけた男性医師で見た目も好印象だ。白衣の着こなしがうまく清潔感があった。顔つきは朗らかで誠実そうな眼差しをしていた。年齢は三十代前半くらいに見えた。医師としては若い方だろう。
担当医は男に対して、ケガの具合や体調を気遣うだけでなく精神面への配慮も欠かさなかった。男がただのケガ人ではなく、通り魔事件の被害者だったからだろう。問診の際、「今日は天気がいいですね。この部屋、窓から中庭が見えるでしょう?」などと雑談を交えながら、それとなく聴き取りをしてくれた。「事件を思い出して、不安になったり眠れなかったりすることはありませんか?」と。
「事件の直後は緊張もあって自覚がない場合でも、しばらく経ってから症状が出ることがあります。何かありましたら遠慮なくご相談ください。心因性のものでしたら、精神科の医師を紹介することもできます」
「いいえ。不安はないです。よく寝られてます。先生と看護婦さんたち、みなさんのおかげですね。ありがとうございます」
男は担当医の気遣いに感謝した。
また、男は、腹を刺されて内臓に損傷を受けたため、入院してからしばらくの間、自力で食事を取ることができず、点滴注射で栄養を摂取していた。毎朝、看護婦が交替で点滴注射の針を替えに来てくれた。看護婦のなかには若い美人もいて、男はつい鼻の下を伸ばしてしまった。男は、美少女に刃物で刺されて入院するはめになったわけだが、だからといって、若い美形の女が苦手になったということは特にないようだ。
自力で食事を取ることができるようになってからも、まだ入浴はできず、包帯を替えたり傷口を消毒したりといった処置を行うため、看護婦が来てくれる頻度は変わらなかった。できれば、若い美人の看護婦に来てもらいたいなどと、男はいやらしい下心を抱いていた。若くて美形といえば担当医もそうだけれど、男性ではしかたあるまい。
担当医は眼鏡の好青年といった風貌で、患者からの受けもよく、医師としての人望は厚いようだ。担当医の評判は、男と同じ病室の患者と担当医との会話から、うかがい知ることができた。
男と同室の患者で禿頭の中年男性がいた。年の頃は四十代半ばくらいだろうか。男性の妻と思われる小肥りの中年女性が、ときおり夫を見舞いに来ていた。おしゃべりな女性だ。年の頃は夫の男性と同年代だろう。その女性が担当医と親しげに談笑しているのが、病室にいるとよく聞こえた。
「あら、先生。主人がお世話になっております。お陰様でこのとおり、よくなりまして。本当にありがとうございます」
「いいえ、とんでもないです。どういたしまして」
「ですが、主人が退院しますと、先生にお会いできなくなるのが寂しい限りで――」
「奥さん。これはまた、ご冗談を」
あの医者に妻子はいるのか未婚なのか恋人はいるのか、そのあたりはわからないが、きっと看護婦の間でも人気があるのではないかと、男は思った。
――そうした折、男の友人が病院まで見舞いに来た。男にとっては唯一の友人だ。友人はいつもと変わらない様子で会いに来た。男としてもその方がよかった。あまり深刻な顔をされたら気まずくなるだろう。
友人は男と同い年だが男より明るく活発な青年だった。顔はあどけなく目がくりくりしていた。かわいらしい印象の童顔だ。友人も男と同じく学生だった。若者らしい髪型や服装をして見た目も溌溂としていた。通っている学校は男と同じではないが大学生なので、髪型や服装は自由が利いたのだ。
友人の頭髪は茶色で、耳にかかるくらいの長さだった。長い前髪を中央で分けていた。髪の色は派手にならない程度に染めているようだ。見舞いに来た日の服装は、真っ赤な無地のTシャツに黒い革製のジャケットを羽織って、下はジーンズをはいていた。履物は白い革靴だ。デニム生地でできたジーンズの藍色に、Tシャツの赤が映えて鮮やかだった。ジャケットの背には銀色の刺繍が施されていた。大きな髑髏の刺繍だ。
男は、通り魔事件の被害に遭って入院していることを、この友人にのみ連絡した。アルバイト先には、ケガをしてしばらく休むという旨を伝えるにとどめた。男の家族としては両親がいるが、両親にはあえて連絡しなかった。きっと心配するからだ。両親は、特に母親が男に対して過干渉で、男は両親の干渉から逃れるため、この町に来てひとり暮らしを始めたという経緯があった。事件のことを気兼ねなく連絡できる相手は、この友人だけだったのだ。
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