三、凶行は惨たらしく

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 わけがわからない。ふざけるな。理不尽な暴論を一方的に押しつけられて、男は怒りを覚えた。殺されてたまるか。中年男は刀を手に斬りかかってきたが、男はその一撃をかわした。ベッドから床に転がり込みつつ斬撃をかわしたのだ。 「なかなかやるじゃねぇか」  中年男はそうつぶやいて、続けざまにもう一撃を繰り出してきた。男は反射的に攻撃を防ごうとして片手をかざした。男の眼前をかすめる刀の斬撃。どうにかよけきれたかと思いきや、刀の切っ先が指に触れたようだ。  親指を除く右手の人差し指から小指までの四本が、斬り落とされてしまった。切断された指は床に落ちて散らばった。手を見ると、指があったはずのところには生々しい肉や骨の断面が見えた。切断から少し間を置いて噴き出る赤い血しぶき。断たれた動脈から鮮血が噴き出たのだ。重傷を負った手に激痛が走った。 「指が! 指がぁぁぁっ!」  大声で悲鳴をあげてのたうち回る男。床の上を転げ回ったため、少女の死体から流れた血や自分で吐いた嘔吐物が病衣についてしまった。淡い緑色の病衣に付着する血の赤や白っぽい嘔吐物。男にはもう、汚れるとか汚いとか感じる余裕もなかったのだ。 「バカめ。おとなしくしてりゃあ、苦しまずに死ねたものを」  悶え苦しむ男を中年男はあざ笑った。男は、斬られた手をもう片方の手で押さえながら、恨めしそうに中年男をにらみつけた。  そのとき、窓の外から大きな音が聞こえた。爆発音だろうか。中年男は男に刀を向けつつ窓際へと移動した。窓の外で何が起こったかを横目で確認したようだ。「やつらだ。あの場所をもう嗅ぎつけたとは」などとつぶやいていた。それから、男に向かって、「おまえの相手をしている暇はなくなった。命拾いをしたと思え」と捨てぜりふを吐いて、そそくさと去っていった。  ひとり取り残された男は床の上に座り込んだまま唖然としていた。どうやら助かったようだが、男の心には憤りしかなかった。襲われる理由もわからず、今夜だけで二度も殺されかけたのだ。結果として命は助かったものの、右手の指四本を斬り落とされた。わけがわからない。何が命拾いをしたと思えだ。  しかし、憤ってばかりはいられない状況だった。斬られた手が重傷で出血が止まらず、たえがたく痛むためだ。手の指を四本も欠損する重傷を負って太い血管が断たれても、血液の循環は止まらない。心臓が動けば血管は脈打つ。だから、血が噴き出るのだ。 「……痛ぇ……痛ぇよ……なんでこんな目に……うそだろ? 指を斬られるなんて……俺が何したっていうんだよぉ……」  痛そうに顔をしかめて悲愴な声を洩らす男。血がたくさん出て止まらないので焦ってしまった。とにかく出血を止めなければ、体から多量の血が失われてしまうではないか。男は、負傷した手にイヤホンのコードを巻いた。手をコードでぐるぐる巻きにして、きつく縛った。思いつきの応急処置だ。すると、血の出る勢いは弱まった。コードの締めつけがきつすぎるかもしれないが、そうでもしなければ、血を止めることはできないだろうと男は考えた。  どうにか出血は収まったようだ。これで止血できたかどうかまでは、医療の知識がないのでわからないが、何もしないよりはましだろう。友人から借りたオーディオプレイヤーのイヤホンが、思わぬところで役に立った。  何か傷口を覆うものはないだろうか。あたりを見回してみたところ、ベッドシーツが目についた。引き裂いたシーツの切れはしを、包帯にしたらどうかと考えたのだ。男は片手が使えないので、シーツを引き裂くに当たって片手の代わりに口を使った。シーツを歯で噛んで押さえつつ、もう片方の手で引き裂いたのだ。男は引き裂いたベッドシーツの切れはしを、負傷した手に巻いた。  だが、傷口を覆ったからといって痛みが引くことはなかった。室内を見回すと、同じ病室にいたはずの入院患者は男ひとりを残して、なぜか全員いなくなっていた。だれかいないのか。助けてくれ。重傷を負った手をどうにかして治療しなければ――。
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