三、凶行は惨たらしく

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三、凶行は惨たらしく

 ――数日後。腹の傷は治ってきたようだ。傷の痛みや違和感はまだあった。包帯もまだ取れていないものの、男は入浴を許可されるまでに回復していた。シャワーを浴びただけとはいえ、久しぶりの入浴は心地よく、負傷した状態からの回復を実感することができて気持ちが軽くなった。  こうして体調が回復してくると、男は病院での生活に余計に退屈を感じるようになった。幸い、男のベッドは病室の窓際にあったので、暇なとき、窓の外をながめていることくらいはできたけれど、ほかにすることがなかったのだ。  窓の外をながめているのも、つまらないわけではなかった。窓からは病院の中庭が見えた。中庭の空間は長方形だ。中央には円形の広場があって、そこから斜めに放射線状の舗道が四つ通っていた。薄い色の煉瓦で舗装された道だ。  中庭には道が四つあるため、道と道との間に同じような形の空間が四つできていた。道を辺として図形に見立てると、頂点がへこむように丸みを帯びた二等辺三角形に近い形、あるいは、等脚台形の上底が、内側に向かって弧を描いた形ともいえる形状の空間だ。四つあるその空間には、長方形の花壇がひとつずつあった。花壇以外は緑地となって道の両脇には樹が植わっていた。  美しい中庭だ。花壇に咲く色とりどりの花、緑地に植えられた木立。男は植物にも造園にも疎いので、花壇に咲いている花が何の花なのか、緑地に植わっている樹が何の樹なのか、名前すらわからなかったが、景観の美しさだけは感じた。中庭の景色をながめながら物思いに耽っているのも悪くない。ただ、ほかにすることがないのではさすがに飽きるだろう。そういうとき、友人の貸してくれたオーディオプレイヤーが役に立った。音楽を聴いて過ごすことが退屈しのぎになったのだ。  その夜、男は夜更けに目を覚ました。――今、何時だろうか。時刻を確かめたところ時計の針は午前一時頃を指していた。眠りについたのは確か午後十時頃だったので、三時間ほど眠ったということか。男は再び眠ろうとしたけれど、なかなか寝つけなかった。眠気が覚めてしまったようだ。  明日の朝食、献立は何だろうか。今朝はパンに目玉焼き、スープとサラダだった。先ほど取った夕食は、白米に焼き魚、味噌汁と煮物だ。焼き魚は秋刀魚の塩焼き、味噌汁の具はほうれん草と刻み葱、煮物は人参や蓮根などの根菜と里芋、椎茸だったか。  自力で食事を取れるようになってから一週間、毎日がこういう食事だ。病院食だからしかたないのだけれど低カロリーの食事ばかりで、さすがに飽きてしまった。実は先ほど、夕食が物足りなかったので、友人にもらったレーズンサンドの残りを、全部食べてから就寝したくらいだ。  友人が見舞いに来た日はまだ食欲がなく、レーズンサンドは男が二個、友人が一個、合わせて三個食べたきりだった。残りは取ってあったのだ。レーズンサンドが十二個入りというのは、ひとりで食べるにしては数が多すぎるような気もしていたけれど、夜食にすることができたので、結果としては十二個入りでよかったのかもしれない。  男は肉をたくさん食べたい気分だった。食欲があるということは、体力もほぼ回復したということだろう。もうそろそろ退院できるのではないか。そうだ。退院したら、ハンバーガーでも食いに行こう。  ――それにしても眠れない。男は、仰向けの体勢で天井をながめたり何度も寝返りを打ったりするばかりで、どうにも眠れる気がしなかった。  すると、病室のどこかで物音がした。何かと思って上体を起こしたところ、男の方へと近づいてくる人の気配を感じた。だれだろうか。消灯後の病室は薄暗くて、ベッドの周り以外はよく見えなかったが、目を凝らすと確かに人影が見えた。どうやら看護婦ではないようだ。やがて、それがだれだかわかった瞬間、男は思わず悲鳴をあげた。 「うわぁぁぁっ!」  ――あの子だ。あの夜、男を刃物で刺した少女が、そこに立っているではないか。少女は、袖のない黒のトップに黒のスカートを着用、黒いブーツを履いていた。肌の露出が腕は肩の近くまで、脚は膝のあたりだけとなる服装。表面にてかてかした光沢のあるブーツ。事件の夜と同じ装いだ。左手にはやはり刃物が握られていた。  男を殺しに来たということか。男は大声で助けを呼んだり、ナースコールの呼び出しボタンを押したりしたが、だれも駆けつけてくることはなかった。同じ病室にほかの入院患者もいるはずなのに、なぜだろうか。 「来るな。よせ。きみのことは知らない。人違いだ! 殺さないでくれ!」  男は叫んだ。しかし、少女は男の声に耳を貸さず、言葉を発することもなく、ただ男の顔をじっとにらみつけるだけだった。男は、危害を加えようとする少女を説得して、凶行に及ぶのを思いとどまらせようとした。 「いや、人違いじゃなくても、人を傷つけるとか殺すとか、そういうのはよくない。やめるんだ!」
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