アイスのはなし

1/1
前へ
/1ページ
次へ

アイスのはなし

 真昼の日差しはあまりに強すぎて、迂闊に外出などしようものなら焼け死んでしまいそうだ。それでも夕方になると多少は過ごしやすくなる。風呂上がりのアイスを買いに冷房の効いた部屋を出たのは、そんなわけで十八時を回った頃だった。  最近気に入っている抹茶味のカップアイスと、昔から好きなソーダ味のアイスキャンディ、それからこの前SNSで見かけて気になっていた新作の苺ソフトクリーム。それらを買ってコンビニを出たまでは良かったのだ、と思う。その後の何がいけなかったのか、胡白蝶にはいまいちわからない。もしかするとコンビニを出て早々に歩き食いをしたのがだめだったのかもしれない。  人も車も自転車も、さっきまで確かにいたはずなのに、ぱったりとそれらは全て姿を消していた。  音一つなく、人ひとりいない。  おや?と辺りを見渡した所で、夕焼けを背負って真っ黒な人影がひとつ、こちらを向いて立っているのを見つけた。  夕焼けで目がちかちかするので、顔をしかめてそれを眺めた。あまりにも黒すぎて、地面に落ちる影がそのまま起き上がったようにも見える。その影かじっとこちらを見つめていることはすぐに気がついた。痛いほどの視線というものを、胡白蝶は初めて身を持って知った。  のっぺりと黒い影の目玉はさっぱり見つけられないのに、見られているということがわかるのは何だか奇妙な気持ちだった。何か伝えたいことでもあるのだろうかと、じっと見つめ返す。  どれほどそうしていたか、アイスが融けてたらりと手を伝った。腕まで伝ってきたら気持ちが悪いので、影から目を離さないまま、垂れたアイスを舌先で舐めとる。アイスは夏に食べようが冬に食べようが常に美味いが、固体から液体になった瞬間、ただ甘いだけの水になってしまうのが不思議だ。その上べたべたする。良くない。  そんなことをぼんやりと考えていたら、先ほどまではまだ遠くにいたはずの影が目も前にいた。目の前というか、目と鼻の先だ。近すぎる。ずっと目は離さなかったはずなのに、いつの間にここまで近づいたのだろうと影を見上げた。背が高く、肩幅が広い。輪郭では男のように見える。  用があるならはやく言ってもらえないだろうか。影だから話せないのか――などと取り留めもなく思考を巡らせる。仕方がない。それ以外にすることがない。  逃げようかとも考えたが、不思議になるくらい害意を感じないのでそれも躊躇った。けれど人間ではない。人間だとしても、無言で近寄ってじっと見つめてくる奴は不審者なので、どちらにせよ刺激したくない。胡白蝶にできることは、ただじっと見返したまま溶けかけのアイスをちびちびと食べて、どうしたものかと考えることくらいだ。  とは言えアイスももう半分以上たべてしまったし、食べきる前になにかしらアクションの一つでも起こしてくれないと困るなという心の声が聞こえたのかは定かではないが、それは不意に口を開いた。  頭のてっぺんから足の先まで、まるごと黒い影なのに、ぱかりと開かれた口内だけはやけに真っ赤で、そんな場合でもないのに「おや」と感心した。 「蟋九a縺セ縺励※縲∫ェ∫┯縺吶∩縺セ縺帙s縲ゅ≠縺ェ縺溘↓莨壹>縺溘¥縺ヲ縲√>縺医?∵?ェ縺励>繧ゅ?縺ァ縺ッ縺ゅj縺セ縺帙s縲らァ√?縺ゅ↑縺溘?」  ノイズが走ったような聞き取りにくい声で、何かをべらべらとしゃべっている。逆再生したような、意味が分かりそうでわからない言葉。しばらくそれを聞いていたが、通じない言葉は終わる様子を見せない。それどころか話しているうちに興奮してきたようで、片手をこちらに伸ばしてきた。 (仕方ない。これは必要経費)  触れられないように一歩足を引いて、同時に腕にかけていたビニール袋から苺ソフトクリームをとりだす。気になっていた新作は封を開けるとまだ何とか形は保っているようだった。けれどカップアイスは早急に冷凍庫に突っ込まなければいけないだろう。このままではアイスではなくただの抹茶味のソースになってしまいそうだ。  癪なので大きく一口齧ってやる。半分融けたような甘さが口に広がった。  拒絶と無視を食らった黒い手は戸惑ったように――もしくは何かに恥じたようにふらふらと彷徨っていた。影はまだなにか喋っている。ノイズ交じりのその声が許しを請うような音を帯びるのを、よく喋るなあと感心しながら聞き流した。胡白蝶は喋ることがあまり得意ではないので、饒舌な人のことを無条件で感心してしまう。感心するだけで内容をしっかり聞くわけではないし、そもそもいま目の前にいるのは人間ではなく人間のような形をした影なのだが。  黒い身体の赤い口が開いたところで、食べかけのソフトクリームを突っ込んだ。  ププー、とクラクションの音が聞こえた。傍らを通り過ぎようとした散歩中の犬が立ち止まり、電信柱にふんふんと近寄っていく。スマホを見ながら歩いていた飼い主も一緒に電信柱の方を向く。  それらを視界の隅に映しながら、見つめ続けていた夕日は赤い残滓を残して沈んでいた。ちかちかする目をぎゅっと瞑ってもう一度開くと、のっぺりとした黒い影も、赤い口に突っ込んだピンクのソフトクリームももうどこにもない。辺りには薄闇が漂うばかりで、ゆっくりと走る自転車のライトが白く光った。  手に持ったままのアイス棒に「あたり」の文字が印字されていたので、交換しようともう一度コンビニに入る。新しいものと交換して外に出たが、影はもう姿を現さなかった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加